04. CEOといっしょ-(2)
「超、エロい、お姉さんって意味だよん」
そんなわけあるか
…………。
あるのか?
理性では一蹴しつつ、俺は沙羅から溢れ出るフェロモンに釘付けになっていた。
豪快に開いたライダースーツのホックはヘソの上あたり、割れ目からはメロン級の果実二つが深い渓谷を刻んでいる。
しかも、驚くべきことに布やワイヤーを必要とせずに自立していた。
胸だけではない。
がっちりと引き締まったウエストからヒップへの曲線。
俺たちのゲスな妄想がそのまま実体化したようなパーフェクトボディに甘くとろけそうなロシア系美女の顔が乗っかっている。
さて、もう一度考え直そう。
CEOとは?
社長、最高責任者。そういった意味もあるかもしれない。
ただ、双樹沙羅というこの女が《超エロいお姉さん》であることは、覆しようの無い事実としてそこにある。
「なるほどな……」
納得だ。
俺はまた一つ賢くなった。
「大伯父さんの会社、色々あってね。沙羅がCEOに就任すると都合がつくんだって。傀儡政治ってやつ? まあ、そんな感じ!」
すげえこと、しれっと言ったな……。
双樹家は、華武吹町で最も高い五十階建てヘリポート付きのビルを所有する財閥一族。
聞くに、輸出入、レストラン、ファッション、建設などなど……それぞれが好きなことをやっていたらどんどん企業が大きくなってしまった天才たちの家系らしい。
傀儡政治とは穏やかじゃないが、大きな組織だ。
事情ってヤツが色々とあるのだろう。
「まさか気持ちよく散策してたら禅ちゃんと衝撃的再会を果たすとはね。マジウケるんですけど!」
「俺は一方的に衝撃を加えられたわけだが」
こんな軽い調子だが、衝突の直後の沙羅はテキパキと救急車を呼び、救急隊員と話を進めてデキる女そのものだった。
『鳴滝様……受付までお越しください』
そのあたりで本日二度目となる院内のアナウンスが響き、俺――と沙羅が同時に立ち上がる。
何故に?
目を丸くしている俺より先に受付に立つと、バッグから黒い札を差し出し耳馴染んだ甘ったるい声で言った。
「カード使えるぅ?」
彼女が差し出したカードに俺も受付事務員も、目を丸くする。
話には聞いたことがある。
ブラックカード。
クレジットカード格付けランクの頂点。
数百、数千……いや、数億円を動かすことが出来る。
冗談でも「舐めさせてください」なんて言えない代物だ。
毎日カップラーメン(しかも同じ味)生活の人生で、まさか直接お目にかかるとは思っていなかった。
このとおり、入院など必要ないほどにはピンピンしており額なんて知れているが、目の前を行き来した黒いカードの威圧感に俺はすっかり萎縮した。
そういった意味でも魔法のカードである。
双樹沙羅。
俺の元カノ。
CEOにして……巨大企業双樹コーポレーションのCEO。
超高嶺の花は、超大物になって帰ってきたのだ。
逃した魚のデカさに胃がキリキリしてきた。
「禅ちゃん。沙羅がついてるんだから心配しないでね。後でイタイイタイになったら沙羅に言うのよ、ね? お金の力で解決したげるから」
なんちゅう清々しいほどの示談案を、堂々と言ってのけるんだ。
まてよ?
沙羅は日本の常識など知らずズレた金銭感覚で、俺の煩悩を飲み込んでくれるのではないだろうか。
どっかのカモみたいに!
俺は一縷の望みをかけ、さもそれが日本の常識のように願い出る。
「全身が痛い。全身を札束で巻いたり擦ったり叩いたりしてほしい」
「よしよし、まずは頭だねえ」
交渉はあっさりと決裂した。
何の後を引くこともなく。
*
病院を出たところで携帯電話で時刻を見れば……逢魔が時の十七時。
またしても、ずいぶん時間を食ってしまった。
ホームレスの爺さんに話しかけるだけなのに二時間以上かかってる。
それだけ優月とのワインナイトが遠ざかっている……!
ええと、この通り。
俺の頭の中ではいつの間にか南無爺へのタッチダウン=優月とのワンナイトと摩り替わっていた。
薄々違うなとは気がついていたのだが、モチベーションの問題である。
バイクを取りに行こうと沙羅と二人で並んで歩き、病院裏の駐車場にさしかかったところだったが、突然に彼女は足を止める。
上目遣いで覗き込み、分厚い唇に人差し指を当てた。
俺の視線はその先に深く刻まれた肌色のクレバスにぐんぐんと吸い込まれる。
これを揉み損ねたのか……。
「沙羅にはお見通しなんだけどね」
その狭間は両脇から圧が加えられて深度を、吸引力を増した。
視線を外そうももうすでに遅い。
完全にどもった。
「の……にゃにが?」
「超エロいお姉さんのおっぱいを揉み損ねて後悔していてる禅ちゃんが考えてることくらい」
「んー……べ、別にぃ?」
……完敗だった。
本当に俺の考えなどお見通しらしい。
まあ……すっきりした別れ方じゃなかったから俺はひっかかってるものがあるし、もうちょっと上手い事できたんじゃないかっていう罪悪感とか、おっぱいくらい揉んでおけばよかったとか、そこからくる距離感測りかねる的なものもあるわけだ。
えっへん、と胸を張り沙羅は声色を一層明るくして歩き出した。
「心配しなさんなって。沙羅はそんな器の小さい女じゃないの。禅ちゃんにフラれた事とか、我が家の語り草なんだから!」
「え?」
我が家の語り草って、家族に話してるの!?
沙羅は一人娘で……両親に話してるの!?
「ママはその話、超好きでさ!」
「お前の家族、どういう神経してんだよ!」
「だって超ウケるじゃん! 禅ちゃんズボンの前ぱんぱんなのにいきなり土下座してさ!」
「やめろ、やめろ!」
「だから気にしなくていいんだって」
そして相変わらず極めて軽い調子の沙羅。
いい意味でも悪い意味でも、変わったように思えなかった。
どうやら、純朴な俺が意を決して選択した土下座は……無意味だったらしい。
それどころか、彼女は期待していた大学入学を諦め、俺はおっぱいを揉み損ねて童貞も捨て損ねたってことか。
俺の青春らしいといえば、らしい。
とはいえ憎むほどの距離感でもない。
むしろCEOという肩書きにはお近づきになりたいもんだ。
二重の意味での下心――いや、積もる話はあるものの、さてその前に。
俺はそろそろ南無爺に会いにいかなきゃいけないし、その後は優月とピンクな時間を出来るだけ長く過ごしたいわけだし、このあたりで……。
「ああん?」
と、解散を沙羅に持ち出そうとした瞬間、タイミング良く彼女の方が再び足を止めて低い――地声を上げた。
そんなおっかない声あげなくても、と思いつつ彼女の視線を追う。
その先では、かくも楽しそうに写真撮影を行っている見覚えのある連中の姿が。
ああん?
「兄ぃ! いい感じでやんすよ!」
「そうか? こっち側からも撮ってくれ」
「いいっすね! 素敵っすねえ!」
「モデルがいいからな! 今度こっち側からな」
「へい! ああ~、最高っすね! よっ、男前!」
「だろぉ?」
パシャ、パシャ……と携帯電話のシャッター音を鳴らしているのは、沙羅の乗っていた黒い大型のバイクに得意げに跨っている……ああ、あれは。
バカ竹中(着衣)と、その周りをうろちょろしながら写真を撮っている舎弟二人だ。
何やってんだ、あいつら……。