05. メロン狩りカーチェイス
夕刻の病院裏駐車場。
沙羅の黒い大型のバイクに得意げに跨り、それはそれは楽しそうに写真撮影会を開催していた竹中とその舎弟二人。
「兄ぃ! 今度はこういう感じで」
「お、こうか?」
「ひゅー! かっこいい!」
「当ったり前だろぉ!」
「そのポーズもいいっすね!」
本当に仲いいな、こいつら。
「沙羅のバイク、ばっちくなっちゃう」
横を見れば、低く掠れた声だけが残っていた。
軌道を目で追えば、沙羅は連中の方へ小走りに。
「待て、沙羅! 連中あれでも――」
「んのらあぁぁああッ!」
剣咲組のヤクザで――!
と、説明する前に、ヒールの小気味良い音が駐車場に響き、沙羅の身体がふわりと浮いていた。
「な……お前ッ!」
沙羅の接近に気がついた舎弟がそちらに顔を向けたが不運、顔面に彼女のドロップキックが刺さり自転車置き場まで吹っ飛ばされる。
もう一人の舎弟も足払い、横払い、かかと落としでノックダウン。
「て、てめえ!」
上機嫌だった竹中がバイクを降り、ご自慢のラリアットを繰り出そうと低い姿勢を構えたが側転バック転で距離を縮め姿勢を整えた沙羅がその太い首に両足をかけ――投げた。
最近、珍宝が試合でかけられたというプロレス技、フランケンシュタイナー……!
竹中の巨体は、隣に駐車されていたバイクを倒し、さらにその隣もドミノ倒しにしていく。
巻き込まれたバイクは気の毒に……。
大暴れした沙羅は……何事もなかったように自らのバイクにエンジンをかけて試合終了。
俺の脳内で、カンカンカーン、とゴングが鳴る。
その間、ものの十秒だった。
「さ、沙羅……?」
「あ、公園に用事あったんだっけ? 送っていこっか?」
「…………」
そうじゃなくって。
昔から運動神経は抜群に良かった。
度胸も据わっていた。
とはいえ、ヤクザとチンピラの三人をこうも簡単に足技でコテンパンにするまでになってしまうとは。
日本を離れてた五年間、格闘家デビューでもしていたのか……?
その重たそうなおっぱいで? という疑問は大いに残るが。
まごまごとしているうちに竹中が身体を起こす。
こりゃあまた怒られちゃうな、と覚悟していた俺からすれば、竹中の言葉は意外だった。
「ぐ、やっぱりこのバイクは……! 双樹の女狐ぇ……見つけたぞ! 鳴滝、貴様も一枚噛んでやがったか……!」
「なんだよ、竹中さん水臭いな。俺をオマケみたいに言って!」
一枚噛んでって……何に?
竹中の言い草では沙羅が主体で俺がオマケ。
沙羅は、もともと剣咲組に追われてるのか?
「なぁるぅたぁぎぃいいッ! ぬおおおおッ!」
しかし単細胞竹中は条件反射的に俺に狙いを定め、再び姿勢を低くして突っ込んでくる。
俺はひらりとかわし、すれ違いざまに竹中を軽く押して軌道を変更。
今度、巨体は高級車のフロントに激突し、車のエンブレムがポロリと落ちた。
ベルト様様、竹中程度ならもう恐るるに足らず、だ。
「禅ちゃん、ドライブしよっかっ!」
状況に全く噛み合わない明るく軽い調子で言った沙羅に賛同し、俺はその後ろに腰を据える。
「竹中さん、じゃあな! また今度遊ぼうね!」
「ぬぁるだぁぎぃいッ!」
すぐにバイクは走り出し、茹ダコ竹中はあっと言う間に小さくなっていった。
*
夜の帳の濃紺色と黄金雲が、狭い空に広がる中で冷えた風を切る。
俺たちはネオン輝く華武吹町の大通りを網羅するように駆け抜けた。
それは爽やかで春風が気持ちの良いドライブだったが……いつの間にか白い車が二台ほど後を追ってきている。
普段、車道を平気な顔して歩く人々も物騒なパレードに気がついて道を開き、次第にパトカーのサイレンもちらほらと聞こえるようになっていた。
迫る白い車から体格の良いお兄さんたちが声をかけてくる。
「ゴルァ、双樹の女狐ェ! 待てやぁ!」
俺と沙羅は互いに白々しく沈黙を守ったが、追っ手の主張が激しすぎたので、さすがに楽しいドライブとはいかず口を出さずにはいられなくなった。
「沙羅や。双樹さんや。これは危機的状況というヤツではないだろうか」
「あ、わかる? さすが禅ちゃんだね!」
「この状況で何を誤魔化せると思ったんだよ! 一体どういうことなんだよ! 俺は公園のジジイに会いに行く予定があんだよ!」
「沙羅もねぇ、よくわかんないんだけど! 帰国してすぐに剣咲組とギスっちゃってさあ」
「ギスっちゃったって、お前! 双樹コーポレーションの代表なんだろ!? 曼荼羅条約とか……その辺マズいだろ!」
「そだよー! だからこうなってんじゃん!」
この人、CEO就任直後……つまり加入直後に、泣く子も黙る曼荼羅条約を反故にしちゃったってこと……!?
「超ヤバいよね、マジウケるっしょ!」
「全然ウケねぇよ! 何やったんだよ!」
「聞いたら引き返せなくなるのに禅ちゃんは優しいなあ~!」
「ぬっ……」
「んふふっ! 女の秘密はそう簡単に背負わないの。そんじゃ禅ちゃん、お口チャックしてね。舌噛んじゃうぞ」
歯を食いしばりながら悲鳴をあげ、俺は沙羅のウエストにしがみ付くのがやっと。
すげえ……この引き締まったウエストにもかかわらず、肉感のある胸と尻。
五年前の沙羅より明らかにエロスとフェロモンがパワーアップしている。
華武吹町を離れていた五年の間、沙羅は確かに……成長していた。
俺が抱きつくのを良しとするかのように、バイクは荒々しくドリフトして狭い路地に入る。
騎手のわがままな運転に従って切りつけられた後輪からは白煙が上がり、ゴムが焦げる臭いが漂った。
すっげー、ハリウッド映画みたい!
しかも入り込んだ路地は、車でぎりぎりの幅。
よく運転するぜ……。
そんでもって、これなら追っ手を撒くことなんて簡単……と思っていたが甘かった。
細道の先、ワゴン車の頭がぬっと現れて道を塞ぐ。
「ぬうぅぅあああぁぁッ!」
塞がれるどころか、バイクは急に止まれない!
加えて、沙羅は「一か八か!」とアクセルをかけていた。
これで病院に運ばれてみろ、俺は三度目の白澤先生……今度こそ洗脳される。バッタ怪人にされる。
きゅるる……。
その時、致し方なしと言わんばかりにベルトのあたりで遠心力がかかって俺は「毎度すみません」と心の中で下手に出た。
煩悩ベルトちゃんは本当に優しい。
バリッと身体に電撃が走り、俺は例によってヒーロースーツにコーティングされ――チンターマニによる追加機能のことなんて忘れていたので――新たな《感覚》に違和感を覚えた。
「――え」
正面のワゴン車までの距離、そのスピードが、まるで手の届く範囲のように明瞭に把握できている。
ああ、そうか。
思い出した。
これは。
まるで、十一面観音エーカダシャムカの、二十の目が増えたかのような。
――とまあ、感動している場合ではなかった。
このまま進めばバイクは……丁度挟まれる!
だがそのタイミングすら掴めていて、俺はその時点ですっかり拍子抜けしていた。
何をしたらいいのかさえ、はっきりとわかっていたからだ。
「ッだらああぁッ!」
瞬間、迫った車体を蹴り上げる。
ヘッドライトが粉々になりながら、車体前方はほぼ垂直に浮き上がり、俺と沙羅をするりと通す。
新しいチンターマニの力は、こんな芸当が朝飯前といえるような精緻さをもたらす《感覚》だったのだ。
「ひぇえッ!?」
破壊音に声を上げつつ沙羅は肩越しに振り返った。
そして声を上げる。
「何、今の! ってか、ウェエエェェ!? 何、そのカッコ!」
「前見て! 話は後でするから、お願いだから、前見て運転してッ!」
幸い沙羅はこの調子だが、切れ者。
頭を切り替えて、人の間を縫いながら歩道を抜けて向こう側の路地に入った。
にしても、だ。
運転してもらっているバイクの後ろ、必死になってくっついている変身ヒーロー……。
普通、かっこよくバイクに乗ってるのはヒーローのほうだろ……。
ただでさえ馬頭観音ハヤグリーヴァの件でイメージ最悪なのに、またしても情けない印象を街に植え付けてしまうのか。
「バイクの後ろ、ベルトネコババ野郎じゃねえか!?」
「ち、違いますニャーン!」
「ふざけやがって!」
俺だってかっこつけられるんだったらかっこつけ――
ぞぶん。
心の中でぼやいていると、十数センチほど身体が沈み、後輪は激しく左右に振れ出した。
同時に、ビッと俺の腕と沙羅の身体の接着面で耳馴染んだ音がする。
一体、何されたんだ?
肩越しに振り返ってみれば、車の窓から上体を乗り出した男の手には硝煙を上げる――銃。
撃ちやがった……!
狭い路地に入ったことで後輪の位置が定まったからだろう。
空圧が抜け歪んだ後輪はさらに暴れる。
「いやぁん! 何してんのッ!」
「あいつら、銃を――」
「そっちじゃなくて、大通りに出る前に沙羅のジッパー上げて!」
「え」
じっぱー?
良く見れば、沙羅のライダースーツが全開。左右にはためいていた。
と、いうことは……残念ながら後ろにくっついている俺からは見えないが、あのメロン級のおっぱいがこぼれている……!?
それは一大事だ!
ジッパー!?
ジッパーどこ!
「やだぁん! そんな下じゃないから!」
一大事なので遠慮なく沙羅の身体をまさぐるも、小さな金具が見つからない。
それでもバイクは止まらず、大通りのネオン色が差し掛かってきた。
沙羅のおっぱいを、その頂上を、大衆の目に晒してはならない!!
俺は咄嗟に、苦肉の策で――そのCEOの果実を両手で包んだ。
風船いっぱいに餅を詰めたような感触、その中に指のほうが埋まっていく。
「んもお、ちょっとおぉぉおぉぉっ!」
「全然ちょっとじゃないよぉ、溢れんばかりだよおぉ!」
大通りの中、荒れ狂う後輪のロデオに振り回され、俺は沙羅の乳の尊厳を守ることに必死だった。
「待てや、双樹の女狐ええぇえッ!」
走って追ってきた連中の声が迫ってくる。
沙羅はヤケクソ気味にハンドルをきって、次の路地裏に何とか滑り込んだものの。
「うっわ!」
俺と沙羅は同時に驚嘆を上げる。
そこは、正面にゴミ溜め、加えてフェンスがそびえる行き止まりだった。
バイクは既にコントロールを失っている……!
「沙羅!」
路地裏に派手に響くバイクの衝突音。
それを聞きつけた剣咲組連中の怒号。
「双樹ぃ! 観念しろや!」
「そこにおるんか! 覚悟せぇい!」
バイクに飛びつく怖いお兄さんたち。
俺たちはそれを――隣接するビルの屋上から見ていた。
いつかのように、俺は沙羅を抱えて狭いビルとビルの間を三角飛びの要領で駆け上がったのだ。
「ふぅー……どうなるかと思った。マジウケる!」
沙羅はそう言いながらあまりにも大げさに開きすぎたジッパーを上げて、チェシャ猫のように笑った。
「そんで、禅ちゃん。その悪者みたいなスーツはなあに?」
「かくかくしかじか、まるまるうまうまって感じで――」
「んん? あれだけしっかり揉みしだいてくれちゃった仲なんだから、ちゃんと教えてくれるよね?」
「俺は沙羅のメロンのようにリッチな御御御乳を守ろうとしただけであって、反射的かつ生理的にああなってしまったわけで……!」
「ふぅん……反射的かつ生理的ねえ」
その瞬間、本気で、本当に、切実に判断に迷って、一切のエロい気持ちが無かったことを懇切丁寧に説明する。
眼下では逃げた沙羅を追おうと剣咲組が散っていき、華武吹町がいつもの喧騒を取り戻す頃にようやく俺の大演説は終了した。
「んなわけないっしょ……? ああん?」
沙羅からの返答は、初手からその雰囲気だった。
こうして剣咲組から逃げ切ったものの、俺は沙羅に気持ちよくない感じで言葉攻めにされた挙句、ボンノウガーのことを洗い浚い白状。
そしてさらなるネチネチとした言葉攻めにあっていた。
「じゃあ、俺はあの状況で一体どうすれば良かったんだよおぉぉぉっ!」
その結果、俺はこの年になって床に伏し本気で咽び泣いていた。
もう二度と、何があっても沙羅の乳を守るまい。
さすがに俺は深く反省した。
その後に付け加えられる「禅ちゃん、今晩泊めてよ」という提案に奮起するので、この反省はあっさりと上書きされるのだけど。