大人マンFINAL
十一月の頭に起きた華武吹町の連続ビル爆発事故から数日が経った。
華武吹町は、相変わらず商魂たくましく『復興』と冠したキャンペーンを、お水にホストに、獅子屋の大福、無関係なタイ料理屋までが次から次へと打ち立て、被害者の立場を上手に利用。
お蝶さんなんて因縁深い吉原遊女組合をそのまま乗っ取り、花魁クラブを再興するらしい。
果ては事故後に参入してきた商売人まで「この街大好き!」といわんばかりのテンションで集金にいそしんでいる。
さらに不幸か幸いか、九条陽子の存在あって観光客の足取りは戻り、それどころか下町風情残る三丁目、そして梵能寺のある四丁目まで観光スポットとなりつつある。
復興、どころか稼ぎ時とのたまう華武吹町のツラの皮の厚さといったら……。
そんな感じで肩をすくめていた俺も、商売の片棒を担がさせられていた。
梵能寺の裏手、藤棚の下に敷かれた新聞紙の上で、木材と格闘すること早三時間強といったところだ。
もうすぐ十二月になろうという風の中、Tシャツジーパンに軍手で汗だくである。
なんでも、とうとう裏庭に賽銭箱を置くらしく、それっぽい木彫りの像を作ってくれと、かの有名アイドル九条陽子から言い渡されたのである。
断る理由もなく、バイト代も出るそうで、俺はとくに考えなしに首を縦にふったわけだが。
「まさかご尊像捏造に手を染めるとは……」
ノコギリからのノミをフル活用で、木材の切り出しをしていた。
俺のボヤきに対して、だらだらと携帯ゲームをやったりおはぎを食べたり、くつろぎ切っていた陽子は、突然に神妙な顔をした。
「あんな、その木のカタマリは"一部の人間しか知らないんだけど、冴えないモンしかない実家のために九条ヨーコが心を込めて作った仏像"ってことにすっから、そのへんも夜露死苦!」
「なんで二重の罪をかぶせてくるんだよ! 自分で作れよ!」
ただでさえ罰当たりな捏造なのに、これからファンの皆さんが「陽子たんが作った木彫りのご尊像~! ハァハァ!」などと手を合わせているのが、実は留年ファッションチャラ男が作ったものだなんて悲しすぎる。
俺だってAV女優、百瀬百の着用下着が付録だからDVDを二本も買った経験がある。実作業用と鑑賞兼保存用だ。
大変お世話になった。
それが虚実であった場合、どんな心境に陥るのか容易に想像ができる。
宗教問題、いいや宗教戦争だ。
だから俺は、いつもより強く抗議に出た。
カラカラと笑いそうな陽子だったが、その沈黙は長かった。
俺は自分がやってきた作業を思い返し、そして察した。
「……作れなかったのか」
返答代わりに白目をむいた陽子。
それ、アイドルがしちゃいけない顔だと思う。
ぶつくさ文句を垂れながらころころと表情を変え、陽子はあくびを一つ、そして大きく伸びをした。
上はスカジャン、下は短パンという元気いっぱいなスタイルで、少し逞しくなった脚を俺の前に盛大に投げ出す。
「っはー、にしても平和だなあ」
「休みだなんて珍しいな」
「いまテレビ出すぎっと地元を事故で失ったアイドルの悲壮感ってヤツがなくなるってマネージャーさん言ってたけど、ホントはウマタウロスんときにサイン会ブッチして干されてんだ。ま、ずっと華武吹町には帰ってなかったし、ちょーどいいや!」
豪胆である。
陽子は「そんでさ」と話を続けた。
俺は手を動かしながら受け答えする。
「禅兄、チンタマ全部砕けたってことは、オシマイってこと?」
「陽子、いまの発言は精神的な負担が大きいから、もう少し丁寧な日本語を心掛けてくれ」
「つまりー、怪仏との戦いは終わったってこと?」
「そう……なるな」
「じゃあ、これからは街のヒーロー? そしたら本格的にライバルだな!」
「勝てっこねぇし、つか俺は街のヒーローしないから」
「えーっ! つまんねーの!」
「陽子はこれからも、みんなのヒーローやんの?」
「当然じゃん! 梵能寺はなんもねーし、じっちゃとばっちゃのためにも、アタシがスーパースター、スーパーヒーローになって頑張らなきゃいけねえからな! 梵能寺はなんもねーし! 梵能寺はなんもねーし!!」
恒例のにひひ、という笑い。
だが、俺は便乗しなかった。
ぐっとこらえた。
盆を持ったばっちゃが近づいてきており「梵能寺はなんもねーし」のたびに眉をつりあげていたので。
はっと気が付く陽子。
ぐだぐだと長い説教。
ここのところは変わりない日常的なやりとりだったので、俺は黙々と手を動かした。
「ったく、あんたら結局、仲がいいのか悪いのか」
それなのにばっちゃの怒りが飛び火した。
「悪いよ! すーっごく悪い! だって因縁のライバルだもんなー! なーっ! にひひ!」
「いや、だから俺は街のヒーローやらないから」
そんな俺たちに、ばっちゃは溜息まじりに「あたしゃもう疲れたよ」と言いながら盆を置く。
湯気の立つ湯飲みは、寒空の下で作業している俺たちを気遣ってだろう。
先述した通り俺は汗だくだし陽子は短パンなので、俺たちの間には妙な空気が漂い、しかしさらりと流された。
「それにしても、あんたも大概なお人良しだね」
俺の手元を見て、ばっちゃは言う。
おうおう、本格的に難癖の矛先を俺に変えてきたか。
いいぞ、かかってこいババア!
そう意気込んだものの、ばっちゃは藤棚を仰ぎ見てアンニュイババアだった。
秋の藤にはぶらぶらとドデカいエンドウ豆みたいな実がぶら下がっている。
ばっちゃとてグロテスクな種をみあげているわけではなく、まぶしい秋空をその隙間から覗き込んでいるのだろう。
「あんまり誰彼構わず背負いすぎないこったね」
それはまるで、遠い日をのぞき込んでいるかのようだった。
俺が見えない月を探していたように。
「あんた、どこか似てるんだよ……あたしの父親に。考えなしに首突っ込んじまうところとか、要領がいいようで悪いところとかさ。見ず知らずの人間さえ助けようとする、そんな人だったからね」
ばっちゃの父親。
年齢的にも言い方的にも、もうこの世にはいない人だろう。
知らない人間と重ね合わされても、俺はピンとくるはずもなく「はあ」と生返事だった。
「心配性の姉さまはきつく怒ったりもしていたのに。へらへら笑って気休めにしかならない祈祷のために病院に出入りを続けて……結局、病人からもらった風邪こじらせて死んじまったよ」
続けて「陽子、あんたもバカだけど、風邪はひくんだから寒空の下で足出したカッコおよしよ」と、矛先を陽子に戻し、言いっぱなしで去っていった。
その姿が、足音がすっかり消えゆくのを見計らい、それでも陽子は小声で言う。
「ばっちゃの昔の話聞いたの、はじめて」
そして何か、熟慮の末に言葉を飲み込んだ様子があった。
俺はただ、カンカンとノミを打つ。
ばっちゃの名前は確か、花江だったか。
雪舟。
優月。
花江。
兄妹で雪月花……か、なるほどね。
粗削りではあるが、赤ペンの印が走った箇所はおおむね削り出せただろう。
あとは好きなように削り出すなり、解釈するなりしてください、という感じだ。
これにてミッション終了。
一休みしてから片付けよう。
硬くなったおはぎやぬるくなったお茶で一息つき、手足をくつろがせる。
落ち葉と、土の匂い。
秋の色が漂う裏庭も、小さい頃に見たそのままだ。
ふと、陽子があたりを見回しながら、俺の思惑と百八十度異なることを言った。
「アタシさ、ずーっと寺で走り回って虫捕まえて、禅とも遊んでられるって思ってた。でもお給料もらって通帳みたときに思っちまったんだ。アタシ、子供じゃなくなっちまったんだなって。いま何なのかわかんねーけど」
達観したように「時間って、けっこう早く流れるんだな」とも。
たしかに、陽子の時間は今、駆け足で流れているのかもしれない。
俺とは違う世界の波に乗っているのだから。
俺は、どうなんだろう。
藤の隙間から、小さく切り取られた空を見上げる。
「そいやさ。禅がここで探してたモン、見つかったの?」
「ああ、見つかったよ」
「そっかー」
たぶん、それが。
俺たちの青春の終わりだった。