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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
第百〇八鐘 輪廻の中心で煩悩を叫ぶ獣
202/209

08. 絶対救済領域


「この! このぉぉおッ! 愚かな猿めがぁあッ!」


 言い終わらぬうちにアーリヤの身体がほどけ、ハトやカラス、ドブネズミがそれぞれ左右に逃げ出す。

 だが黒い雷は逃亡を許さず、その一つ一つをアスファルトに、光を失ったネオンに、車体に磔にしていった。


 散らばったアーリヤは、こう考えていたかもしれない。

 夏の海で見た直線ビームなら数匹は逃げ果せる……とでも。


「残念だったな。猿は賢いんだよ」


 俺は、放った。

 次の瞬間、辺り一面を怒りの黒炎が燃え広がっていく。

 どれだけの範囲に及んだのか、俺ですらわからない。


 爆ぜた、といってよい瞬間的な威力だった。


 見える範囲すべてのガラス窓は割れ、車体がクラクションを鳴らしながら腹を見せる。

 路上にうずくまっていた肉塊が熔けて吹き飛び、中身である人体は風圧に押し流され、目の前は、あっという間にどす黒い光に覆いつくされた。


 真空状態からの、耳鳴り、静寂、そして――衝撃に押しやられた空気が逆流し、四方八方から瓦礫をはらんだ風が殴りつけてくる。


 バイザーの割れ目から吹き込んでくる空気にたまらず目を覆い――反動をやりすごした。


 目を開いて、俺が最初に見たのは聖観音アーリヤの、()()()()だった。


 顔面の皮膚はただれ、髪は焼け落ち、ただ痛々しくグロテスクな半身がアスファルトをもがく。

 目のくぼみには、眼球の代わりにチンターマニが輝いていた。

 怪仏にとって心臓部であるソレは、ひびが入り、いまにもぼろっと零れそうだ。


 俺が一歩踏みにじると、アーリヤはさらに一本ずつの手足をバタつかせて這いずる。


「どこ行こうってんだよ」


 もう一歩踏み出す。

 するとアーリヤは舌っ足らずの震えた声で言った。


「――待ちなさい! 涅槃症候群……寿命を取り戻す方法、知りたくないのですか? わ、私を殺せば手がかりがなくなりますよ!?」


 アーリヤの提案に希望を見て、でもどこか結果をわかっていて、はらわたが煮えくり返って――だからこそ俺の頭は冴えていた。


「それ、チンターマニチャクラから聞いた。一応、デマカセでないか確認してやるよ。言ってみろ」


 もちろん、カマをかけている。

 こんなウソはバカ竹中相手に散々やってきただけあって、平然と口から出た。

 なんなら今のアーリヤは暴れたり突進したり、不気味にヒヒーンなんて鳴いたりもしないのだから、脅威としてもバカ竹中以下だ。恐れることはない。


 それに思った通り。

 アーリヤのリアクションは、「そんな……チンターマニチャクラとてありえない……!」だけだった。

 ただ唇が焼け落ちてむき出しになった歯をガチガチと合わせる。

 続きはない。

 俺をだまくらかしてどうにか時間を稼ごう、観音菩薩様に助けてもらおう、なんて考えだったらしい。


「そうか、やっぱりデマカセか。俺は賢い猿だから口八丁なら負けねぇよ。残念だったな。おまえ、おしまいだよ」


 また一歩にじり寄り、右半分の焼けた身体をまたがって拳を握る。

 握って、これで殴ると見せつける。

 ギチギチと、グローブも肉も骨も唸る音を聞かせる。


「おしまい……? 死……? 莫迦な、わからない! わからない! こんなこと、ワケがわかってやるものか!」


「じゃあ、ワケわかんねぇままでいろ!」


 握り込むだけでは収まらない分、高く高く振り上げた。

 筋肉がもっともしなる角度に。


「ワケわかんねえパワーを食らいやがれぇッ!! ワケわかんねぇパーンチッ!!」


 そして、握り振上げるまでに収まり切らなかった感情ごと、めいっぱいに拳を撃ち下ろした。


「わから――」


 スイカでも殴ったような感触と同時に、ボッ――と、アーリヤの形が灰羽となって散る。

 風の中にきらめくのは、粉々になったチンターマニの欠片だろう。

 いまさら人体に入ったところで、戦況は変わらないけれど。


 アーリヤ。

 聖観音アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラ。

 真言で傅かせた巨大猪(ベアトリーチェ)も、無関係な人間も、好き勝手に食い荒らし、曼荼羅条約を哀れな実験台にした、生きたいと願った者たちの敵。

 煩悩の宿敵。


 ようやく借りを返してスカッとした――が、こんなヤツのために哲学にも感傷にも浸っている暇はない。


 見上げた月の繭は、遠い。

 いまも暗い夜空に一人、美しく高慢に座している。


 もう一度、あの高さまで……。

 体中がボロボロで、気力はスカスカで、まるでいうことを聞きそうにないけれど……。

 それでも、行かなければ。


 文明の光が失われた街のそこかしこから、真言の合唱が聞こえていた。

 いいや、むしろ真言の声が、俺自身の頭の中から大音量で響いている、そんなノイズが押し寄せていた。


 ジャスティス・ウイングも同様か、折れた三鈷剣で身体を支え、頭から何かを追い払うように何度も首を振る。


「月が、輝いている」


 アキラが言った。

 よく考えてみれば、それは意思を刈り取る脅威を知らせるものだった。


 だが、俺にはもう、その意味がわからなかった。


 ぼんやりとしていた。


 眠りに落ちる寸前の、心地よいまどろみに浸っていた。


「きれいだなあ……」


 華武吹町では月が見えない。


 だから俺は木漏れ日にさえ、月を探していたんだ。


 月が綺麗ですね、なんて言葉を交わしたあの日を思い出し、胸が心地よく痛んで。


 とても遠い、きらめくような日々。


 黄金。


 広い無明を照らすその色は、確かにきれいで。


 優月は失われることなく永劫に微笑んで。


 それこそ、俺の望んだ光景で、美しい澄んだ声で――。


『ひとつになりましょう』


 *


 ――歌うような、責めるような、誰かの声が聞こえる。


 誰か?


 みんなだ。


 これ……これは、真言だ。


 頭の内側から、俺のものではない誰かの声が溢れている。


 それから……。


 鼻を刺す焼け焦げた臭い。

 全身に覆いかぶさる大晦日の冷たい風。

 俺は……倒れていた。

 体を持ち上げながらあたりを見回す。


 なんとか立ち上がったところで――見つけた。

 アスファルトのくぼみに、赤羽根が仰向けで倒れ込んでいた。

 やっぱり赤ジャージは目立つ。

 ヒーロースーツはほとんど砕け、かろうじてベルトがそれらしい形を残しているだけ。

 最低限の生命維持として不規則に胸が上下していた。


「正義、おまえはもう休んでいい」


 その隣に座っていたアキラが振り向き、俺に笑いかけると、よろよろと立ち上がった。


 アキラの身体はもう、片腕が無くなったどころではない。

 何か所も穴が開き、子供向けアニメに出てくるチーズみたいな惨状だ。

 穴からは黒い塵が舞い、空に吸い上げられていく。

 欲望の塊であるアキラは、直接的に体を壊されているのだ。

 俺たちの中で、意思がこうなっているのだ。


 このままでは、やがて意思のない肉の塊に……。

 おぞましい、という言葉がしっくりくる。


 恐れおののき顔をしかめた俺に、アキラは小さく首を傾げた。


「禅、はは! まだそんな顔ができるなんて、意外とピンピンして――そうか。それが……身代わりに」


 それから、アキラはベルトのあたりに左手を添え、表に返した手のひらを見せた。

 きらめいていたのは、粉々になったチンターマニ――白澤先生の残滓だった。

 いっそう、体が冷えた気がした。


 感情が追いつかぬうちに、吹きすさぶ風にさらわれていく。

 舞い上がっていく。

 その先には――観音菩薩の姿があった。


 目覚めていた。

 羽化していた。


「そんな……」


 それ以上は、言葉にならなかった。

 涙だけが零れた。


 夜空に佇む真っ白な着物は、白無垢姿に見えた。

 巨大な(はね)は蝉かカゲロウを思わせる。


 総じて、白無垢姿の短命の虫――あまりにも絶望的なフォルムだった。


 赤い紅をさした唇が動く。

 すると、声とはまた別に、頭の奥から優しげな言葉が響いた。


『あなたがほしい……あなたの心の中に居場所がほしい……』


 それはまだ耳に残る優月の言葉で。

 でも観音菩薩の常套句にも聞こえた。


『永遠に。あなたと私。そして、すべての命は無意味に。あなたと私、やっと平等になれる。あなたと私、死を越えて。涅槃の世界へ。さあ――救いましょう、巣食いましょう』


 浸食されていく。

 意思を刈り取る脅威と、どう戦えばいいんだ。


 ヒーロースーツは壊れている、俺はもはや生身だ。

 天高く羽ばたく光に、届く手段がない。

 それどころか、意思(チンター)さえもカラッカラだ。

 その上、ソラからは「観音菩薩を倒しても無駄」と念押しされている。


「因果の行き止まり……か」


 こりゃあ、お手上げだ。

 絶望的だ。

 これがバッドエンドってことか。


『ずっと、ずーっと』


 それにしても、遠い。

 遠すぎる。


 ほんの数時間前には手を握り合っていたのに。

 やっと見つけた俺の月が、こんなに遠いなんて。



挿絵(By みてみん)


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