03. CEOといっしょ-(1)
目的地までは、病院から華武吹町を横断するような距離だった。
南無爺から話を聞くべく半ば走るような足取りで向かった二丁目公園。
公園というには手狭な百平米ほどの土地に今日もブルーシートがかけられたダンボールが並び、滑り台などの遊具には薄汚れた衣服が干されている。
備え付けのテーブルにホームレス三人ほどが集まっており、昼下がりだというのに静かにカップ酒を傾けていた。
いわゆる社会性を放棄したものたちの溜まり場となっている。
「相変わらずの治安だな……」
公園手前の信号の無い横断歩道を渡りながら様子を窺うも、俺が小さい頃から変わっていない。
こんなんだから子供が近寄らなくなっちゃって……と、思っている矢先に、その妙な光景は俺の目に飛び込んできた。
哀愁漂うオッサン三人がカップ酒をちびちび飲んでいるテーブルの――さらにその奥のベンチには小汚い服装で赤いキャップをかぶった老人が一人。恐らくあれが南無爺だ。
その前には黒いワンピースに長い黒髪を垂らした十歳前後の女の子。
なんかこう、葬式からそのまま抜け出してきた、みたいな印象だった。
こんなホームレスだらけの公園で女の子が一人だなんて、ちょっと危なっかしい。
一度は心配したものの、俺が最初に感じた違和感の方が鮮烈だった。
老人は怯えるように顔を手で覆う。
女の子はただその老人の前に立ち続ける。
これはただの俺の直感だけど、彼女は自分の存在をもってして老人を責め立てているようでもあった。
隠し子だとか、隠し孫だとか……?
そうこうしているうちに女の子は黒絹のような髪を揺らして去っていく。
南無爺は怯えたままだった。
酸いも甘いも、苦いも辛いも知ることになる華武吹町。
彼らは彼らで、妙な事情があるのだろう。
俺もまた爺さんに用事があるように。
さて、次は俺の番だ。
南無爺、教えてくれ。
煩悩大迷災のことを。
権力者たちの証、華武吹曼荼羅のことを。
爺さん次第では、お一人様ピンクタイムではなく、もしかしたらうまくいきすぎてしまって今晩にはもう優月とアレやコレやと秘密を共有する仲になれるかもしれないんだ。
そう、いつかの続きだと甘やかしてもらって、そして暗転からの朝チュンに。
――まてよ?
であれば、望粋荘では壁が薄すぎる、アバンチュールな夜を遠慮なく過ごすにはラブなホテルに行くしかない。
金が無い。
すでに天道さんにも珍宝にも金を借りてるし……もういっそのこと金も優月に甘えちゃうとか――
「兄ちゃん、危ない!」
「あ?」
テーブルを囲んでカップ酒を傾けていたホームレスの一人が立ち上がり、血相を抱えて叫んだ。
だが、時すでに遅し。
その一瞬前に、ゴァッ、と衝撃が俺の身体を薙いでいた。
さらに、よくわからないけど、視界は反転していた
金も優月に甘えちゃうとか……。
甘えちゃうとか……。
ちゃうとか……。
か……。
思いがけない衝撃、ことさら事故にあうと思考がスローモーションになる、なんて良く言う。
クズ極まりない思考の中、視界には、自らを見事に跳ね飛ばした黒い大型バイクとそのライダー。
ああ、あれが俺を轢いたのか。
胸元を大きく開いたライダースーツに身を包んだノーヘルメット。
短く切りそろえた亜麻色の髪、驚きに大きく見開いたコバルトブルーの瞳と厚ぼったい唇。
ファンタジーの世界から抜け出してきたかのような幻想的な美人――双樹沙羅?
どしゃめり。
――こうして俺はもう一度病院に戻ることとなった。
*
「バイクには気をつけてねって言ったのに~……」
三瀬川病院、略。
個別診察室、略。
清潔感のある略。
同じく白澤先生。
白澤先生は俺の治療を終えると、先ほどと全く同じ姿勢でカルテに書き込みながら嫌味っぽく呟く。
「同じ日付のカルテ書くと思わなかったなあ」
俺だって思ってないよ。
幸い軽傷だったのは、例によってベルトの力なのだけれども。
「でもコレだけの怪我で良かった。禅くんは運がいいね! 宝くじ買えば?」
「あっはは、結構吹っ飛ばされたけど、偶然脚から着地できたっていうか……!」
「すごい! アクション俳優みたいじゃない! ディアーンッ、スタッ、着地ィ……かっこいい! やりたい! あ、アクション俳優といえばさ、新シリーズの――」
そして辛辣な扱いでナースに診察室を追い出された。
ここまではほぼ同じ。
予習済みだ。
意図せず、ループしてしまったが、ここからが俺も困惑の新イベントとなる。
待合室の長椅子に腰掛けるツナギのライダースーツを着たロシア系美女。
抜群のプロポーションに色香漂う仕草、作り物のように非現実的な容姿。
携帯電話をいじっているだけなのに周囲がそわそわと浮ついている。
彼女は俺に気がつくと、チェシャ猫のように笑い、自分の隣の席をぽんぽんと叩いた。
双樹沙羅……。
華武吹町から海外に移住していたはずの、俺のトラウマ。
その笑みの意味が測りきれないんだが。
俺はまな板の上で蛇に睨まれた食用カエルの気分のまま彼女の前に立つ。
座ったら食われる。そう思ったからだ。
「沙羅……なんだよな?」
「そだよー! 沙羅だよー!」
ああ、この感じ……。
この想像以上に軽い調子は間違いない。
ずいぶん、女としての貫禄を上げたようだが、あけっぴろげで親しみやすい雰囲気には変わりない。
彼女はぽんぽん、と再び席を叩く。
最悪な別れ方をして、さらに五年ぶりとは思えぬ親しげな感じで。
「座りなよお。沙羅がいじめてるみたいじゃん。沙羅、禅ちゃんのこといじめてないよ? バイクで轢いただけだよ」
ちょっとは罪悪感持てよ! と、強く出られなかった。
そもそも俺があんなところに突っ立っていたのも悪いし。
「う、うん……」
変化の無いことに一層違和感を覚えつつ、俺は彼女の隣に腰を下ろす。
沙羅は革張りの――よく見れば高級ブランドのロゴが入ったバッグをごそごそとやると、今度はプラチナ色のカードを取り出し差し、両手で出した。
「んもう、びっくりして慌てて救急車呼んじゃったから、積もる話ってやつもまだだったよね。沙羅はね、お仕事で帰ってきたの。怖がらないでいいんだよ」
「あ、どうも」
俺もつい両手で受け取る。
にしても、ずいぶん洒落た名刺だな。
そのプラチナ色のカードには彼女の名前と肩書きが記されていた。
――Futagi Corporation / CEO Sara Futagi
「しー、いー、おー……」
つい文字情報を反芻してしまった。
「超、エロい、お姉さんって意味だよん」
そんなわけあるか。
…………。
あるのか?