02. ヒーローのヒーロー
「今日で治療は終了。でもあまり無理はしないように」
白衣の青年外科医は俺に念を押す。
三瀬川病院は華武吹町の規模からすれば、大きすぎる病院だ。
その成長の理由は、そう――曼荼羅条約。
五十年前の煩悩大迷災ではあちこちで暴動が起きた。怪我人も死人も出た。
当時小さかった街の病院は苦難を乗り越え、その功績から周囲の医療機関を吸い込み巨大化し、今に至る。
何故そんな病院に俺が財布に鞭打ちながら足を運んでいるかというと、なんと十一面観音エーカダシャムカとの戦いで俺の肋骨は折れていたのだ。
しかも骨折に気がついたのが戦いの三日後という体たらく。
戦いの直後から胃のあたりに痛みはあったが、俺はてっきり優月の作った殺人的にマズいカレーを無理して全部食べたせいで内部破壊されたのかと真剣に悩んでいた。
優月には殺意があったのか、と。
どのような毒物が盛られたのか、と。
笑い事ではなく、本当に。
真ッ剣に悩んでいた。
あれだけ物理的に観音に痛めつけられた後だというのに、何の疑いもなくまず内科に行ったのは秘密にしたい。
そんなこんなで。
結局骨折と判明し、通うことになった大病院の個別診察室。
清潔感のある白い部屋。その主も同じく清潔感のある白衣の青年外科医。
本日返却した肋骨サポーターを折りたたみデスクに置くと、その外科医は「しかし見違えたなあ」と、親戚のオジサンめいたことを呟きながらカルテに諸々を書き込んだ。
「禅くんはずいぶんイメチェンしたんだね。二年前に入院してた頃は、大人しそうな子だなあって心配していたんだ」
白澤光太郎先生は、俺が生死の境目を彷徨ったときに担当してくれた、まさしく命の恩人だ。
年は男盛りの三十代、童顔で柔和そのもの。
いつも朗らか、時に熱血、稀に破天荒。
変身はしないが、事実たくさんの人を救って、誰からも愛されている華武吹町ナンバーワンヒーローだ。
少し恥ずかしい話だが、真似している部分さえある。
俺の憧れ。
俺の理想。
「そっちの方が似合うし、僕はいいと思うよ」
「マジっすか! 皆、やれ不良だとかサルだとか散々言うから嬉しいな!」
「ふふふ、皆か……何より若手の特撮ヒーローっぽくてかっこいいよ」
「え……ッ!?」
正体がバレた!?
何か、こう、上手な言い訳を……!
俺お得意のしどろ&もどろが発動する前に、ズバッと俺を指差し、しかし白澤先生は見当違いな話を始める。
「最近は金髪茶髪の若い俳優さんが主人公やること多いでしょ? ヒーロー」
「あ」
「デューン、ぎゅんぎゅんぎゅんぎゅーん! じゃかシッ、フォルムチェーンジッ!」
俺と助手のナースが同時に声を漏らした。
ああ、そうだった……。
始まってしまった……。
白澤スイッチ……。
俺は両手で顔を覆って会話を遮断しているつもりだったが、白澤先生はお構いなし。
次々に歴代特撮ヒーローの主人公とその俳優を列挙する。
老若男女に愛される街のヒーロー白澤光太郎が愛して病まないのは、特撮番組だった。特に日曜朝のやつ。
二年前、入院数ヶ月が決まり落ち込んでいた俺に、お気に入りのメディアを押し付け毎日感想を聞きに来るという……そういう空気読めない系の猛者でもあった。
今現在、デスクの小棚の上にも彼一番のお気に入りだというシルバーを基調とした変身ヒーローのフィギュアが、何故かおすましポーズでちょこんと座っている。
三度のナースより特撮番組が好きだなんて俺からすればどうかしているし、他者から見てもその熱量は度を越えているはずだ。
ナースや患者の間では、この地雷のことを「白澤スイッチ」と呼んでいた。
「先生、カルテ頂けます?」
見かねたナースが割って入った。いつものことという手馴れた感じで。
白澤先生は渋い顔をしながら咳払い。
スイッチを元に戻す。
「じゃあ……禅くん、もうバイクに轢かれたりしないようにね」
「ぅ、うっす」
当然だが、十一面観音様と戦っていました……と話すわけにもいかず、俺はバイクと軽ゥくぶつかったなんて言い訳をしている。
だが俺の身体にはバイクと軽ゥくぶつかったにしては不自然な切り傷も出来ており、白澤先生は喧嘩にでも巻き込まれていると思っているようだった。
今回も厳しく俺の目を覗きこんで……ようやくして俺が口を割らないと悟ったのか、にこっと笑う。
「それでは、気をつけて」
「あ、ありがとうございました」
……心苦しい。
白澤先生はボンノウガーの話をしたら、きっと喜ぶだろう。
この先、怪我が重なるかもしれないし、話しておくのもアリなんじゃなかろうか。
白澤先生は尊敬も信頼も出来る大人だし……。
性欲エロビームが出ますって言うのはちょっと夢を壊しそうではあるけれど。
「白澤先生、あの……」
「なんだい?」
でも……。
金歯。
豊胸。
怪仏化の原因、チンターマニの出所は医療機関なのではないか。
そんな漠然とした推理が俺の言葉を詰まらせる。
沈黙に困った俺は――考えなしに口を滑らせて悪手をブチ抜いてしまった。
「あ……今度、時間あるとき教えてください。ヒーローモノのやつの」
「お、いいよッ! 最近のシリーズってCG凄いからさ、アクションとかも派手になってさ、デューン! デュクシューッて――」
白澤先生はスイッチオンで一瞬にして特撮少年の顔だ。
本当に好きなんだなあ……。
多分、白澤先生が好きなそれはかっこよくて、愛と正義を訴えていて……ボンノウガーとの違いばかりが目立って心が辛い。
そこにまたしても「白澤先生? 今じゃないですよね」と俺の代わりにナースが横からさえぎる。
「はい……」
そして、もういい加減にしろと言わんばかりにナースは、漫才の原因である俺にターゲットを変更。背中を押して診察室から追い出し睨みつけながら扉を閉め……締め出した。
俺としてはそういう冷たい感じ、悪くないです。
むしろ、好きです。
しかしこれにて本日で治療終了か……。
ナース鑑賞週間も今日でおしまいと思うと、非常に後ろ髪引かれる思いだ。
優月が不足している今、陽子を汚したくない今、幾夜となくお世話になりました。
もうちょっと頑張れそうです。
ありがとうございます。
ある意味、純真極まりない気持ちをもって心の中で両手を合わせた。
それから、週一で会っていた白澤先生と顔を合わせなくなると思うと、望粋荘に味方がいない俺としては寂しいものがある。
待合室に座り会計を待っている間、名残惜しさからか白澤先生の声が脳裏に甦っていたほどだ。
――絶対に助けるからな! 絶対に救ってみせるからな!
いつの声だっけ。
ああ、そうだ。
瀕死で担ぎ込まれて意識朦朧とする中、何度も声をかけ続けてくれた。
そして本当に助けてくれた。
かっこいい。
アツい男だ。
ヒーローって、やっぱあんな風にあるべきだよな。
なんで白澤先生じゃなくて、俺なんかが煩悩ベルトに適合し……。
と、悲観を気取った矢先、俺の視線は通り過ぎるナースの尻を無意識に追いかけていた。
まあ……原因はこれだろう。
「もう本当に嫌だ! 自分が嫌だッ! 煩悩が嫌だッ!」
変身ヒーローになって約二ヶ月。未だに愛と正義と夢と希望とは縁遠い。
借金は膨れ上がり続けている。
唯一変わったことといえば、陽子が俺を好いてくれているっぽいってことくらいで、それがまた新たな火種となりつつあった。
陽子は可愛いよ。
にこにこしていて、大らかで、俺が何言っても好意的に受け取ってくれる。
くっついて歩いてくる子犬みたいで。
そしてあの美脚。膝の上に乗せたり、肩車したり、ふりかけをかけて舐めたり。楽しみ方色々。
優月なら血を見ることを、きっと今すぐにでもさせてくれだろう。
しかし、その後ろに構えているばっちゃの重たい制約が俺にたたらを踏ませていた。
俺だって優月は大事、陽子も大事!
だからこそ慎重であり、だからこそ味見をさせてもらいたいというのは当然のことだ!
不純なんかじゃない!
難攻不落の優月。
ワンパンでババアの制約が待っている陽子。
どうにかうまいこと、両方なあなあに、同時進行に出来ないだろうか……。
『鳴滝様……受付までお越しください』
奇声を上げたせいか、そのあたりで少々急いた呼び出しアナウンスがあり、診察料のやりとりを終え、逃げるように病院を出た。
午後の気だるい太陽の西日。夕方になりつつある。
祝日だからか、診察までに思ったよりも待たされてしまった。
じゃあ、スーパーも混み合っているだろう。カップラーメンはまだあるし、諦めておくか……。
っつーことで予定は変わりなくお次は本日のメインイベント、二丁目公園。
ホームレスの爺さんに会いに行く、だ。
優月の曼荼羅の件……いや、失われしピンクタイムを取り戻すために奔走していた俺に、煩悩大迷災の情報を与えてくれたのは意外も意外、灯台下暗し。
望粋荘、一○三号室のUFO研究家、天道巳晴さんだった。
天道さん曰く《奇病》を患っており、彼は十歳前後の子供のまま成長が停止している。
そのせいで、すっかり忘れていたが天道さんは六十過ぎのおじさんで、煩悩大迷災当時はそれこそ十歳の少年だったのだ。
《奇病》といっても、自らショタジジイをネタにしているのだから深刻なものでもないのだろう。
……あのおっさんは、自らショタジジイをネタにして、無自覚に若い女の子に絡みにいっている天然たらしなのだから、深刻なものでもないだろう。
俺は僻んでなんかいない。
ちょっとくらい女子大生を紹介してくれてもいいだろうとは思っているけど。
そんな天道さんは、
「何せ、僕は当時病弱で親から外に出るなって言われていたしね。煩悩大迷災の実情は良くわかってないな」
まずは誰もが口を揃えて教える内容を話し、続けて子供を脅かすように語り始めた。
「でも公園の爺さんは何か知ってそうだけどね。あの公園、昔は神社があったんだよ。輝夜神社っていう名前。煩悩大迷災のときに暴徒が押し寄せたか何かで取り壊されちゃったけど。今でも公園の隅っこに小さな塚があってさ、そこでいつも赤いキャップかぶった爺さんが両手を合わせて、許してくれ許してくれ~……って念仏を唱えているそうだよ。だからついたあだ名が《南無爺》。あの爺さんはきっと何か知ってるよ」
逸話から、その南無爺が事情持ちであることは想像がつく。
さらに慎重な天道さんが確信しているのだ、かなり期待できよう。
こうして、幸せな煩悩タイムへの小目標「秘密を握るジジイへのタッチダウン」が俺の中に色濃く設定されたのだ。
――と、まあこのフリである。