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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
第九鐘 煩悩は燃えているか
177/209

06. 華武吹追悼祭-(2)


『秘密のご相談なのだけど、ちょっとよろしいかしら?』


「マイク、スイッチ入ってますけど」


『この度の失態について皆様に謝罪してくれませんこと? 美人暴力コンサルタントとしましては、確実に仕留められるものを不確実にされては困りますの。それとも穴という穴を、五寸釘でおファックさせていただけますの?』


「…………」


 抵抗の余地なし。

 ここまでくれば腹も括った。

 次は首を括る覚悟になるかもしれないけれど。


 ママは「あんた、いいの? 正体バレても」と声を潜めた。

 俺は頷いてマイクを受け取る。


 元来、人前に立って話すなんて向いていないので「あ」と漏れ出た声が響くだけで体が震えた。

 何か言えそうなことがあったのに頭からすっとんで、真っ白になってしまった。


 しばらく考えた末に、俺はしどろもどろ――つまり、いつも通りに喋った。


『あの……俺がその、ボンノ……あー、二号です。黒いほう』


 ざわめきが波のように寄せて引いて、静寂に塗り替わる。

 視線が集まる。

 どこからか「鳴滝豪の息子」と聞こえた気がした。


『俺の……俺のせいで、ベルトも怪仏の種みたいなヤツも全部とられちゃって、優月もさらわれちゃって……とにかく俺のせいで、華武吹町がめちゃくちゃヤバいんです。ごめんなさい』


 カナエの思惑からすれば、俺の言葉なんてこの程度でよかったのだろう。

 しかし、この情けない演説は長々と続くことになった。

 なにを思ったのか、俺ですらわからなかった。


 ただ、夢のような華武吹町の光景があまりにも優しくて、今まで俺が忌み嫌っていた苦い思い出の痕跡が幻のように消えていて。

 そのせいか、俺は思いがけなく安心して、話は大きく逸れた。


『俺、鳴滝豪の息子で、禅です。でも……俺、華武吹町あんま好きじゃなかったんです。みんな血の気は多いし、調子はいいし、冷たいし、ズルいし、自分勝手だし、俺のこと"鳴滝豪の息子"としてしか相手してくんないし。なんだか街全体がオヤジのおさがりみたいで』


 脳裏には昨晩、ゴミ箱から拾い上げた壊れたベルトが浮かぶ。


『なんでこんな俺の居場所がない街のために体張らなくちゃなんねぇんだ、誰も鳴滝禅(おれ)のことなんて見てくれないし助けてくれないのに不公平だ……だから、どんなにボロボロのスカスカになっても、俺はおまえらの――こんな街には絶対にガキみたいに甘えた姿見せたくない、甘えたら大人になれないって思ってて。だけど……それこそ子供っぽくて……』


 それから、新月。

 あとは……すっかり()()しきって真っ裸のアキラ。


『でももう、自分のことよく解ったんです。寂しいのに、助けてほしいのに、強がって突っぱねてたの、俺自身なんだって……だから……そういう殻はもう、脱ぎます』


 臆面も無く。

 心の底から。


『足引っ張って迷惑かけて……いまさらこんなこというの、厚かましいけど、ほんとに今……しんどいっす。助けて、ください……俺……もう一度、優月に会いたい……声、聞きたい……』


 マイクを抱き込むように(こうべ)を垂れた。

 願い事の礼というよりも、ここのところ緩みきっていた涙腺から垂れるものを隠していた。


 そのせいで今度は神経が耳に集中する。

 シンと静まり返るのが痛い。

 顔を上げるのが怖い。


 自分の内側、自己嫌悪の沼から「そんなの虫が良すぎる」「どうしてくれるんだ」「恥ずかしくないのか」なんて言葉が沸いてくる。

 本当にそんな言葉を投げかけられても受け止めるつもりだ。何の間違いもないのだから。


 だとしても、俺は助かろうとしている。

 助けてほしいと思っている。

 強くも正しくもない汚れた華武吹町(まち)に、強くも正しくもない汚れた俺は受け入れてほしいと思っている。

 助けてもらって、優月もベルトもこの手に戻ってきて、全部思い通りになった明るい未来が待っていてほしい、なんて願っている。

 傲慢にも幸せになりたいって、強くも正しくもない汚れた煩悩が燃えている。


 そして、それなのに――。


 耳が痛くなるような静寂の中から、野太い男の声が打ち上がった。


「おうおう、あったりめーだろ! 俺様こそが弱きを助け強きをくじく、伝説の無頼漢、竹中様だぞ! 一つ貸しを作ってやろう! ぶわははははは!」


 竹中……様だった。

 ひそひそと舎弟その一とその二が囁く声が通りを駆け抜けていく。


「……兄ぃ、たぶんいの一番の真っ先に助けられたの……兄ぃですぜ」


「貸し作ってること、まだ知らなかったんすか……」


「あん? どういうこった?」


 竹中一味のことは右から左においといて。


 ヒューッと指笛が響いた。

 紙吹雪を巻き込んで青い打掛がばさばさと左右に舞う。


「馬鹿言うんじゃないよ! アンタがいなかったら吉原一同、今頃どうなってたことか! 今度はあたしらの出番だ、華武吹女の底力見せてやるよ!」


 威勢の良いお蝶さんの声に続いて、周囲のちんどんが一斉にかき鳴らされた。


「禅くーん! 優月さん帰ってこないと望粋荘も困るっすー! また廊下の板、抜けたっすーッ!」

「お風呂とトイレも掃除してもらわないと困るんだよねえ、家賃払ってんだからさあ!」


「きゃ~! 禅ちゃん、禅ちゃん~! 私たちはいつだって応援してたじゃない~! お元気んコンした仲じゃない~っ!」

「そうよ、そうよ! これからもンコンコよ~っ! も~っとンコンコよ~!」


 耳が拾いきれない言葉、賑わいの中。

 俺はやっぱり頭を上げられずにいた。


 そんな俺の手からマイクをひったくり、カナエが『はい、静粛に。わたくしが美人参謀です、静粛に』と冷めた調子でとりなす。


『そういうことで、っていうかコイツのせいで、これから起きることに何の保証もございませんの。逃げるも隠れるもお好きになさってください。暴力のプロであるわたくしとしたことが、勝利の可能性は美しい百パーセントとは申し上げられませんので』


 俺は顔をあげ、再びカナエに謝罪を口にしようと思ったが、彼女の鉄扇の先端が押しとどめた。


『わたくしとしたことが九十九パーセント、ですわ』


 彼女はニヤニヤと邪悪に笑う。

 困惑した俺の顔を見て。


『美しくありませんが九十九パーセントでいかがかしら、正義の味方さん』


 そして、空を仰いだ。

 視線の先――街灯の上には赤いヒーロースーツ、ジャスティス・ウイング。


「たとえ一パーセント未満だとしても、俺がやるべきことは変わらない。助けを求めるヤツを救うのがヒーローだ」


 カナエは笑顔を崩さなかったが、むき出しにした犬歯の隙間から「まあま、可愛らしいこと……!」と嫌味たらしく呟いた。


 曼荼羅条約がいなくなれば、今度はこの正義と悪が残るのだ。

 もはや確信から未来が見えているのか、両者の間で火花さえ散りかねない雰囲気だった。


 俺はその物騒な光景でさえ「やっぱ華武吹町だな」なんて他人事のようにちょっと笑いながら見ていて――ふと、優月に頭を撫でられた気持ちを思い出していた。

 優月がいて、温かいお茶を飲んで、大好きなイチゴ大福を食べたときのような、甘くて優しい安心感。

 ここに居ていいって許された、救われた気持ちを。

 だから一生懸命この場所を守らなきゃ、と思った気持ちを。


 ようやく胸の燻りに燃料が投げ込まれ、炎の揺らめきを取り戻した……そんな感覚があった。


 ――そのときだ。


 俺の安堵とは裏腹に、続く善と悪の睨み合い。

 だが突然に放棄したのはジャスティス・ウイング。


 何か察知したように見上げ、視線が射抜いていたのは双樹ビルだった。


「下がれ!」


 ジャスティス・ウイングの声に応じるように、双樹ビルの五階あたりでガラス窓がはじけ飛ぶ。

 遅れてガシャアンという音と共に、煌めく欠片が落下する。

 刹那、ママはカナエをその太い腕に抱えながら飛びのき受け身、同じく俺はいままでの感覚もあって転がり込むようにしてその場から下がった。

 間一髪のタイミングでガラスの破片が降り注ぐ。


 体勢を立て直し見上げたそこ――双樹ビルのガラス張りが失われ吹き抜けになった五階には、三つの影が並んでいた。


 真ん中に立つ白いスーツの男は、御年七十を超えているとは思えないほどに精悍で理知的で、堀の深い整った顔立ちにロマンスグレーの長髪。映画俳優と言われれば信じるものは多いだろう。

 その実は、ネオン街華武吹町の支配者……なんていかつい肩書だが。


 双樹グループ会長、双樹正宗はあてつけがましい拍手を打つ。


「なかなかのお涙頂戴のシーンだ。大根役者がそろっている」


 向かって左手には、片目に大穴をあけたままの聖観音アーリヤ。

 そして右手には――優月。

 華奢なアクセサリーに飾られてはいるが、首から白い布をたらしただけで悪趣味に背を晒したドレスと、痛々しい恰好だった。

 その上、両手に金色の手錠、悪趣味な金の首輪からは鎖が伸び、先は双樹正宗の手に収まっている。


「優月……!」


 俺の声が届いたのか、優月は身を乗り出した。

 しかし、鎖が双樹正宗によって乱暴に引かれ、その腕に収まる。

 丁度、鮮やかすぎる背中を見せるように。


「だが、一つ訂正しておこう」


 そして双樹正宗は、黒く禍々しいベルトを掲げた。


「華武吹曼荼羅、そして愛染明王丹田帯は奪われたのではない――」


 優月。

 ベルト。


 そこには、俺から奪われたものがあった。

 救いのない灰色の日常から、俺を救ってくれたものがあった。


「――より、ふさわしい男の手に渡ったのだ」


 その言葉が。

 やり方が。


 燃え燻って、たったいま炎の揺らめきを取り戻した俺の心に……大量の油を注いだのは言うまでもない。


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