桜の花、舞い上がる道を
『変身!』
その掛け声とともに、俺は前に躍り出た。
俺が身にまとっているのはもう、以前着ていたような禍々しいデザインではない。
それこそ正義のヒーローと聞いて誰もが思い浮かべる、赤や白がメインのヒーロースーツだった。
『貴様、何者だ!』
向かい合っているのは一つ目頭の怪人だ。
俺は肩からまっすぐに人差し指をつきつけた。
『名乗るほどの者じゃないぜ! それに、おまえは今から地獄行きだからな!』
『ぐぬぬ、なにを生意気な!』
とびかかってくる一つ目怪人を軽くかわし、拳を突き出す。
ヨロリと姿勢を崩して後ずさったところに、膝、チョップ、またパンチ……とまあ、台本通りに繰り出した。
派手なBGMとスモーク、それから子供たちの賑やかな声が浴びせかけられる。
狭い舞台の中で、一つ目怪人――の中の人と見えない相槌を取りながら、天井スピーカーから流れてくる音声に乗っかって演技をしていた。
スーツアクター。
それが、変身ヒーローを卒業した俺の、今の肩書。
*
あれから、一年くらい……か。
桜の季節が、またやってきた。
なんでまたスーツアクターかっていうと。
少々、情報がねじ曲がっていたが「頑丈な若者がいる」って話で、怪獣のガワに詰め込まれて、爆薬が埋め込まれた道を走ったり、高いところから落とされたり……そんな仕事を請け負っているうちに今の養成所に拾われたってわけ。
もちろんベルト――愛染明王が少しだけ残してくれた身体能力のおかげ、それから人のご縁もある。
それに、まだ見習いだからヒーロースーツを着ることなんてデパート屋上のヒーローショーの、しかもピンチヒッターが関の山で、撮影現場じゃもっぱら先輩の手伝いだ。
まだまだヒヨッコ、それも殻つきだ。
その上、収入は不安定だし、あぶねーし、怪我も絶えないけれど、俺にはサラリーマンなんて向いてない。
なにより、まがりなりにヒーローやってた俺がこんな形で再びヒーロースーツを着ることに、なにか意味があるんじゃないかと思っている。
小さいトラブルをアドリブでこなし、今日もつつがなく仕事をやっつける。
珍しく夕陽の射すうちに、我が地元・華武吹町へ。
駅から徒歩十五分。
三丁目の商店街、はじっこにある古びたパチンコ屋の二階が我が家だ。
相変わらず六畳一間、されど風呂トイレあり。
家賃は激安だが、窓の外からは"パチンコ"と描かれたネオン看板がまぶしいし、その看板の"パ"は長いこと消えたままである。
近所のガキどもからは「ちんこハウス」と言われ、出会いがしらに「ちんちんハウスのにーちゃんだ!」と笑ってくるので、立地的には最悪だ。
それでも、俺にとっては何よりも大切な場所。
「ただいま」
ドアをあける前から漂っていたカレーの匂いが濃くなった。
色褪せた給湯器が幅を利かせた台所で、優月がこれまたレトロなホーロー鍋をかき回している。
「おかえりなさい。なんとなく、そろそろだと思ってた」
望粋荘が無くなってから、俺たちでここに引っ越してきた。
人口密度は上がっているが、狭い方がいいこともある。とくにエロい意味で。
テーブルの上はすでに色鮮やかだ。
相変わらず優月本人の料理の腕は……修行中ってところだが、幸いにも優月のバイト先であるお総菜屋さんの余りモノが俺の味覚を守ってくれている。
町内会のジジババは優月かわいさに、アレコレとお節介焼いてるみたいだし。
そんな風に、あちこちから支えられた色どりの中、絵ハガキが置かれていた。
なんのことはない、赤羽根からの生存報告だ。
バッグを置いて、絵ハガキを手に取る。
メッセージが無いのはいつものことだ。
サイケな極彩色と、真ん中に青い肌の神様の絵からして――とうとうインドにたどり着いたらしい。
生きてることを知らせてくれる、そんな最低限の繋がりだ。
繋がってるならいいだろう。
陽子も沙羅も、滅多に会えないけれどバリバリやっている。
どっちかっていうと俺のほうが遅れをとっている、そんな焦りを覚えるくらいに。
だけど、二人とも口裏を合わせたように「自分なりのヒーローになりたいって火をつけたのは、おまえ」的なことを話していたので、お互い様なんだろう。
それから――っつっても、一年しか経ってないしみんなほとんど変わってなくて、派手にぶっ壊れた建物もすでに華武吹町らしくギラギラと輝いている。
ああ、そういえば。
天道さんだけは、華武吹町を去っていったっけ。
なんでも、研究していたUFOがパタッと見えなくなったとかで、他県へ引っ越したのだ。
別れの間際、天道さんは「宇宙は孤独だよ。何光年もかけて地球にやってくるんだから」なんて言っていたのを、よく覚えている。
ともなれば、観音菩薩はやっぱり宇宙人かなんかで、地球を侵略しようとしていて、音と光の波長が、可能性が……なんてことで知恵熱が出たりしたこともあったけれど、結局、華武吹町で起きたことは誰にもわからなかった。
だもんで、あの件で俺が解ったことなんて「神様仏様でさえ、寂しくて一人じゃやっていけない」ってことくらいだ。
「禅、ごはんにしよう」
「待ってました!」
すなわち、孤独。絶望。
その気持ちとの戦いはずっと続いていく。
*
"パ"ちんこハウスの下フロアは二十三時まで営業する。
ジャンジャンバリバリと響くし、なによりすぐ目の前のネオン看板からは強烈な光が差し込んでくる。
一年も住んでみると騒音も光にも慣れたわけだが、引っ越してきた当初の日課通り、俺たちは夕飯のあとはぶらぶらと街中を散策して歩いていた。
当然、ヒーローとして巡回だとかそんな立派なモンじゃない。
コンビニで目新しいお菓子を買ったり、華武吹曼荼羅が消えてから優月がハマり出した銭湯に行ったり、その程度の娯楽だった。
この日はちょっとアテがあって、俺たちは二丁目公園に向かう。
あれから行政の手が入り、ホームレスたちはすっかりいなくなってしまったが、ここに咲く桜の花は健在だ。
特に今宵は、月夜に桜吹雪。
いいや、それどころか少し風吹けば足元から舞い上がるほどの、豪華絢爛な夜桜だった。
そうはいっても歓楽街、華武吹町。
寂しいこの通りで足を止め、風流を見上げているのは俺たちくらいだ。
雪月花が揃うその光景の中、ふと優月は声を沈めた。
「……ときどき不安になる。本当にこれでいいのかなって。だって……」
額を俺の肩に預け、腕をぎゅっと抱えてくる。
必死に縋りつく両手から、もっとたくさん言いたいことがあって言葉にならない気持ちが伝わってきた。
俺は過去の引き出しの中から、ひとひらを取り出す。
「優月、みかん大福といちご大福、交換したとき覚えてる?」
「うん……最初の」
「優月が欲張ってさ、俺、全然食べられなかったよなあ~! でも嬉しかった。優月が俺の好きなものが好きで、一緒に過ごせて。他にも、いっぱいあったじゃん。いまだって、嬉しいし、幸せだよ」
釣り合うとか、釣り合わないとか、差し引きは無しだ。
短くても、儚くても、欲しいモンは欲しい。
どんなに高くついても、俺が生きるのに必要だから。
……なーんて心配しすぎで重たい言葉を吐く前に、優月は顔をあげた。
ほぐれた表情で「うん」と軽く言って、さらに俺の腕をきつく抱きかかえる。
「冗談。なんだかちょっと甘えたい気分だったの」
本心では半分冗談、半分本気ってところだろう。
優月の不安はわかってる。
俺だって、すべてが気持ちよく解決したなんて思っていない。
未来のこと。
十年後のこと。
二十年後のこと。
それから……たとえ奇跡が起きて長生きしたところで、いつか終わりがくる。
俺たちは心のどこかで、思い出をたくさん詰め込まないとって焦ってる。
終わりを恐れている。
その恐れも、痛みも、苦しみも、全部含めて、ひとつになりたいと思っている。
欲張っている。
そんな二人なら大丈夫だ。
一蓮托生、感応道交、これからも戦っていける。
だから。
「そうだ」
俺は、さも、いままさに思いついた風を装いながら、ずっと抱えてきた提案を口にした。
「結婚式しよっか」
「贅沢しない」
「えぇ……」
すっげー。
秒で一蹴したよこの人。
たしかに金の余裕はないし、どっちかっていうとハッピー代表みたいなシチュエーションに夢見てるのは俺のほうなんだけど……。
「いや、でも……あの……」
「そんなお金あるなら、買って欲しい機械が山ほどあります」
「携帯電話も持ち歩かないくせに?」
「禅は電話しても出ない!」
「現場いったら電源切ってんの!」
「かけ返してくれない!」
「先輩と話してるうちに電車乗っちゃうんだもん! 文句いうなら文字打つの覚えなよ!」
「難しい!」
「はぁ~、優月さんや。俺への愛はそんなもんなのぉ? 金ない金ないって、コスプレ服のほうが大事なのお?」
「そっ……それならおまえが――!」
話が空中分解しつつあった。
これもいつも通りだった。
通り過ぎる小さな影の群れがくすくすと笑い、とうとう水を差す。
「ちんちんハウスのちんちんカップルだー!」
出やがったな、俺の天敵のクソガキグループ。
塾帰りだろう、コンビニのホットスナック片手に群れていた。
「ちんプルは今日もケンカしてんのか」
「いい加減、仲良くしろよ。うちの母さんも心配してんだぞ」
「喧嘩するほど仲がいいっていうんだ、あれでもイチャついてんだよ」
「大人なのに不器用だなあ」
この言われようである。
「うるせぇ、クソガキ! 散れ、散れ!」
「ちんちんにーちゃんが怒ったー!」
「逃げろー! 不器用な生き方が感染るぞー!」
「感染るか――いいや、感染れ! おまえらも不器用で不遇な青春を送れ!」
俺が声を張ると、ガキどもは楽しそうに道をかけていく。
風が追うように通り抜け、桜の花びらが舞い上がった。
青春を謳歌するにふさわしい、やかましくも鮮やかな声たちが遠ざかっていく。
優月は噴き出して笑う。
「不器用だな、ちんちんにーちゃん」
「おまえがいうなよ、不器用ちんちんねーちゃん」
「ふふ、最低」
もうやり直しなんてきかないし、辛いことだってまだまだ山ほどある。
けれど、笑いながら歩いていく。
たえまない煩悩を携えて。
たとえ、悲しみや絶望と一緒でも。
桜の舞い上がる道を、二人――実はこのとき、もう三人で。





