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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
第二鐘 飾りじゃないのよ煩悩は
25/209

02. 蝉爆弾のマブいスケ

 まさか、もう一年聞くとは思っていなかった予鈴のチャイムの音。

 思いの外、早く学校に到着した俺は教室の端、一番後ろの席で机に伏せていた。


 新たに三年生となった十七歳たち。

 クラス替えによって新たな、しかし見知った顔の中に、鳴滝禅と言う元・上級生という異物が紛れ込んでいる。

 誰もが話しかける相手……少なくとも名前を知っている相手がいる中で、俺だけがここに存在する全員と他人同士なのだ。


 平たく言うと、俺には友達がいない。

 異物である俺も、ただ一生徒として扱われる始業式の開始を待っていた。


 華武吹町から徒歩で十五分の距離。

 明珠高校(みょうじゅこうこう)は全校生徒三百人程度の私立高校。学力の程は、ほぼ勉強していなかった俺が在籍できるくらいなのだからお察しだろう。

 制服を着崩したり、髪を染めたりなんて珍しくはない。華武吹町からほど近いこともあって、治安の悪さはそれなり。暴力沙汰で警察が来るのも珍しい話ではない。


 日々ああだこうだと、色とりどりの噂が流れている。

 だが本日に限って、潜める声、後ろめたい話題ほとんどが俺のことだというのは考え過ぎや自信過剰ではないようで。


「うっそ、鳴滝禅いるじゃん……!」


「うわ……留年疫病神が同じクラスか」


「そっとしておこう、留年が感染したら大変だよ」


 聞こえてるっつーの。

 あと留年はウイルス性じゃねえっつの。


 そんなヒソヒソを何度か聞き流しながら次のチャイムを待っていた。

 この空気で一年間過ごすと思うと、それはそれは気が重い。

 早く本鈴が鳴って、教師がきて、俺のことなんて意識の外に放り出してくれ。

 一刻一刻、そう願っていた。


 だが、俺が顔を上げたのはその音ではなかった。


「お、マジか! ラッキー!」


 少女の声、乱暴な言葉遣いの。

 だんだんと近づいてきて「起きなよ!」という言葉と共にぼんっと机が叩かれる。


「うおっ!」


 何事かと顔を上げた俺の目前に、上機嫌な少女の微笑みが咲いていた。


「おはっよー! アタシのこと、覚えてる?」


「……えっと?」


 可愛い。

 それが第一印象として焼き付くほどに。


 あっちこっちに毛先が向いた金髪と晴れ晴れとした笑顔が快活そう。小柄でスレンダー、どこか垢抜けていない印象はあるものの五年、十年後の美貌が約束されているような、そんな()だった。

 上から下まで見てみれば……時代遅れの長いスカート。俺が知ったことではないが、化粧も少し古い印象。彼女はどうやら絶滅危惧種スケバンだ。


 不良少女の知り合いなんていただろうか。

 そもそも友達がいないんだ、こんな個性バリバリの可愛(マブ)女子(スケ)が知り合いのはずがない。

 たぶん俺がこんな頭の色をしているから、誰かと勘違いしているのだろう。残念だけど。


「人違いじゃない?」


「マジ? 忘れちゃったの、禅兄(ぜんにい)ぃ……」


 ――禅兄?

 確かにどこか懐かしい響きだ。

 夏の日の、涙なしでは語れない思い出……みたいな――。


「ヒント、蝉爆弾!」


「うぉおおおおわあああああああッ!」


 俺の全身をどす黒い絶望と狂気がせり上がってきた。


 こいつ――九条陽子(くじょう ようこ)


 思わず席を立って、ぶり返したトラウマを拭うように背中に両手を当てる。

 奇声を上げた俺にあちこちから視線が刺さり、新たなクラスメイトには最悪な初印象を植えつけることになったが、すっかりどうでもよくなっていた。

 こいつはそれほどヤバい前科持ちなのだ!


 蝉爆弾事件。

 それは俺が小学生、夏の話だ。


 華武吹町で暮らす子供達の遊び場は(もっぱ)ら、街の中にある梵能寺(ぼんのうじ)という寺の敷地内。

 見渡しが良く、また果樹も多く植えられており、俺を含む近所の悪ガキが遊んで小腹を満たすのに最適な場所だった。


 その中でも目立った存在、梵能寺の住職の孫娘。

 それがこいつ、九条陽子。


 陽子は必ずといっていいほど敷地内におり、さらに勝手知ったる事もあって、いつの間にか人の背後に忍び寄ることも朝飯前。

 その日、俺は被害者となった。


 俺は寺の片隅、花の咲き終えた藤棚の木陰で何をするでもなく突っ立っていた。

 藤の葉は木枠で支えられながら生い茂っており、その下から覗いた夏の空は、葉の隙間からきらきらと輝いて星空のようだった。

 ネオン街育ちの俺は、星はおろか月さえも滅多に見たことがない。だからその煌きに子供なりの情緒を感じていたのかもしれない。

 そんな静かな感動をぶち壊しにしたのが、突然シャツの背に突っ込まれた蝉だった。


 暴れる蝉、恐慌に陥る俺、爆笑する陽子。


 小学生だった俺は狂乱の中、何を思ったか背中を地面に叩き付けた。とにかく蝉を止めたかったのだと思う。

 もちろん蝉は俺の背中と服の間でプレスされ命を終え、俺はその不快感な感触と無益な殺生という事実にさらにパニックになり屈辱的なことに……漏らしたのである。

 今でも稀に悪夢で見る光景で、俺は漏らしていないか確認するために飛び起きる程だ。


 五感が覚えている。

 感触が蘇り、俺は咄嗟に後ずさって背面だけは譲らない意思を示した。

 そして震えを悟られないよう毅然とした態度で呼びかける。


「ぅヨヨ、ヨぉよ、よよヨーコ……っ!」


「覚えてんじゃん! 嬉しいな! 夜露死苦(よろしく)な!」


 陽子、お前こそ自分が俺にやったことを本当に覚えているのか?

 なんでそんなに朗らかで可愛らしい笑顔で言えるんだ?

 愕然としている俺に陽子は言葉の追撃を放った。全く悪気の無い感じで。


「いやあ、まさか同級生になっちまうとは思ってもみなかったけどな!」


 ぐぅっ……。


「高校五年生だっけ、禅兄。先輩って言っていいのかな?」


 ぐぐぅ……。


「禅兄?」


 高校五年生……。

 そうなのだ。

 春休みの時点で十九歳ということは、留年二回、在学中に二十歳を迎えてしまう高校五年生ということになる。

 教室内のざわつきに俺は心を雑巾絞りされる思いだった。


「よ、陽子……その禅兄ってのも、やめてくれないかな……ほら、同級生なわけだし……」


「ええ? じゃあなんて呼ぶんだよ。鳴滝同級生先輩?」


 最悪だ!


「呼び捨てでいいよ……」


「ええ~っ」


 やっぱり乱暴に「そっか残念だなあ」と言って陽子は何気なく隣の席に腰を据えた。


「えッ」


「ダメ?」


「ダメじゃないけど……」


 本校、それほど規則はしっかりしておらず自主性に任せることで自己判断を以下略な校風だ。

 座ったモン勝ちという暗黙のルールに則れば、俺の隣は蝉爆弾使いの陽子と決定付けられた。

 夏を平穏無事に越えられる気がしない。


「禅に……禅、座れよ。何びびってんだよ?」


「びびるわ! 恐れ戦くわ!」


「そんなに偉そうに恐れ戦いてる人、初めて見たよ」


「人間は恐怖ゆえに矛盾した行動をとるんだよ! 冷静な判断を欠くんだよ!」


「口ばっかり達者なのは変わってないなあ。安心しなって、アタシもう花も恥らう十七の乙女だぜ? もう子供じゃないんだから、蝉なんてこっちが怖くて持てないって」


「…………」


 いわれてみればそうだ。

 確かに蝉は怖い。ギチギチしている。俺もあの手のタイプは苦手だ。

 さらに俺が蝉爆弾に被弾したのも、もう十年前のこと。

 陽子は、恐らく現在進行形で美しい淑女へと成長しようとしている。


 じゃあ安心――ってなるかい!


 美しさと暴力性。

 美しさと変態性。

 それらが無関係であることは優月とアキラが証明している!


 どうせお前も俺を面白おかしく陥れようという勢力の一人だろう……!?


「…………」


 俺は警戒しながらも席に座り、陽子を見やった。


 派手な化粧に、首から下がるどこか子供っぽいアクセサリのチェーンや小さな花形のピアス。

 女と少女の間の、大人になろうとする女性からの特別な色香は、同じ年齢層であるの他女子生徒たちよりも群を抜いて輝いてるように見えた。

 その証拠か、俺に対するそれとはまったくベクトルの違う視線がちらちらと差し向けられている。


 唯一つ変わっていない、かつ周囲よりも劣っている点といえば……胸部の直線、たゆみの少ないセーラー服。スレンダーと言えば聞こえはいいが、小柄な陽子にとってスケバンスタイル、ロングスカートの服装はただただ(ひん)なる(にゅう)を際立たせていた。

 ちょっとここの発育は遅いらしい。


 何にせよ、どこかに蝉を隠し持っている様子はなかった。


 値踏みをする俺の視線を意に介さず陽子は髪のサイドを結いながら物思いにふけるようにつらつらと語る。


「しっかし、禅兄が金髪にピアスとはね。まるで不良だ! どっちかっていうと根暗なガリ勉って感じだったのにさ」


「……人のこと言えないだろ、俺だって誰かと思ったよ」


「にひひひ、違いないや!」


 視界を払う様に髪を結った房付きの紐が揺れた。

 寺の娘らしい和装の紐も懐かしい。あのころはポニーテールにしてたっけ。


 思い返してみれば、新しいおもちゃやテレビ番組に陽子は食いつかないタイプだった。

 むしろ古いものや今あるものに執着し、気に入ったものはとことん大事にする古風なところも覚えている。

 母子家庭で裕福ではなかった俺としては、携帯ゲーム機を持ち寄って黙々と遊んでいたグループには入れなかったので、木登りや探検ごっこをしていた陽子とウマが合うわけで。

 その上、陽子には両親がなく、彼女の祖母と俺の母親が仲良くなるのにも時間はかからなかった。


由香里(ゆかり)さん、元気? そういや、しばらく見てねえなあ」


「あ……」


 だからそんな質問が飛んでくるのも、自然な流れだった。

 俺は一気に溢れる冷や汗にどぎまぎしながら平静を装う。


「あー……去年、駆け落ちして台湾行った。もう帰ってこないと思う」


「……え?」


 由香里さん。

 俺の母親。


 今は、鳴滝でもない。

 もしかしたら、由香里、でもないかもしれない。


「え……じゃあ、禅兄は――」


 そこで本鈴が鳴って、話は打ち切られた。


 話したくない、思い出したくもない。

 助かった。

 ……というのが本音だ。

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