03. セーラー、メイド、ナース服
例えば――冷たい霧雨の中、物騒な連中に追われている美女に助けを求められたら、どうする?
誰だって、善意とか正義感とか……少なくとも日常の変化に期待して手を取るだろう?
春先、まだ寒いネオン街をコート一枚という変質者さながらの格好で逃げ回っていた美女の手を引いて俺が逃げ込んだのは……ネオン街で男女が身を隠すには最も自然な場所――ラブホテル。
あらゆる条件を飲み込みまさしく適合して相応しい場所に、極めて紳士的態度で彼女を案内したわけだ。
だから俺がやったことは仕方が無い。
仕方が無い!
そういうことに、しておこう。
俺はいの一番に、異臭を纏っていた優月をシャワールームに押し込んだ。
何度か色気の無い悲鳴が聞こえたが、やれ突然水が出たとかテレビ画面がついたとか平和的な話だった。
優月、箱入りのお嬢様説はそのままに、俺は「そういう施設だから」と盛大に余裕をぶっこいて返事した。俺もラブホテルなんて来た事は無いけれど。
やがて甘く清涼感のあるシャンプーの香り、湿り気が漏れ出してくる。
これが、あの優月が身体を洗ったお湯の一端……。
「優月さん……優月……」
秘かに呼び捨てにしてしまった。
頑固で世間を知らなくて偉そうな一方、疲れと悲壮を漂わせた彼女の態度は俺には深く刺さってしまった。
その上まともな服を着ていない見目の良い女性。
詐欺も暴力も渦巻くネオン街ではこれ以上とないくらいの弱者だ。いいカモだ。
だから俺はたまたまいいカモが転がり込んできたと思っているし、一方で彼女を助けられないかなんて偽善甚だしい使命感さえ湧いてきている。
そしてこの状況だ。
彼女次第では卒業できそうで……だからこそ、十九歳という節目直前に立った俺には大事な局面だった。
はっきりさせようとは思った。
俺は、童貞を捨てたくて転がり込んできたお姉さんをいいようにしようとしているのか、運命的な出会いをして柄にも無く一目惚れしてしまったのか。
その気持ちの丁度真ん中でとうとう思考停止してしまい、俺はふらふらと部屋の中を散策し始める。
相応の施設の中、俺の目には新しいものが一つ、そこに埋め込まれていた。
壁際にそなえつけられた自動販売機――コンビニボックス。
陳列した商品は面と向かっての購入が憚られる、所謂オトナのアイテムだった。
飲料、スナック菓子、アイマスク(羽箒耳かき付き)、小型マッサージ器とその電池、下着、ローション、コンドーム。
その中に輝く《メイド服》、《ナース服》、《セーラー服》の文字。
コスプレ衣装の販売に、俺の頭の中で一つのピースが埋まる。
優月はコート以外に服を持っていない。
すぐさま邪な側で悪魔が囁いた。
これは一夜の紳士的鑑賞をつつがなく行う為に、今すぐに手に入れたほうがいい。休むにしたって裸でってのもマズいでしょ。
俺の脳内天秤がコスプレ衣装を買うという邪な選択肢へ傾く。
だが、俺の中の小さな小さな天使が囁く。
いずれにせよここを出る前に何か着るものが必要だ。
たとえそれが胡散臭いコスプレ衣装だとしても。
…………。
俺の天秤は――結局天使も悪魔も片方向へと鎮座し、派手な音を立てて傾いた。
いそいそと財布を取り出して千円札三枚を薄っぺらい財布から摘み上げたところで行き詰まる。
俺は、迷った。
躊躇った。
脂汗を流しながら生唾を一つ飲んだ。
俺の財布には三千円と小銭だけが入っていた。
そして、コスプレ服のボタンはメイド服、ナース服、セーラー服の三種類。
三つの中から一つ。そんな選択を迫られた。
何せ人生の中、恐らく一生に残る青い春の光景を決めようとしている。
馬鹿馬鹿しいかもしれないが、俺は大真面目だ。
「――とりあえず」
学生生活を送っている俺としてはセーラー服は、まず無い。
セーラー服好きの皆さん、本当に申し訳ございません。無しです。
なんせ見慣れているし、知っている顔が過ぎる。
覗き込む色からして俺が通っている高校と同じ、黒いセーラー服タイプだ。一夜の紳士的観賞用にもかかわらずクラスメイトの顔が過ぎると何の都合が悪いのか、という問いに答えるには多分二万文字くらい必要なので割愛しよう。
残るメイド服、ナース服。
従順という言葉とは遥か縁遠いタイプの優月にはメイド服は、ちと厳しい。
メイド服好きの皆さん、本当に申し訳ございません。無しです。
最後にナース服。
恐らく、かなり似合う。
大人の艶があり、ちょっとキツいことを言う彼女にはバツグンの相性のはず。
本日の俺は人助けという善行を働いたのだから、軽くお医者さんごっこなるものを致すとかそんなご褒美なんかがあっても罰は当たらない。
俺の指は震えながら、汗で濡れたり折れ目で複雑骨折したりの千円札を何とかコンビニボックスに飲ませると、軽くナース服のボタンに触れる。
ナース服の優月。
ちょっと困った顔で触診なんかしてくれちゃったり俺も触診仕返しちゃったりして――えへへ!
楽しくなってきたところで俺の下につく新米兵士、もとい冴え渡った脳髄から疑問の声が響いた。
――本当に似合って、想像がつくほうで良いのか?
何をアンポンタンポカンなことを言っているのかね、脳髄くんよ。似合うものを着せた方が良いに決まっているじゃないか。
メイド服の優月はちょっと想像が出来ないよ。
――待て待て。今しがた想像がついたように、もうナース服の優月は楽しんだじゃないか。だからこそ想像がつかないほうを選ぶんだ。そっちの方が二度美味しい。
二 度 美 味 し い !?
俺は下のほうから聞こえてくる新解釈に耳を傾けることにした。
ようするに、絶賛煽られ中の庇護欲と嗜虐心の、後者をメインにとるということだ。Sで行くということだ。
メイド服は確かに優月の不遜な態度からすれば柄ではない。
だからこそ、だ。
少々マニアックすぎて理解が出来ないかもしれないが、話としてはこうだ。
人妻に体操服を着せるのと同じ。
似合わない、無理やりやらされている、だからこそ、良い。
同じく優月も、物凄く嫌な顔をしながらメイド服を着るしかない。
ほぼ強制的に起こるイベント、優月はどんなに嫌な顔をしても罵声を浴びせかけても泣いても叫んでも、俺が用意した服に袖を通してしっかりと俺の網膜にその姿を焼き付けられるしかない!
怒られる? 構わん!
俺はαでありΩであり、SでありMである。
この汎用性の高い性嗜好ゆえに、嫌がらせをして困らせるのも楽しければ、嫌な顔をされて蔑まれるのも楽しい。もちろん嫌々受け入れてもらえるのも大歓迎。万が一、普通にデレるのもまた良い……!
この作戦は全ての優月を網羅した。完璧だ……。
新米兵士くんの提案に俺を構築する細胞全てが満場一致、ささっと指の位置をスライドさせてメイド服のボタンに指を押し当てた。
短い電子音と共にロックが解除され、俺は本日何度目かわからない生唾を飲み下しながら筒状の箱を取り出し、黒い布切れを広げた。
これを、あのツンツン優月が。
そうそう、この赤いスカーフとプリーツスカートと――
「これセーラー服やないかーいッ!」
箱とコスプレ衣装をベッドに叩き付けると同時に、シャワールームでキュッと蛇口を閉めた音が響いた。
「どうした……!?」
「ああ、いやあ? なんでもッ? ああははは、テレビ面白くってついツッコんじゃって! 俺この番組のファンで真似して一緒に言っちゃうんだよね!」
俺はアクション映画さながらにソファに飛び込み、テーブルの上のリモコンを掴んで電源を入れた。
途端に画面には肌色多めの映像が流れ、金髪女優の濡れた喘ぎ声が多分液晶最大の音量で響き渡る。
オーマイゴッドはこっちのセリフだ。
「…………」
「……そうか」
優月の冷静すぎる返事と共にシャワーの音が再開、俺ももう一度電源ボタンを押して、静寂がおかえりなさい。
ソファに腰掛け、祈るように指を組み、そこに額を預けた。
静まり返った部屋の中、楽しく盛り上がっていた俺の心も一気に冷却された。
危機だ。
これは危機的状況だ。
アホほど文字数を割いて俺の葛藤を描写したにもかかわらず、全部ひっくり返るだなんてヒドいにも程がある。
コスプレ衣装は、恐らく入れ替わってるか何かしたのだろう。かといってロビーまで行ってクレームを言って交換してもらう……というのはラブホテル初心者の俺にはちょっとハードルが高い。
じゃあどうなるか……。
俺はこのまま優月にセーラー服を着せることになる。まあまあ優月は嫌な顔をするだろう。それは良い。
そして俺は学生にもかかわらず毎日見ている女学生の服を、ラブホテルに来てまで着せようとする歪んだ性癖を持った危険人物として認識されることになる。
それだけでなく俺はアダルトビデオ的番組のファンで面白くってついツッコんじゃったり一緒に言っちゃったりするらしい。この場合、ツッコむとか言っちゃうとかの意味も微妙に歪んでくる。
現時点で完全に引かれてるでしょ。下心アリアリのアリでしょ……。
仕方なくこういう状況になったとか言い訳できないでしょ、これ……。
ここにセーラー服というセカンドアタックが待っているという状況だ。
ヤバすぎる。
…………。
とりあえず。
ここは気を利かせて誤解を解く方法などはないだろうか。
顔を上げて部屋を見回したところ、大きなベッドの枕元に薄汚れた紙袋が置かれていた。
白いシーツの上に汚れた紙袋を乗せる優月の無神経さを疑いつつ、部屋のゴミ箱に備え付けられたビニール袋を剥がして紙袋の上に被せる。
しかし一体何が入っているのだろう。袋自体は外側に生ゴミの残骸が付着しており、中から何かが染み出しているというわけでは無さそうだった。
あの状態の優月が大事そうに持ち歩いているもの。
あの拒絶反応――パンツなのでは……?
であればこれも洗った方がいいんじゃないだろうか。
俺は何気なく、そして心の底からの親切でその紙袋を開けた。
中には――中央に赤く光るサーキュレーターのような装置、帯の部分には難しい漢字、色は黒。まさしくパンツ――ではなく、ステレオタイプの変身ベルトが入っていた。
「…………」
…………。
ほう。
マジか。
あちゃー。
いや、これは。
そうそう、忘れてた。そんな話もありましたね。
ちょっとコスプレ服のことを考えすぎて、すっかり忘れていました。
変身ベルト。
変身ベルト、だ。
これは誰がどう見ても、変身ベルトだ!
俺は部屋の中のあちこちを歩いた。
全く思考が機能しなかったのだ。からから、ぐるぐる、ころころと、ただ空回りして何の取っ掛かりも得られなかった。
優月が黒服に追われている原因は、コレだ。
剣咲組が、ヤクザが探し回っている代物だぞ?
何で彼女が持っている?
いや、待て。
早とちりはいけない。
これは本当におもちゃの変身ベルトで、優月は特撮マニアなのかもしれない。
もしかしたら、「やっぱV3だよね」とか、「ブラックRXはアリ」とか、「平成ならローグ親しみやすい」とかそういう話が出来る女なのかもしれない。
俺は優月を信用したくて、自分のほうこそ騙されているなんて思いたくなくて、少ない可能性を搾り出しながらも再び紙袋に近づき中身を検めた。
特徴からして、竹中が一生懸命に説明していた変身ベルトだ。紛うことなき。
今日何度も飲んでいる生唾とは違う意味のものを飲み下し、俺は紙袋の中に手を突っ込んで帯状のそれを引き出した。
見た目はやっぱりおもちゃのソレだ。
俺は決して特撮ヒーローに詳しくはないが、ありがちなテンプレートスタイルとはいえ、細かいところは見たことのないデザインだった。
黒地ということもあってどこか禍々しく、正義の味方のグッズには見えない。
だったら、ライバルキャラとか?
なんて思っているところだった。
それは……腕を伝って頭に意思が叩きこまれた、という感覚だった。
『煩悩の声を聞け。我とTogetherせよ……』
「は……?」