11. 偽りの神、偽りの父
「お付き合い、してもらえないでしょうか……」
一撃目から王手詰みだった。
まだどこか疑心暗鬼で、校舎裏に行っても誰もおらず後で悪戯だったと判明する……そんな可能性が二割、本物だとしても「友達から」と言いくるめて煙に巻けばほくほくハーレム展開だ! なんて希望を抱いていた俺は、会話もそこそこにそう切り出した吉宗の前で引きつり笑いのまま硬直していた。
右手に聳え立つ校舎。
遠い部活動の掛け声。
校舎外からの目隠しに植樹された木々。
学校に用事の無い生徒は授業が終わるや否や街に繰り出してしまうので、雑草が生い茂った校舎裏は他に人影もない。
吉宗はただただ自分のつま先――というよりその間の障害となっている巨なる乳を見つめて、俺の返事を待っていた。
生徒会長。
清楚可憐な眼鏡っ娘。
あとおっぱいが大きい。
優月と陽子の間で右往左往していた俺の前に現れたまさかの第三勢力だ。
そして一番おっぱいが大きい。
ちょっと偵察しようと思ったらこの状況。俺は迂闊だった。
正直、三人ともそれぞれ可愛い。
OK、問題ない。
合格です。
だが俺が恐れているのは、残った二人のリアクションだ。
優月は何を考えているのか全くわからない。何も考えてないかもしれない。ただし煩悩ベルト、ボンノウガー周りの話で一蓮托生の今、気まずくなるのは目に見えている。
陽子は、というかその後ろについているばっちゃが恐ろしい。お得意の精神攻撃で追い詰めてくるに違いない。
吉宗は……こうして脂汗を流しているだけの俺にちらちらと視線を送り、祈るように指を組んでいる。その腕が持て余し気味のおっぱいに食い込んでおり、現在進行形でエロい。
「あの……ダメ、でしょうか……」
吉宗の声が震えていた。
はっとして顔を上げると両手の指先で口元を隠しつつ目に涙を溜めた彼女の姿があった。
「ダメとか、そういうのじゃ……! ちょ、ちょっと考えさせてくれないかな」
「そんな……中途半端な答えじゃ困ります……!」
彼女の目の淵で表面張力を起こしていた涙がついに落ちる。
刹那、俺はお袋のことを思い出す――が、すぐに優月の腕の感触と耳に残る不器用な罵倒に、心を往復ビンタされて目を覚ます。
いまだにぐずつく俺に、吉宗は一歩踏み込んできた。
「お願いです、はいって言ってください!」
「そ、そんなっ!」
なんだかずいぶんと押しが強いコだな……。
そんなコなのか……?
嫌いじゃないけど、何か変。
切迫した様子に違和感を覚え、俺は彼女の表情を覗きこむように首をかしげた。
今度、吉宗は視線を逸らす。
やっぱり変だ。
先ほどの甘酸っぱいものとは異なる沈黙が流れた。
俺たちにとっては長く気まずい時間であったが、秒数にしてものの十数秒だろう。
結局、再び話を転がしたのは俺でも吉宗でもなく校舎の影からぞろぞろと現れた見覚えのある連中だった。
「いつまで、だらだらイチャついてんだぁ?」
津留岡軍団は大将を中央に据えて並び立つとハイエナのようにせせら笑う。
「煮え切らない態度してんじゃねえよ、鳴滝。生徒会長様がお付き合いしたいって言ってんだぞ。陽子と別れてこっちにすればいいじゃねえか」
どっと笑いがあがって俺は吉宗に向けていた視線をそのまま津留岡たちに投げかけた。
……なるほど、ね。
「やっぱりお前らの仕業か。お陰でちょっといい夢見たぜ」
「何を強がりを!」
「しかし、なんで品行方正の生徒会長ちゃんまでがそんなことに加担を……」
吉宗に話を振ったはずだが、それにも津留岡が答えた。
「へへ、そいつが豊胸手術したってのをネタにしてやったのさ! 留年疫病神と偽装爆乳なんてお似合いだぜえ?」
「津留岡さん! それは言わないって約束だったじゃないですか!」
偽装爆乳――だと!?
「言うも言わないも、お前はつるっぺただったじゃねえか。皆、言わないだけで変だって思ってんだぜ。知らないのはそこの留年だけだ」
「……っ」
「やめろよ、豊胸手術っつっても、吉宗は別に悪いことしているわけじゃないじゃん……! おっぱいを盗んできたわけじゃないんだろ!? てか津留岡、人のこと言うなよ! お前だって偽装頭皮だろうが!」
さらに硬直する空気。
偽りの髪。
偽りの乳。
いずれかに刺さる視線を解き払うように津留岡が唸った。
「もう茶番はおしまいだ! こうなったら力ずくでもお前らのチィーッス写真を撮って校内にバラまいてやる!」
不良たちの嘲り笑いの中、俺は「力ずく」という言葉が頭に引っかかる。
二週間前に戦った馬頭観音ハヤグリーヴァは「力ずくでの救済」と言っていた。
津留岡のヅラがチンターマニを埋め込まれたものであれば、その兆候が出ている……?
なんにせよ、俺と吉宗はここから逃げるのが最優先であることに変わりは無さそうだ。
吉宗の手を掴むと彼女が驚くのも他所に、人差し指を空に突き上げた。
「あ! UFOだ!」
「…………」
俺の算段だと、どうせ頭の悪い不良連中のことだから「えっ、どこどこ!」と言って隙が出来るはずだった。
だが、誰一人として微動だにせず、それどころか不良たちの群れから「そんなだから留年すんだよ」と至極冷静な野次が飛んだ。
ですよね。
UFOとか興味ないもんね、そもそもね。
派手に咳払いして再び天を指し、俺はこの連中が苦手とするものに言い直した。
「あ! 赤羽根だ!」
「…………」
英語教師が春の空を飛んでいるわけが無い。
言った後で俺にもわかった。
ってか、赤羽根は俺も嫌いだし。
「そんなんだから留年――」
ですよね。
そう身構えていた俺の目の前、舞い飛ぶ雑草と土ぼこりの中で赤いジャージがはためいていた。
「――え?」
耳に残った着地音。
唖然として校舎を見上げると三階の窓が一つ開いていた。
――マジかよ。
「またお前か、鳴滝」
俺だけではない。
不良や吉宗さえも、文字通り降って湧いた赤羽根・ジャスティス・正義に声無き悲鳴を上げていた。
「ふ、ふ、不良に脅されていましたッ!」
俺は言った。
五秒以内だったはずだ。
バァアアンッ、と竹刀が大仰に返事する。
「自分のことを棚に上げて何をおかしな事を言ってるんだ。虚言は反発行為と見做すぞ」
「何で信じてくんねえんだよ! てかお前、俺のこと折檻しただけじゃねえか!」
「フン」
赤羽根はメガネのブリッジを持ち上げると流し目を津留岡に向けた。
「脅されていたのは吉宗のはずだ。貴様はいい話にホイホイついてきたサルってところだな」
「おまっ……もしかしてずっと上から見てたのか!?」
それには返事なく、赤羽根は竹刀を肩にかけると津留岡たちに向き直る。
「貴様らはもはや言い訳無用」
「みんな、逃げろっ! 散れ、散れ!」
「逃走は反発行為と見做すッ!」
赤羽根の一歩は数メートルにもおよびあっという間に距離を詰めると津留岡のリーゼント――型をした被り物を中空に打ち上げる。
さらに一人捕まえてはぶん投げ、一人捕まえては竹刀で打ち、左右から飛び掛られたものを躱して地に叩きつける。一部はすでにしゃがみこみ頭を抱えて謝っている始末。
やっぱりめちゃくちゃに強い……。
この騒ぎに気が付いたのか、校舎の窓からぽろぽろと畏怖と興味の視線が零れ落ちてきた。
阿修羅眼鏡。
押し売りジャスティス。
一人水戸黄門。
様々な二つ名、あるいは陰口はあるものの赤羽根は決して悪人ではない。
「あ、あの……これは逃亡じゃないんすけど……赤羽根先生はお忙しそうだからなー! 帰りたいなあー!」
「用が無い者はさっさと帰れ!」
「はい!」
「校舎に残っている連中! 貴様らもだ! ここは学び舎であって遊び場ではない!」
「そうだぞ、皆さっさと帰れ!」
「やかましいぞ、鳴滝!」
善意と常識は微妙だが、状況と話はわきまえているようで、手を休めることなくガミガミ叱る赤羽根。
俺と吉宗、そして校舎内の見物人は蜘蛛の子を散らしたようにその現場を離れていった。
*
息を上げる吉宗はとうとう座り込んだ。
グラウンドの体育倉庫裏に逃げ込んだ俺と吉宗。
屋外競技の用具入れとなっている倉庫はそう大きくない鉄板の掘っ立て小屋だが、人間二人が身を隠すには十分だ。
安心したのもあり、俺もその壁に背中を預け、息を整える。
「ようするに、吉宗は津留岡に脅されていただけってことでいいんだな?」
「はぁ……はい……ごめんなさい」
「気にすんなって。俺だって誰かに言ってまわろうってつもりじゃないし」
「あ、ありが――」
「偽物だろうが吉宗のおっぱい、すごくエロくてイイからな。シリコンってことは触っても……」
「…………」
俺は一体、何度このパターンをやれば気が済むんだ。
一瞬にして凍り付いた空気に言葉をかぶせる。
「でも豊胸手術って結構お高いんじゃない?」
エロの話を数字の話に摩り替えるとは、さすが俺だ。
吉宗は目をしばたかせると深刻そうに視線を流し「タダだったんです……」と自らのその乳を抱きかかえた。
「華武吹町にある大きな病院でモニターを募集していて……本当だったら凄くお金がかかるから胡散臭いなって思ったんですけど、どうせお金なんて用意出来ないから、手術を受けて……今のところ、なんともないので喜んでたんですけど……やっぱりちょっと変ですよね」
病院。
胡散臭い手術。
身体への装着物。
…………。
チンターマニ。
「ま、なんとも無くて良かったじゃん! 人の噂も四十九日って言うしさ!」
「それは……人の噂も七十五日、かな?」
相変わらず偏差値三十以下の俺であったが、吉宗に笑顔――ともあれ苦笑ではあったものの緩やかな表情が戻ったので良しとする。
「バカを露呈してしまいました」
「ふふっ……ん、けほっ、けほっ! もう、鳴滝くんが面白いこと言うから……!」
胸を押さえる吉宗に手を貸すと彼女はためらい無くそれを取る。
特別かどうかはさておき、俺と吉宗はこうして仲良くなった。
――と、いい感じに締め括ろうとしていた俺の耳に飛び込んできたのは、二週間前に聞いた割れた電子音のような声だった。
「帰依せよ」
「え――」