04. エンドロールには早すぎる
俺はここでなにをやってるんだ?
考えようとすればするほど頭に濃霧がかかり、意識さえかすんでいく。
いっそ、美しい月から降り注ぐ光に身も心も任せてしまったほうが。
澄んだ梵鐘の音、月光。
そこに割って入ってきた無粋極まりない人工的な音と光に、俺は意識をもたげた。
野太いエンジン音、ライトが一つ。
鉄の騎馬がまっすぐに、すぐそこに、正面に迫って、突っ込んできて――あっと思ったころには容赦なく轢かれていた。
成すすべなく跳ね上げられた最中で見たのは――ああ、見たことのある光景だ――ぱっつんぱっつんの黒いラバースーツにノーヘルメット。
亜麻色の髪が揺れ、その隙間にコバルトブルーの瞳が爛々と輝く。
あいさつ代わりにヒトを轢くのはいかがなものか。
そんな風に思いながら、俺はいつかの如く路上にべちゃりと潰れていた。
「禅ちゃん、大丈夫!? 気を確かに!」
よろよろと起き上がり、たった今バイクに轢かれて大丈夫じゃないことを告げようとした俺の、今度は背面に衝撃。
「うごぇ――ッ」
肺の空気が搾りつくされ、再び道路に叩きつけられた。
「大丈夫か、鳴滝!」
地を這う俺の視界で、赤い影がリアクション次第ではもう一発繰り出さん、と掌底を構えていた。
「おまえらぁ……っ!」
大丈夫か否か。
答えに詰まる。
たぶん、恐らく、百万歩(距離にして約八万キロメートル)譲って、好意的に解釈して、だ。
沙羅もジャスティス・ウイングも、空っぽになりかけてた俺を救おうとした。
実際、救われた。
わかる。
わかるよ、ありがとう。
でも、普通――肩を揺さぶって優しい言葉をなげかけたり、熱い叱咤をしたり、そういうので希望を見せて呼び起こしてくれるんじゃない?
荒療治が過ぎない?
そのくせ沙羅はいつも通り、悪だくみでもしているかのようにニヤニヤ。
ジャスティス・ウイングは、フンと鼻を鳴らした。おそらくはバイザーの下で「世話をかけさせやがって」という兄貴分気取りでほくそ笑んだのだ。
恩着せがましいことこの上ない。
お陰様で、燃え上がった怒りを俺は吐き出した。
「おまえら、もうちょっとやり方ってもんが――!」
エンジンが唸る。
手のひらが硬く握られる。
「大丈夫ですありがとうございます!」
「そうそう、それそれ! それでこそいつもの禅ちゃんじゃん!」
沙羅はしれっと自分を正当化し、月を見上げ、一変してシリアスに言った。
「アレ、ゆづきちなんでしょ。じゃあ、禅ちゃんがどうしたいかなんて沙羅にはお見通しなんだから。助けてあげるの当たり前じゃん! 沙羅はさ、正直すぎちゃう禅ちゃんがさ、大好きだから。いつもどおり煩悩にブン回されてるところ、見せてよ」
「……沙羅」
再び一変、沙羅は豊満な胸を強調するように、ふんぞり返って笑う。
「んで、禅ちゃんはこのオワコンな展開でどうしたいの?」
「俺は……」
気持ちに、欲望に従う。
煩悩にブン回される。
ソラの言う通り、本当に手の尽くしようがないのなら、やりたい放題していいってことでもあるのだから。
「優月を助けたい。方法なんて、全然わからないけど……」
「ならばまずは――」
ジャスティス・ウイングの言葉を遮ったのは、除夜の鐘の音だった。
しかも、ごぉん、ごぉんと忙しなく、乱れ打ち状態だ。
眩暈が波のように押して……引いていく。
沙羅はハンドルに体を預け、苦しげに胸を押さえていた。
そうだ。
俺たちはそろって意思を溶かす大蛇の腹の中なのだ。
らしくもなく焦った口調でジャスティス・ウイングが告げる。
「あれはチンターマニエフェクトだ」
あれ。
除夜の鐘が、か!
「粉々になったチンターマニが人の体内に入り込み……どうやら俺の身体にも――」
除夜の鐘――チンターマニエフェクトが割り込む。
話の続きを請け負ったのは、黒衣を翻しながらどこからともなく現れたアキラだった。
「正義を含んだ住人がチンターマニを埋め込まれた上に、梵能寺の梵鐘が巨大チンターマニエフェクトと化しているらしい。それに、見てみろ」
アキラの示す方向。
月の繭。
いや、見るべきはそれではない。
月の繭をぐるりと一周、土星の輪のように羽ばたきが渦巻いていた。
「あの繭は不完全体ゆえに、アーリヤが守っているのだろう。だが華武吹町住人全員がいつ怪仏化するともわからない、おまえたちでさえ意思散漫なこの状態でアーリヤと戦うのは無謀だ。やつらの算段通り、回り道させられるのは癪だが、まずは除夜の鐘を止めるべきだ」
「梵能寺の鐘ぶっ壊して、アーリヤをぶっ壊して、やっとお月さまに手が届くってことだな! オッケー、わかった!」
このとおりわかっていないが、難しいことを考えている余裕がない。
同じくわからぬままなのだろうが、沙羅はバイクの後ろに取り付けていたアタッシュケースを開いて見せた。
「華武吹町住人のほうは任せて。禅ちゃんのパクりだけど、時間稼ぎにはなるっしょ。インスタントな信仰に金の力が負けてたまるかってのよ」
中身はずらりと並ぶ札束。
一束百万円だとすれば、見えているだけで一千万はあって、奥行きもあるわけだから……。
とまあ、俺の貧乏根性も息を吹き返し、意識が鮮明になるほどの強烈なブツをバラまくらしい。
汎用性は極めて高いが、いつだって金に困ってる華武吹町の住人には特に効きそうだ。
この場はすっかり沙羅に任せたか、ジャスティス・ウイングは手短に「急ぐぞ」と言い残し、跳躍。街頭から雑居ビルの上へ。
沙羅もケースを開いたまま、バイクに跨がり直してエンジンを唸らせた。
「さっさとヒーローになってきな!」
俺は頷き、月夜を走った。
*
梵能寺にたどり着くなり、起きている異常を目の当たりにした。
奥の仏殿は正面開きとなり、そこには怯えて身を縮ませるばっちゃ、ばっちゃに支えられながらもぐったりと目を閉じた陽子の姿があった。
現代的で活発な服装を好んでいた陽子らしくない、白の肌襦袢。
儀式めいた衣装だ。
それだけではない。
むしろこっちが本題だ。
大問題だ。
シンと静まり返ったひと気のない境内、仏殿前に立ちふさがるアンバランスなシルエット。
白い石畳の参道の上に小さくしわがれ、しかし右腕だけ肥大化した諦淨和尚の姿があった。
比喩表現抜きに顔面いっぱいに青筋を浮かべ、俺たちを睨みつける。
金属と石がこすれ合う音を立てたかと思うと、なだらかな円錐形の右腕をふりあげ――叩きつけた。
ごぉーん……と、荘厳な音が響く。
吸い込んだチンターマニの影響がでているのだろう、ジャスティス・ウイングは忌々しげに首を振り、意識から音を拭った。
「ぬおぉおおぉッ! なんとご立派なチンターマニエフェクト!」
アキラの――本人は至って真面目かつ対抗意識満々なのだろうけれど――バカバカしい感嘆の通りだ。
諦淨和尚の右腕の皮膚が伸び、指は根のように絡まり、梵鐘と融合していたのだ。
隙をついてぶっ壊して、はい決着、なんて楽はさせてもらえないらしい。
ぜえぜえと息絶え絶えに、どこか懐かしささえ覚えるしわがれた声が訴える。
「この大穢土を……人の汚れを洗い流すには、観音菩薩様のお力が不可欠……せめて陽子の身体を次なる贄として華武吹曼荼羅を刻み、永らえてもらうのじゃ……! 邪魔立ては許さぬぞ……」
ぞりぞり、と石畳が梵鐘に削られる音さえ響く沈黙。
張りつめた緊張。
陽子を、次の生贄に?
優月の――生け贄の存在は公にされていないはずだ。
そもそも、巨大チンターマニエフェクトなんてものどうやって手に入れたのか。
……そうか。
レプリカの華武吹曼荼羅で名前が消されていた六番目。
最後の一席。
「曼荼羅条約、梵能寺・諦淨……参る!」