13. VS 十一面観音エーカダシャムカ-(2)
悪い想像が過ぎった、その時だった。
バァアアン、と鞭を打ち鳴らすような音が響いたかと思うと、赤い両羽が横を通り抜けた。
明珠高校。
ここは、この男の独壇場。
しかし、相手は――!
エーカダシャムカに突撃した赤羽根は一閃を振り下ろす。
「見えておるわ」
だが同時にエーカダシャムカが振り向きざまに蓮華チェーンソーを叩きつけ、木片と火花が飛び散り――赤羽根が右手の武器として振り下ろした椅子の脚に噛み合っていた。
「何が見えてるって……? 答えてみろ!」
となると、左手の竹刀がエーカダシャムカのわき腹に入り、黒い身体が壁に叩きつけられる。
「ウッソだろ!?」
俺は思わず大声を上げた。
赤羽根の強さは異常だ。
俺だけでなく少なくとも明珠高校の皆々はこいつのことを阿修羅か何かだと思っていた。
当然それは人間相手が前提で、だ。
さすがに超常の存在ともあれば別――ではなかった……!
「……貴様、何故我が如意が……我は観音、十一面観音エーカダシャムカぞ! その救済を拒むとは……!」
そうだ。
如意とかいう攻撃で、俺どころか陽子も教室内に残っているだろう生徒も苦しんでいる中、赤羽根だけがいつもの暴力教師としてそこに立っている。
何故!?
「煩悩とやらを責めているようだが、俺に後ろめたいことなど一切無い。清廉潔白! 無私無欲! 完全無欠! 実力行使! 風紀を乱すものは、生徒だろうが、教師だろうが、PTAだろうが、部外者だろうが――観音だろうが許さない。反省文か、痛い目を見るか、どちらかを選べ」
異形の存在――観音に対してもその態度の赤羽根。
つまり赤羽根は、あの散々な暴力に対して、そもそも全く心を痛めていない、正当であると心底思っている……ということだ。
殴るほうも痛い愛の鞭とか、そんな生っちょろい意識でないだけあって、いっそ清々しい。
俺は……もはやここまで自己肯定が一貫している暴君に対して心底呆れる一方、かっこいいと思わざるを得なかった。
先生として尊敬したり、ましてやここまで尖った人間になりたいとは思わないけど……。
「観音の如意を意に介さぬとは、なんという我の強さ……見上げたものよ。ではこれならどうか?」
エーカダシャムカの正面の顔が波打つ。それを皮切りに他の顔も揺れ、白さを取り戻していく。
やがて十一の面いずれもが吉宗千草の顔になっていた。
不気味な形状に陽子がとうとう頭真っ白という表情で固まり、赤羽根もさすがに眉をひそめる。
「先生……先生、ごめんなさい……助けてください! 痛いんです、怖いんです……! 助けてください!」
吉宗千草の悲痛な声が重なっていく。
「くそ、宿主を盾にしやがるとは……!」
俺が拳を握る横で赤羽根が眼鏡のブリッジを持ち上げる。
「だからどうした」
「何だと……? 貴様、見捨てるというのか……? この娘の記憶によれば、教え子なのではないか?」
「正義に犠牲はつき物だ」
そういって再び竹刀と半壊した椅子を構える。
「そこの小汚い色の」
「あぁん!?」
多分、俺のことだ。
「俺にはあいつの如意とやらがただの耳障りな音にしか聞こえない。俺があいつを抑えている間にどうにかしろ」
「どうにかしろって簡単に言うけどな――」
「一丁目の歓楽街で暴れ馬をやったのは、貴様だな? アレも似たようなものだろう」
「な……」
知っている。
ボンノウガーの存在を知っている。
赤羽根は馬頭観音ハヤグリーヴァを俺が、ボンノウガーが倒したことを知っている。
なお、赤羽根は同時刻に鳴滝禅が一丁目の歓楽街でうろうろしていたのも知っている。
…………。
絶対にボンノウガーの件で絡まれたくない。
俺は全力全身で正体を隠蔽することを心に決めた。
「そ、それは……いつのことだったかな、一丁目だったかな? もしかしたら二丁目だったかな?」
「どうにかしろ、と俺は言った。言い訳するな」
「だからどうにかしろって言われたって、俺の攻撃はあんたも巻き込むタイプで――」
「二度言わせるな。正義に犠牲はつき物だ」
観音、及び変身ヒーローにも同様の態度で圧をかける赤羽根。
そして三度目が無いと言わんばかりに飛び込んでしまった。
再び蓮華チェーンソーと椅子のパイプが噛み合う。
白い吉宗の顔はみるみる黒ずんで、エーカダシャムカの恐ろしい形相に歪んでいった。
「勝手に進めんなっつーの!」
俺は煩悩ベルトに手を添えつつ、あれでもないこれでもないと悶々メモリーを引っ掻き回していた。
陽子とのチィーッス、吉宗の仮初おっぱい。
それらは大変素敵なエネルギーになりそうだったが、ここに本人がいるのが俺にとって大問題。優月の二の舞は踏みたくない。
その優月は今、ここにいない! 好都合だ!
そう、俺は平穏無事に帰って新習慣の覗きを楽しまなければならない。
さらに優月は今デレている、雰囲気次第ではあわよくばがあるかもしれない。
このとおり、俺は二週間前から一歩も進歩していないが、二週間前同様に白い光はぐいぐいと集まってきた。
前方ではエーカダシャムカと赤羽根が対峙している。
なんだかんだいって筋が通っている赤羽根ごとやっちまうのは少し――かなり気が引けるが正義に犠牲はつき物らしいからな!
俺は遠慮もためらいも逡巡もなく、集まった白い光を解き放った。
「――今晩こそ生着替えを覗かせろおおおおおおッ!」
廊下いっぱいの煩悩ウルトラなんとかビーム。
俺の視界が真っ白に埋め尽くされる中で、赤羽根の声が聞こえた。
「何……!?」
廊下の突き当り、壁に圧が着弾した重低音が響く。
目の前が晴れると、そこにはただの吉宗を抱えながらも見事に攻撃を回避した赤羽根の姿があった。
赤羽根は正面の壁が凹んでいる様と、そして俺を、と驚いた様子で見やる。
らしくもなく、額の冷や汗を拭っていた。
その腕の中で、可愛らしい女子生徒姿の吉宗はぐったりとしている。
「ど、どういう状況なんだ……?」
片眉を吊り上げ、赤羽根は端的に返した。
「着弾前に元に戻った」
「何!?」
倒したんじゃ、ない!?
つまり観音が怪仏化を解き、肉体を一旦手放して――逃げられたのか……!
静かになった廊下にざわつきが戻ってくる。
生徒が廊下に顔を出して次々に俺に視線を差し向けた。
「なんだ、あの赤黒いの……?」
「妙な音を出すやつの仲間か?」
「覗きとか、気持ち悪いこと言ってたよね……」
しかしまずい……。
ここで弁解せず逃げれば、どんな噂が立つか……。
いやでも逃げなきゃ。
いやでもチンターマニが……。
バアァァアン!
竹刀の音が落ちて、再び静寂に包まれる。
何事かと、俺もびびって硬直してしまった。
「ここは俺が収拾をつける」
赤羽根は小声でそう言った後、
「おい、覗きの変態野郎。助力感謝する。だが部外者には立ち退いてもらおう!」
と、一つ芝居を打った。
もっと表現に配慮してくれれば俺の個人的な問題も片付いたのに。
「あ、は……ハイでありまーす!」
ざわつく教室内。
変態。
覗き。
生着替え。
覗きの変態野郎であることを今後一年間の生活空間でぶちまけてしまった俺は、敬礼をするといそいそと窓をあけてそこから抜け出す。
絶対に!
断固として!
鳴滝禅とボンノウガーを結びつけるわけにいかなくなった。
とはいえ、吉宗の胸にチンターマニがあることは変わらない。
戦いは終わっていない。
エロビームで観音をぶっ倒せばそれでおしまいだと、かる~く思っていた俺はこれからどうしたら良いか……真の変態王子アキラに助言を求めるしかなかった。
それにしても……。
赤羽根のやつ、観音まで押さえ込みやがって――あいつ、ちょっと強すぎないか!?