10. 恋文うんこマン
翌日の登校、ここからが学校生活本番だ。
しっかり六時限目まで授業ぎゅうぎゅうで、ついでに俺は購買で高い惣菜パンを買うことになる。
起きたくない。
気が重い。
望粋荘でだらだらしていたい。
覗きのせいで寝不足になってる分、ゆっくり寝たい。あと金も無い。
そう思っていた俺を起こしたのは携帯電話のアラームではなく、扉を叩いた優月の声だった。
俺はいつもの数倍鬱陶しく優月にちょっかいを出したにもかかわらず、暴力なし罵倒だけを受け、望粋荘を送り出されて、通学路でうきうきと考える。
要するに、俺は人間としてカウントされている。
前回の煩悩ハイパーなんとかビームで木っ端微塵になった信用が戻りつつある。
好感度が上昇方向、つまりこのまま維持できれば優月とのTogetherが約束されている……!
どうしよう、望粋荘の壁は薄いから金を切り詰めてでも今度こそラブホテルで――。
と、まあ。
連日の覗きからくる寝不足もあって俺は妙に飛躍気味な結論に至り、そして余計、金を出し渋り、早く帰りたくなっていた。
校舎内に入り下駄箱の前に立ったところで俺の汚れ切った煩悩とは真逆の、爽やかな声が駆け抜ける。
「禅兄ーっ! おっはよーっ!」
言い終わる前に俺の背中に着弾した陽子。
頬は紅潮し、息は上がっていた。
何か……違う。
「校門で後姿見つけたから走ってきたんだけど、やっと追いついたよ!」
「おはよう、元気だな」
「ふ、普通だぜ?」
そういう陽子だったが、短くなったスカートの裾を掴んで落ち着かない様子だった。
短く……。
スカートが、短いッ!
肌色が、多いッ!!
「よ、陽子……! 普通じゃん! スカートの長さ!」
「だから、普通なんだよっ!」
ばっちゃに叱られたことを素直に修正したのだろう、それによってスケバン風ではなくなっていた。
貧の乳を助長していた長いスカートよりも、スレンダーな陽子の体系を押し出した今のスカート丈のほうが断然良い。
化粧も、かなり薄く眉毛を少し描いただけのようだった。
そっちのほうが可愛い……!
当然、そんな気障を俺が言えるわけがなく、ただただその健康的な足を遠慮なくガン見していた。
貴様、何故今までそれを。
そんな見事な御御足をロングスカートなどで隠していたのか。
まてよ……このスカートの短さなら……肩車が出来る。
陽子の健康的な足を、両手両肩と首で楽しむことが出来るのではないだろうか。
天才はやっぱり考えることが違うな。さて、どうやって肩車まで持ち込もうか……。
真剣に見下ろしている俺の視線を勘違いしたか、陽子はからかって笑う。
「禅兄こそ、うつむいて眠たそうだな。朝飯食ってる?」
「そんな余裕あるわけないだろ」
金銭的にも、時間的にも。
現在は性的な意味でも。
「禅兄、貧乏だもんな」
半分だけ正解して陽子はバッグの中をごそごそと探って俺にからし色の巾着袋を差し出した。
形状、大きさから見るにそれは――
「はい、弁当!」
「はい?」
まさか、幼馴染による手作り弁当!?
「ばっちゃがさ、禅兄にもって」
「…………」
精神攻撃を行ってくるタイプの婆さんの手作り弁当……。
俺は逡巡した。
陽子はチィーッスの時に恋愛なんて興味ないと言っていた。
おそらく裏表の無い陽子のことだから本心だ。
だが、彼女の祖母はどうも俺と陽子をくっつけようとしている。
陽子の意思を無視していいのだろうか。
そもそもばっちゃの策略を知っていながら簡単に乗っかっていいのだろうか。
俺は……その、優月が……。
薄壁一枚向こうのお姉さんとのTogetherが……。
「奮発してサイコロステーキ入れたってさ!」
「ありがとうッ!」
牛肉!
牛丼チェーン店以外で摂取する機会の無い、天上界の食べ物。
ごく稀に欠片のような牛肉にもめぐり合うことがあるが、サイコロステーキであれば塊肉を期待していい。
俺は今日、牛肉を食べる。
その約束された未来に脳内天使が鐘を鳴らした。
いや、違う。
違うんだ。
ここに弁当は存在してしまっている。
ばっちゃの良心と、牛の命を無碍には出来ないからであって、俺は明日からの弁当は断りを――
「明日は豚のしょうが焼きだってさ!」
「豚肉ゥ!?」
「ばっちゃのしょうが焼きは美味しいんだぜ~! 今日の晩から準備して漬け込むから柔らかくて味がしみこんでてさあ!」
――同様のパターンだった。
靴を履き替える陽子の姿に、自分がここに何をしにきたのかを思い出し、俺も下駄箱をあける。
「今日から仕込んでるのか! めっちゃうまそうじゃん! 楽し――」
俺の上履きの上に、封筒が一枚置かれていた。
とってもとっても分かりやすいことに、ハート型のシールで封をされていた。
「どした? 禅兄」
「――」
ボガシャァァンッ! と、シンバルのような音が周囲に響き渡った。
力いっぱいに下駄箱の蓋を閉めた俺は完璧に裏返りきった声をあげる。
「な、何でもないよ! ハハッ!」
「あんまり似てねぇけど、それ……」
「腹具合が悪い……かなあ……なんて……ハハッ!」
「大変じゃん! 保健室行こうぜ!」
「大丈夫、大丈夫! トイレ! ちょっとここで休んだらトイレ行くから!」
「あ、そう。うんこじゃしょうがないな」
「こら! レディの自覚を持ちなさい!」
「じゃあ、アタシ先行くから」
思いの外……少し寂しくなるくらいあっさりと陽子は踵を返し、校舎の奥へ入っていく。
落胆半分、安心半分。
俺は再び下駄箱を開いた。
見間違いなどではなく、その古典的な封筒は確かに存在していた。
「…………」
恋文だ。
Love Letterだ。
俺はしばらくそのまま生唾を飲んだり冷や汗をかいたりしながら封筒を怪訝に睨んでいた。
……いくらなんでも、フラグが乱立しすぎではないだろうか。
昨日からツンデレのデレがフルスロットル継続中の優月。
偶然、クラスが一緒になり再会した妹分の陽子。
そしてこのラブレターの主。
俺がいくら不遇だったからといって、モテ期が一点集中しすぎている。
不自然だ。
まるでラブコメだ。
そこで俺はぽんと一つ手を打った。
悪戯だ。嫌がらせか何かだ。
十七歳の女の子がこんな分かりやすい古典的ラブレターを、こんな古典的な方法で渡すはずがない。
だからこの封筒の中には「留年疫病神」とか書かれたそんな紙切れが入っているのだ。
あー、安心だ!
あー、良かった!
良く、ねえ、けど、なッ!
「はは、どうせならもうちょっと色気のある封筒に――」
気持ちを軽くして封をはがし中を改めると、ピンク色の便箋に、みっちりと文字がつづられていた。
そして最後に「吉宗千草」と、昨日生徒会委員長として知った女子生徒の名前が書かれている。
「…………」
これは、実在する人物からの文である。
俺は何事もなかったように、そして自分でも驚くほど冷静に封筒と便箋をかばんの中に入れ、やや早足となりながら教室前の男子トイレに駆け込む。
幸いにして先客はおらず俺は個室に入り、ようやくその便箋と向き合った。
ご丁寧に「拝啓、鳴滝禅様」から入り、入学当時から俺のことを知っていて気になっていたということ、クラスが一緒になったので出来れば特別に仲良くなりたいということ……。
結局のところ最後も「不躾ですが、放課後に校舎裏でお待ちしています――敬具」と結ばれていた。
少々堅苦しい雰囲気はあったが、間違いない。
これはラブレターといっていい代物だ。
吉宗千草。
ハーフアップの黒髪を桃色のリボンで結い上げ、大きな丸眼鏡をかけた清楚可憐な女生徒だ。
生徒会長である彼女は、始業式で壇上挨拶をしており、そのときには指笛まで吹かれて盛り立てられていた。
優月は庇護欲と嗜虐心を同時に煽ってきて俺の拗れた性癖的にはかなりくる。
陽子は溌剌として可愛いしスレンダーで健康的な脚が大変良い。性的な意味で肩車をしたい。
しかし吉宗千草には別の意味での可愛さがあった。
華奢な手足と柔和な微笑み、そしてその体格と性格に対してアンバランスな――巨乳。
エロスを知らないであろう土台に、エロスの権化が鎮座しているその矛盾した体系は何事かけしからんと、俺の記憶に刻まれていた。
あのおっぱいが俺と仲良くなりたいだと?
特別に?
もちろん望むところではあるが……。
どぎまぎしながら教室に入り、教卓の目の前に座った彼女の後姿を見つめてみる。
その席は友達の輪の中心でありながら彼女は一人、背中を丸めてうつむいていた。
クラスでは女子グループに守られているか弱そうな女の子、というポジションだ。
「禅兄、うんこ大丈夫? やーい、うんこマン!」
「こら! 慎みたまえ!」
「漏れてない?」
「漏れてない!」
小学生男子の心を持つ陽子と、そんなやり取りをしながら席につく。
俺の大声に気がついたのか、吉宗はちらりとこちらを向いた。
素朴な太めの眉を不安げに歪めた横顔は桃の如く染まっており、それを見つめていた俺と視線の交通事故が起きる。
弾かれる様に、互いに俯いてしまった。
「禅兄、やっぱお腹痛い? 保健室行く?」
「い、いかねえよ……」
「熱?」
「ねえよ!」
俺は吉宗のことなんて全然知らない。
だから……。
まあ、仲良くって言ってるし?
まずはお友達からってことで……?
お試しとか、キープとか、おっぱいをちょっとテイスティングとか思っているわけではないのでして……?
以下略。





