17. Power of XoXe -(2)
「オン アミリト ドバンバ ウン ハッタ ソワカ」
ハヤグリーヴァの真言が始まった。
抑揚の無かった声に、緩急がつき、強い意志が感じられた。
「ボン、ノウガー……」
「任せておけって」
不安げに小さく呟いた優月。
俺は自分の胸を叩いた。
だが、心の中では彼女に両手を合わせていた。
「オン アミリト ドバンバ ウン ハッタ ソワカ」
二つ目の真言。
呼応して煩悩ベルトは、気を抜けば俺が吹っ飛ばされかねない程にサーキュレーターを回して猛り立つ。
解脱とは、《解り》、《脱ぐ》と書く。
気持ちがわかりきっているのに、恥ずかしがって脱ぎ損ねているから、こんなややこしいことになっちまったんだ!
今、俺の頭の中で燃え燻っているのはただ一つ。
ゴミまみれでずぶ濡れの極限状態、助けて欲しいと言った優月。
まるで初めての経験のように髪を自分で乾かして嬉しそうにしていた世間知らずの優月。
俺の身体の下で「禅くん」なんて似合わない呼び方をした優月。
それから。
それから……。
いや、もう十分だ!
解ってる!
十分だ!
目の前で白い光がギンギンに煌めいている。
「オン アミリト ドバンバ ウン ハッタ ソワカ――! 煩悩寂滅!」
ハヤグリーヴァの、三度目の真言が結ばれた。
間髪も入れず、崇高な黄金色が向かってくる。
だから、俺は心を脱ぐように叫び、ありったけを迸らせた。
それが俺の真言!
「優月の処女は俺のモンだあああああぁぁぁぁッ!!」
――。
勝負は一瞬。
鍔迫り合いなんて無かった。
歯を食いしばって、身体の痛みに耐えて、叫びながらなんとか押し切る……なんてことは無かった。
黄金の光線に対し、白い壁が一方的に打ちつけられた。
白に眩んだ目がようやく慣れて俺が次に見たのは――無料案内所のネオンに逆大の字で掲げられたハヤグリーヴァの姿だった。
その栗毛が、煙と泡を上げながら熔け、顔の一部が剥け落ちると下から白目をむいた人間の――竹中の顔が表れる。
口を開閉してひぃひぃと言っているのだから、一応生きているのだろう。
「兄ぃ~! 兄ぃ、大丈夫でやんすかあ!」
舎弟たちが脇道から駆け寄ってきててんやわんやしながらも竹中を降ろそうとしている。
今は気を失っているようだが、起こしてもまた赤鬼と化して怒りの頂点、暴れられるのは困る。
だったらもう少しだけ、全裸を晒しながらぶら下がっていてもらいたいところだ。
そして俺は俺で微妙に一難去ったところの、また一難を迎えようとしていた。
俺の後方。
優月は腕に絡まっていたコードから何とか抜け出し、よろめきながら立ち上がると、それはそれは長い溜息を吐いて低く言った。
「最っ低……」
……ですよね。
存じ上げております……。
わかってほしいんだが、絶対引かれるってわかってたから、これでもオブラートに包んだんだ。
とか、言い訳できず、俺もメットの中で長く溜息を吐いた。
あーあ。
ボンノウガーまで嫌われちゃった……。
落胆している俺の前までやってきて覗き込んでくる優月。
涙で潤んだ瞳、濡れた頬、引き締めた唇。
「豪――じゃ、ないんだな……」
冷たい夜風。
黒髪がなびくと同時に、彼女は遠く足元を見やる。
その視線の先には、小さな長方形。
鳴滝禅が、シャンバラで受け取った花札。
丁度ぱたんと表を上げた、桜に幕。
俺は声無き絶叫を上げた。
…………。
…………。
そうっすよね……。
優月。
ハヤグリーヴァ。
竹中。
オヤジ。
……花札。
その辺が頭に入っていっぱいいっぱいだった偏差値三十以下の俺が、情報周りを配慮できるはずが無いわけで。
戦いの後、夜明け前、そんな淑やかな空気。
傍観していた通行人たちは喜んだり興味を失って歩き出したり、相も変わらず自分勝手に動き出す。
俺と優月の間で流れている空気だけが、取り残されたように硬直していた。
俺は気まずくなって、スースーと歯の隙間から呼吸しつつ考えをまとめていた。
降り注ぐ、彼女の威圧、刺さるような目。腕を組んでつま先をトントン鳴らす。
「いやあ、えっと……」
「…………」
トントントントントントン。
「あにょ……」
「…………」
トントントントントントントントントントントントン。
「そにょ……」
「…………」
そんな中で、俺はなんとか言い訳をひねり出した。
「ヒーローって……そういうの明かさないのがお約束なんで……正体とか、秘密なんで……」
俺はおどけるように、祈るように、顔の前に人差し指を立てる。
誤魔化されてくれ……!
「…………」
長い思案の果てに、優月が威嚇行動をピタリと止め、何かぼそぼそ呟いた。
「ベルトの声が聞こえたなら、あの時にそう言えば良かったものを」
「……え?」
「なんでもない。忘れてくれ」
硬く冷たい口調でそう言い、怒りを洗い流すように溜息もうひとつ吐くと、優月も顔の前で人差し指を立てた。
「貴様が誰だか知ったことではない」
そして呆れたように穏やかに微笑む。
「でも……三度も助けてくれた。感謝する」
精緻な美貌に生きた表情を灯らせた彼女に、俺は胸を潰されそうになっていた。
単純に美しさへのときめきと、本当に許されたという安堵だった。
三度も……か。
黒服に捕まりそうになってハヤグリーヴァが車に突っ込んできたとき。
それから今さっき。
あれ……?
……まあ、いいか。
心の飽和をやり過ごしている俺の耳に聞き慣れたパトカーのサイレンが入ってきた。
警察に「ビーム合戦してました」なんて通用するはずがない。
「……逃げなきゃじゃん!」
一難去ってまた一難去って、また一難である。
このままでは災難のわんこそばだ、蓋を閉めなければならない。
「……俺、パトカーアレルギーなのでこれにて! お前も早く逃げて、シャンバラに戻って、ママのいう事よく聞いて幸せに暮らせよ! あばよ!」
「え……ちょっと待て!」
きょとんとする優月に俺は捲くし立てながら手を振り、まるでヒーローらしくなく路地裏に入っていった。
何せ、仲良く並んでご帰還というわけにいかないのだから。
正体は秘密なので。
こうして、無明戦士だかボンノウガーだかの出番は一旦終了となる。
物凄く残念ながら、二週間後くらいに俺はまたあのスーツを着ているのだけれど。
それはまた、長い話になるから今度っつうことで。
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