《archive:RED》Boy Meets VividWorld
ただあてもなく西に向かい――あれからもう一年が経ったのか。
俺はインドのバラナシに到達していた。
早朝にもかかわらず、街は騒がしい。
旅人たちから金を巻き上げようと、男達がやれ観光案内だ、バイクのチャーターだと必死に話しかけてくる。
髪も髭も延びっぱなし、バッグ一つの金無し浮浪者そのものの俺にさえいくつもの声がかかった。
俺は耳が遠いふりをしてかわし、裏道の安宿にチェックインした。
腹に入れるものを求めてロビーから出る俺に、宿の女店主は「インドへはなにをしに?」と聞いた。
この風体だ、厄介ごとを起こさないか気にしているのだろう。
俺は適当な理由をでっちあげるつもりだった。
「人を探している」
女店主は得意げに笑い「ああ、なるほどね。私わかるのよ、たくさんの旅人を見てきたもの。そんな顔しているわ」と納得したようだった。
どんな顔だというんだ。
「日が暮れる頃、ガンジス川へ行くといいわ。多くの人が礼拝で集まるから」
「わかった、ありがとう」
この気のないやり取りは後に響いた。
*
バラナシは、どこか懐かしい場所だった。
バイクが通り過ぎるたびに、土埃と不浄の匂いが巻き上がる。
そんな空気の中、建物の間に張り巡らされたロープに色とりどりの衣類がたなびいていた。
商店街通りでは牛が糞を垂れ流し、人々は恭しくその聖獣をひと撫でして祈りを捧げる。
全裸にペイントを施した苦行僧が、観光客相手にやはり施しをせびっていた。
穢れと祈りが分け隔てなく混在していた。
明日へ向かうエネルギーが鮮やかに渦巻いていた。
街に中てられたのだろう。
酔いと眩暈を覚え、歩調を変える。
逃げるように大きな道に沿っていくと、目の前が開けた。
ガンジス川だ。
残念ながら、聖地でさえも"生"がごった返していた。
川沿いの火葬場からは死体を焼く煙があがり、すぐそばで子供たちが水をかけあって遊んでいる。
夕陽が川面を照らし、黄金色の煌めきの中で牛の死体が流れていった。
その光景に俺はとうとう参ってしまい、川のほとりに腰かけた。
原因はよくわかっている。
華武吹町を離れた理由も同じだ。
ベルトを失い、宿敵も宿命も失い、赤いヒーローではなくなった俺を、俺自身が見失っていたからだ。
灰色の日々を過ごしながら、華武吹町の色鮮やかな"生"を羨ましげに見ているだけなんて、惨めで耐え難かったからだ。
誰かと一緒にいたかった。
命の喧騒の中で、俺はまた独りぼっちだ。
落ちていく陽がまた、侘しさに拍車をかけた。
小一時間はそうして膝を抱えていただろう。
いい加減、文字通り黄昏ているのにも飽き飽きして、立ち上がったときだった。
顔をあげたその視界の中に、違和感があった。
遠く人込みの中に真っ赤な民族衣装が佇み、ヴェールから覗く双眼でこちらを見ている。
いまにも押しのけられそうな華奢なシルエットにもかかわらず、行き交う人々は赤いサリを避けて通り、そこだけがぽっかりと開いていた。
まるで昼間に見た聖なる存在のように。
違和感、異様さはそれだけではない。
いつの間にかそいつと目が合っていた。いや、向こうは最初からこちらを見ていたのだ。
やがてふらりと赤いサリが揺れる。
街のほうへ軽やかに走っていく。
俺は赤を追った。
その色を追わなければならない、すっかりそんな気分になっていた。
久々に鋭利に尖った、猟犬の気分だった。
迷路のような街を走る。
見失った頃に、曲がり角から赤色が嘲笑う。
長い追いかけっこの末、ついに対峙したのは、ガンジス川を見渡せる高台だった。
太陽の残照がいまにも熔け落ちる時刻。
逢魔が刻。
生温い風が吹き抜ける。
それは懐かしい目で笑った。
「どうしたんだい。迷子の仔犬みたいな顔してさ」
赤いヴェールが風に舞う。
最終話はもっとも辛く厳しい戦いになりますが、どうぞ最後までお付き合いください。





