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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
幕間 君が居た終末
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《archive:RED》Suicide Vows


「赤羽根先生」


 呼び掛けられて、俺は下手な尾行相手に振り向き直った。

 ショートカットで背の高い女子生徒。

 たしか二年。主にバカ相手が仕事の俺に名前を憶えられていないのだから、優秀なほうなのだろう。

 空模様と同じく表情を曇らせた女子生徒は恐る恐るといった様子で言った。


「来年……いないって、本当なんですか?」


 いつの間にか、そんな話が出回っていた。

 事実だったので俺も否定せず、話はどんどんと広まっていったのだ。

 これまで同様、軽く認めた。


「ああ」


 明珠高校の校舎裏。

 白い壁と立ち並ぶ樹々に挟まれ、北風が吹き付ける寂しい場所は、立ち話には不向きだった。

 それでもこんな場所でわざわざ呼び掛ける理由は、なんとなく察しがついていたし、その通りだった。


「私、先生が……好き、です」


 こんなシーンは今まで何度かあった。


 ――面倒だ。

 俺の人生に関係のない、浮かれた幻想に付き合わせないでくれ。


 そう思っていた。

 溜息をついたり、忙しいなどと言って相手にしなかった。

 どう思われても良かった。


 だがどうしてか、今回ばかりは丹念に言葉を選んだ。


「……そうか。悪いが日本から離れるつもりだ。気持ちだけ受け取っておく」


 はなっから前向きな返事など期待していなかったのだろう。

 女子生徒は目をこすり鼻を鳴らしながらも、あっさりと頷いた。


 そのシーンは、それだけで、それでよかった。

 俺はその女子生徒と面と向かって話すことなど、二度となかったのだから。


 *


 明珠高校には、昨年の末に退職を届け出ていた。

 はじめから今年いっぱいのつもりだった。

 アキラと出会い、正義の味方なんてやりはじめて、俺は普通の――人間の営みの中に戻ることなど出来ないと感じたからだ。


 正直、後悔している。

 いいや、結論から言えば俺はその営みの中に戻ることはできない。

 それでも、後悔という感情からは目を背けることができない。それほどまでに大きく膨れ上がっていた。


 怪仏との戦いが終わった。

 その事実が、ベルトが縛り上げていたはずの精神を、ゆっくりとほぐしていた。

 こういってはなんだがバカ相手の圧政は性に合っていたし、なにより人間の営みも悪くないと思いはじめていた。

 だから俺はあの女子生徒に気を使い、そしてそんな自分がいることに安心して悦に入っていた。


 自分でも似合わないと思っている。

 よく知りもしない、今後もかかわることがない相手と、良好な関係を築こうとするなんて。

 むしろ、少し前の俺なら無駄だと切り捨てていそうな行為だった。


 まるで羽虫が光を求めるように、俺はふらふらと人の温かい輪の中へ引き寄せられていた。


 *


 十二月二十四日。

 終業式とその後の事務作業の後。

 クリスマスににぎわう街並みを横目に、俺はコンビニに寄った。


 必要最低限の家具だけが味気なく置かれた自宅に戻り、冷たいコンビニ弁当を腹につめて、捨てるゴミをまとめる。


 アキラはいない。

 華武吹町はどこもかしこも書き入れ時だ。

 アキラも華武吹町をダサいスクーターで走り回っているのだろう。


 魔王マーラとはいえ調伏された存在。

 強制的に呼び出すこともできる。

 しかし俺たちは暗黙の了解で距離を置いた。

 俺たち――違うな。全部、俺のためだ。


 俺たちは怪仏を倒した。

 倒しきった。

 その物語は終わった。


 となれば俺が次に戦う相手は、魔王マーラ――その不自然な命だ。望まれぬ永劫だ。

 もう、おかしな友達ごっこ、家族ごっこなどしていられない。


 情けない話だが、俺は一人でメシを選んで、一人でゴミを捨てられるようにならなくてはならなかった。

 自分の生命維持を、自分一人で。

 自分一人のために……。


 一人で生きることは慣れていた。

 だが、自分一人のために生きようと思うことは、考えていたよりも苦痛だった。


 いままでアキラが作ったメシで構成されていた俺が匿名のコンビニメシに置き換わっていく。

 ゴミ出しをすれば、部屋からアキラを少しずつ捨てているようで……。


 たった一人で、長い葬式をしている、そんな陰鬱な気分が続いていた。


 *


 日付が変わった。

 十二月二十五日。

 暗闇にふと目が覚めたのは、隣接するどこかの部屋ではじまったカウントダウンのせいだった。


 お行儀のよいことに、カウントダウンの後はクラッカーをいくつか鳴らして静まりかえる。

 お陰様で、俺はカーテンの隙間からちらちらと降る雪の輝きを眺めるだけになってしまった。


 騒ぐならずっと騒がしくしていてくれ……。

 いらいらしているほうがマシなんだ。


 そんな俺の心情に対して、耳元を撫でるような囁き声は皮肉いっぱいだった。


「そんなに人の営みが恋しいのかい?」


 俺はとっさに身を起こし、暗闇にアキラを探した。

 目に映るのは見慣れた空間だけ。しかも寂しく冷めきっている。

 ネオンの光、雪の光が差し込み、無機質な家具の輪郭が薄ぼんやりと浮かび上がるだけだった。


 曖昧な闇に、俺はゆっくりと首を振りながら――激しく拍動していた心臓を落ち着かせるように深く呼吸する。


 たとえそれが夢うつつに聞いた幻聴であっても、俺の精神には一大事と言えるほどに痛い呪文だった。


 ありていに言えば、俺は日和(ひよ)っていた。

 すべてが終わり、平穏が戻ってきたのだと思いたかった。

 俺の運命などすっかり清算されて、正義の味方などから足を洗って、ただの人間として華武吹町で生きる未来を見ていた。

 都合の良いことに、そこにアキラもいた。


 だから俺はこの長く緩やかな葬式に覚悟ができていなくて、辛くて、苦しくて……。


「永遠などないんだ、正義。僕と君はこうやって終わるというだけさ」


 首筋の後ろに、声と熱を感じた。


「青い春の夢も、尊い誰かの命も、ゆっくりと穏やかに冷めていく。それこそが望まれた有限の営みだ」


 わかっている。


「歪んだ無限の営みに閉じこめられた僕を、どうか有限の営みに戻しておくれ。きみの正義の鉄槌で」


 ――わかっている!

 おまえの心臓を穿ち、首をはね、おまえなど存在しない、しなかったと否定し、忘れ、俺の心からも殺し尽くさなければならない。

 それがお前の終わりだ。


「そうだよ、僕の断頭台(ヒーロー)


 背中から浅黒い肌の左腕だけが不自然に回りこみ、心臓の上を妖しく撫でた。

 長い爪がTシャツの上から挑発する。


「イヤかい?」


「…………」


 イヤだ。

 嫌だ。

 厭だ。


 俺はもう、「馬鹿にするな、やってやる」などと言えるほど強くはなかった。

 強くなくなった、というほうが正確だろう。

 ただ、弱音を口にできるほど弱くもなかった。


 しかしアキラには、その中途半端な迷いさえ筒抜けだ。

 身体と髪、その匂いがまとわりついてくる。

 どこか懐かしい異国の匂い。


「……正義。やめてもいいんだ。君の一生分くらい耐えてみせるさ。そのあとのことはわからないけど」


 他の誰かに譲りたくもない。

 俺の手で弔わなければならない。

 俺が終着点でなければ許せない。


「おまえは必ず……俺が殺す」


 俺は唱えた。

 アキラの声も決まり文句だった。


「そうだ。それでこそ我が恋しき処刑人。我が愛しき宿敵」


 せせら笑う気配と共に、熱と匂いは引いていった。

 それから。


「……ごめんよ、正義」


 そんな幻聴を。


 俺は耳をふさいだ。

 目を閉じた。


 俺の手で、早く、早く殺してやらないと。

 渇望の王を長い業苦から解放してやらないと。


 葬式を。

 弔いを。

 ()()()の死に場所を。

 一刻も早く用意しなければならない。



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