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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
第八鐘 壊れかけの煩悩
168/209

15. Power of Ambivalence


「きみは負けたんだよ、ボンノウガー」


 なんとか眼球、首を動かしたその先、黄金の帯――白澤先生の指先が俺の体にめり込んでいた。


「……ぁ、あ……あぁやめっ」


 はらわたを掴まれているような感覚にぞっとしたのも刹那。

 ぶちぶちと厭な感触と焼け付くような痛みが全身に貫通した。


 悲鳴さえ喉に詰まり、声が出ない。

 されどベルトは雄たけびのように荒々しく唸りを上げ、黒い炎を撒き散らす。


 対照的に、白澤先生の穏やかな声が降り注いでいた。


「そしてさようならだ、禅くん」


 次の瞬間、黄金の帯に絡まり見覚えのある禍々しいベルトが掲げられていた。

 煩悩ベルト――愛染明王丹田帯。


 それを認めると同時――体中から熱と痛みが引いて、代わりに寒気を覚えた。

 手足は、先ほどとは打って変わって折れんばかりに黄金の手に押さえつけられている。

 首を押さえつけられ、視界にはただ悠然と俺を跨いで立つ白衣の異形しか映らなかったが、すぐに悟った。


 ベルトが奪われ、ヒーロースーツが脱がされたのだ。


 しかし――しかしそれは、絶望した者――(から)が持てば、意思の奔流が――!


「知ってるよ。僕は詳しいんだ。コイツがこの街で最も重篤(ヘヴィ)な呪い、しがらみ……だってこともね。だからこそ、僕が切除するんだ……これが唯一の救済なんだ」


 もしかして、白澤先生はヒーローを倒すのが目的なのではなく、俺からベルトを切除することが目的……?

 ふと、そんな考えが泡のように浮いて、はじけた。


「せん、せ……潰され……るっ」


 必死に絞り出した声に、白澤先生は嘲笑混じりに答える。


「あははははひゃあはっ! 言ったろう、怪仏(ぼく)は消耗品で、観音の勝利はとっくに確定してる! それに……これできみは華武吹町と繋がりがなくなった。よかったじゃないか!」


 白澤先生の言葉の最中、ベルトからは禍々しい黒の触手が伸びる。

 ぎこちなく、まるで意思に反する己をどうにか抑えようとするかのような動きだったが、やがて触手は白澤先生の頭の球体に、白衣に、ネクタイに、スラックスに伸びて()()を締め付けた。


「やめろ……愛染明王……! やめてくれ!」


 なんとか肺から絞り出した空気は、声として十分だったはずなのに、聞き入れられなかった。

 メリメリ、バキバキと、空っぽ――いいや、透明なだけで確かに存在する体が、ワイヤー細工のように不気味な方向に捻じ曲がる。


「ああ~、そうだ忘れてた~! 限定版ディスクゥ、早く処分するんだよ。お金にするか、捨てちゃって。ヒーローになれなかった僕の、都合のいい幻想なんだ……」


 まったく痛みを感じないのか、白澤先生はあまりにも状況に相応しくないことを言い出した。あまりにも暢気な、いつもの口調で。

 俺は首を振るなり返事をしたかったが、何も答えられなかった。

 意思が廻らなかった。

 体中の感覚がぼんやりと麻痺していた。


 やっと唇が動いて呼び掛けようと思ったが、声が出なかった。


 その瞬間。

 パキャッと。

 小気味良いとすら思える音だった。


 白衣の頂上、禍々しい触手に締め上げられていたチンターマニが、上下にひび割れた。

 だんだんと俺の手足を押さえつけていた黄金の圧が消える。


「あれ……は……全部……嘘なん……だ……は、はははぁ」


 かすれた言葉と、きらめく破片と、真っ二つに分断された半球がそれぞれ俺の胸に落ちてくる。


「――ぁ!」


 俺は咄嗟に、二つになったものを抱えようとした。

 だが、俺の上に立っていた白衣の体も、半分になった球体も、腕の中で硬さを失い、黄金色の……白澤先生だったものが降り注いで――消えていった。


「…………え」


 ガシャン、と無骨な音が一つ。

 それから小さな硬質の音が一つ。

 それぞれ響き、ベルトとチンターマニが白い床に投げ出される。


 しかし、俺は寝そべりながら、目の前で起きたことが文字通り受け止められず、空しく宙をかいた両手を見ていた。


 ぶううぅうん……と、ベルトが空転する音が響く。

 何を訴えているのか、わからない。

 俺の体は、めまいと痛みのせいで動かない。


 ひたすらに俺とベルトが必死に呼吸を繰り返す、その音だけが白い部屋を空しく満たしていた。


 白澤先生が最初の怪仏で。

 俺の意思をへし折って、ベルトを引きはがし、そしていなくなった。

 涅槃症候群について詳しくわかったものの、だからこそまったく希望がもてない。

 考えられない。

 意思も体も動かない。


 俺はただ、悪夢から目が覚めるのをただ待っていた。


 やがて――。

 足音。

 そして、しゃらしゃらと。

 ……黄金錫杖の音だった。


 鋭利なヒールの音がすぐ横までせまってきて、しかし俺はもう、指一本動かすことすらままならない。

 中性的な美声が唱えた。


「馬頭観音ハヤグリーヴァ、十一面観音エーカダシャムカ、千手観音サハスラブジャ、准胝観音チュンディー、如意輪観音チンターマニチャクラ……そして――」


 アーリヤは銀色の髪を俺の顔に垂らし、その手に持ったチンターマニと愛染明王丹田帯を見せつける。


「――愛染明王。形勢逆転、ですね」


「……ぅ、く、ぐ……」


 穏やかな笑みをたたえて、アーリヤは満足気だった。

 その嘲りに俺は力いっぱい殴るどころか、言い返すことさえ出来ない。


「ヒーローに憧れた男が怪仏に、ヒーローだった男が絶望の苗床に。これが、あなたの粋な救済、粋なシナリオ……とやらですか?」


 悔しさに顔をしかめることだけが精一杯で、それがまたアーリヤをいい気にさせていて……。


「まあまあ楽しめました。それでは」


 憎たらしい音が悠然と去っていく。


 その気配も遠のき消えて、白い部屋には再び俺の呼吸だけが長らく響いた。


 優月。

 白澤先生。

 ベルト。


 この悪夢の中で、何のことから考えたらいいかすらもわからない。


 奇妙な感覚だった。

 頭よりも先に体のほうが回復し、ふらつきながらも下ってきた階段を上る。


 途方もない時間か、それとも下ってきたときと同じなのか、まったく感覚が掴めない。


 このまま地上に戻れないのではないか、それは俺に課せられた罰なのではないか。

 そのほうが、まだマシだ。

 この白い悪夢が現実と地続きだなんて、信じたくない。


 そんなことを考えながらも、足は動く。

 霊安室、そして遺体搬入通路を抜け、薄暗い廊下を歩いていく。


 すると人の姿が見えて、俺は悪夢と現実が結合したショックに眩暈がした。


「きみ、そんなところで何しているんだ! 早く病室に戻りなさい!」


 次第に、意識が遠のいて――


 *


 翌日。

 個室で目が覚めるとすぐに警察からいくつか詰問を受けたが、騒ぎが気になって病室を抜け出していた患者は多く、俺もその一人となった。

 それから吐いたり熱が出たりしたのに、知らない医者から、追い出されるように退院を言い渡される。

 他の患者達も不安と不満の色が濃くなっていた。

 とうとう病院内にも、華武吹町に蔓延した煩悩大迷災の空気が入り込んだように思えた。


 三瀬川院長。

 そして白澤先生。

 要を失った三瀬川病院は機能が停止するだろう。

 双樹コーポレーションがどれだけ取り繕っても、曼荼羅条約は健在……などと言える状況ではない。

 それどころか、吉原に続き三瀬川に警察が入れば、曼荼羅条約が華武吹町を食い物にしていたことがあきらかになるのも時間の問題だ。


 医療機関の崩壊。

 華武吹町の治安はますます悪化の一途を辿ることになる。

 俺はそれを、どこか他人事のように考えていた。


 ……いいや、他人事だ。


 ベルトというしがらみは失われたのだから。

 こんな呪われた場所、華武吹町ともおさらばしていいんだ。


 その気持ちを諦めというのか、安堵というのか。

 俺にはわからなかった。


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