12. Power of Kabubukichou
「さぁて……」
巨大に膨れ上がった欲望と絶望の混合物を仰ぎ睨んだ。
「色恋沙汰のお時間だ。つうことで、このとっちらかった地獄の沙汰は幕引きさせてもらおうか!」
ベルトにはチンターマニが――如意輪観音のチンターマニチャクラがついている。
つまり、制御下にある。
いける気がする。
いや、いける。
ベルトも応じるように、雷を放ち、風を切り、吠えるように回転する。
俺は唱えた。
「全解除ッ! 梵ノ鬼ッ!」
口にした瞬間、自分の身体の内側が爆ぜるような衝撃があった。
指先まで熱が燃え広がり、ひりつくような痛みが駆け抜けるも、すぐさま意思に満たされ、すべての知覚が開いた感覚があった。
ヒーロースーツの中におさまった、俺の全身――全筋肉、全神経さえ把握できている。
そして、数秒後に備え何をするべきなのかも、はっきりと解っている。
「いままで散々してくれた分、覚悟しろよ」
言葉とともに、ギザギザに割れたフェイスマスクの口元から瘴気が流れ出ていた。
ふと、右側――街並みのディスプレイ。
反射に見たヒーローの姿は、いつもの形状に加えねじれた角や長い尾が備わり、黒炎はコウモリの両翼のように燃え広がっていた。
鬼……というより悪魔だな、こりゃ。
そもそも日本語と英語がごっちゃになった胡散の香りプンプンのオカルト呪物、梵ノ鬼らしかった。
これが全解除。
これが梵ノ鬼か。
すでに陽は傾き、東の空から濃紺、西の空には太陽の残照。
大通りはちょうど昼と夜に挟まれている。
逢魔が刻だ。
俺と相手、どっちが"魔"かは、わかんないけれど。
汚濁スライムはぽっかりと開いた穴から嗚咽のようなサイレンを鳴らした。
「オ――オオオォオオオォォ」
俺が敵対者だとわかったのか、それとも目の前にあるすべてを壊す気なのか。
やってやろうじゃんか。
暴力的な欲望が燃え、封じられていた感覚が開く。
その瞬間、スライムがゆったりと触手をふりあげた。
いったいなにをする気で――いいや、違う。
今の俺の感覚が鋭敏すぎて、相対的に相手の動きが緩慢に見えるのだ。
我関せずで頭上を舞うカラスの羽ばたきさえ、いまだ一往復すらしていない。
スローモーションの世界の中で、俺は空気をかき分けて走った。
拳を握りしめ。
分厚い空気の層ごと。
まっすぐに。
ただの右ストレートを撃ち放った。
ボッ――。
俺の拳を中心に、トラック一台分はありそうな大穴が貫通。
その先に聳え立つ双樹ビルに、汚濁がブチまけられる。
皮肉にも双樹正宗が優月から奪ったもので築き上げた摩天楼に、ベッタリと。
集中力がもたず、開いた感覚がわずかに揺らぐ。
その隙をつかれたか、視界の端から伸びた触手が俺の両腕を掴んで、捻り上げようとしていた。
触れたところから伝わってくる、やけっぱちな感情。
――華武吹町は私のものだ、私が育ててやったんだ、私と死んで当然だ。
――ここにあるすべてが私のものだ、私のための命だ、私がいなければ無価値なのだ!
――私が死ぬなら、おまえらも!
振り払おう。
そう思っただけで、ヒーロースーツの尾が巻き付き返し、引きちぎり、断ち切っていく。
俺は動くことなく、腕さえ組んで、だだやけっぱちな地団駄を他人事のように見ていた。
「誰かを自分のモノにしようとするばっかりで、誰かのモノになる覚悟のないおまえとはしがらめねえ」
さらに俺を掴もうとする汚濁。
次から次へと、手を伸ばす。
俺は淡々と振り払う。
双樹正宗の中に歩み寄りが、わずかでも生まれればよかった。
受け入れられない悲しみの鱗片が、見えればよかった。
むしろ俺は、双樹正宗を哀れみ、人間としての後悔と罪悪感、共生の可能性を待っていた。
しかし、その意思はいつまでも生まれてはこなかった。
やがて覆しようのない決裂の返答がある。
汚濁スライムから無数の穴があき、そしてそれぞれが呪詛を吐き、やがて怨嗟の真言が束になった。
「ころす、ころす、ころす、ころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころす」
無数の穴に黒い光が灯り始める。
四方八方、無差別に、無責任に、そのヤケクソビームを喚き散らすつもりらしい。
もうこいつにとっては誰でもいいのだ。
どうでもいいのだ。
自分のかすり傷はわめきたてれば気分よく癒されるものだと、他人の一生は搾取し自分勝手に消費するモノだと信じて疑わない。
「ころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころす」
そんな身勝手で一方的な欲望に、俺たちの命を一分一秒たりとも譲ってなんかやらない。
やるもんか。
「仏かバケモンかわかんねえが、これ以上てめぇの独りよがりに付き合ってられっか! 俺たちはTogetherするのに忙しいんだよッ!」
俺はベルトに両手をあてる。
呼応してサーキュレーターの回転が猛り立つ。
周囲の意思をくみ取るかのように、煌めきが集まっていた。
相も変わらずベルトのちょっと下で、だけど。
「それに、こっちはおまえの――おまえらのせいで長いこと溜まりに溜まりまくってんだ……! ぶっとい一発、ブチかましてやるぜ!」
「ころすころすころころごろごろごごごぉおッ!」
白い光はあっという間にギンギンに煌めいた。
いける。
倒す。
終わりにする。
確信があったからこそ……チラ、と。
視線で優月にお伺いを立てた。
優月は以心伝心、感応道交。
察したか、眉間にシワを寄せる。
嫌悪感丸出しの顔だ。
そんな顔しつつ、しょうがないなんて受け入れてくれるんだから、優月は。
だから。
弱くて汚くても、受け入れてくれる場所があるって解ってるから。
俺は、全くなんの不安もなく、心を脱ぐように叫び、ありったけを迸らせた。
それが、いまも変わらない俺の真言!
「優月の処女は俺のモンだあああああぁぁぁぁッ!!」
――。
勝負は一瞬。
「ごろず――」
光が、飲み込んだ。
刹那。
視覚は白く塗り潰され、音は消滅した。
圧が呼吸や肌に触れる空気さえ切り取った。
連続していた時間が、一瞬途絶えたかのように、なにもかもぽっかりと。
そんな俺たちを現実に押し戻すように、轟音と爆風が遅れて呼び掛ける。
悲鳴と破壊音、そして再びの静寂。
目が慣れた頃には、いつの間にか陽は落ちて、辺りは薄暗い濃紺に染められていた。
残ったのは、破壊の痕跡と、それから……。
闇の中に、汚濁の影を探す。
だが、その脅威が去ったことを示すようにそれらは散っている、だけだった。
この薄闇よりも遥かに暗い黒と黄金文字。
チンターマニ――の……わずかな欠片だ。
残りは……粉々に砕けて、爆風で飛んでしまったのだろう。
振り向けば薄闇が、シンと静まり返っていた。
見覚えのある人たちのシルエットだけが見えた。
互いの呼吸だけが聞こえた。
だけど、静かだ。
足りないくらい。
こんな静かで病的な華武吹町なんてもうたくさんだ。
あの大嫌いなネオンの色が、どうしてか恋しい。
「……あー」
そして俺は、親指と人差し指で円を作って示して見せた。
俺なりの、粋な救済ってやつのつもりで。
「はい! そんじゃ、今から書き入れ時っつーことで!」
湧き立つ声。
賑わい。
苦笑と失笑。
忙しない生活の匂いに彩られる。
とうとう色濃い宵闇がやってきて、節操ないことに次々にネオンの光が灯り始めた。
今日も今日とて、華武吹町だ。





