05. 今週のYAMABA-(2)
夜中に病院をうろつく妖怪院長、三瀬川。
この情報をつかまねば、俺は赤羽根にバイオレンス処理されてしまう。
だったら、ナースにセクシャル処理されたほうが何百倍もマシだ。
双方から伸びてくる手から己の頂を庇いつつ、俺は祈るように目を閉じた。
頭の中で言い訳が駆け巡る中、シーツの上から庇う俺の手の上にとうとう華奢な指先が触れる。
そして、そのまま――格闘ゲームの最終奥義技コマンドが如く複雑にレバー入力されていた。
見開いた目から飛び込んできたのは――やっぱり。
「最低」
「ゆぢゅぎ……」
なんで。
どうして優月が。
赤羽根に、三瀬川にはくるなって釘を刺されていたんじゃなかったのか……?
なぜ、ちょっと気合の入ったワンピースと化粧でここに――まあいいや、助かった!
俺でレバガチャなんぞしてないで、両脇の捕食者に何とか言ってやって――。
「嘘と誤魔化しは次から次へと出てくるくせに大事なことは言わない、口先だけのケダモノだということをすっかり忘れていた……」
「ひ、え」
なんか雲行きが怪しい。
柳眉を逆立てた優月の指先が、ギリギリッと俺の手に食い込む。
俺は必死にその下にある、繊細かつ無抵抗かつ微妙に歓喜している被害者を守った。
「冤罪だ! こいつは何も悪くないッ! 誤解なんだッ! 今から弁護人によるとても長い言い訳をしますがしっかり耳を傾けていただけると――」
「時間の無駄」
「あっ、はい……いや――」
「童貞捨てたい猿が一週間も野放しになるとあちこちから言われて……っ心配になってきてみれば、さっそく……! そうですか、そうですか! 私とは聞かれてはっきり答えられないような、厄介な間柄でしたか!」
あちこちー!
余計な事しやがって、あちこちー!
明らかにあちこちの評判と俺がコツコツ頑張った成果が、運命の化学反応を起こし裏目に出ている。
そして優月の聞く耳持たないこの言いよう。
ナース二人が入ってきたあたりから会話を聞いていたなんてことも――さもありなん。
こうして俺の言い訳バリアはいとも簡単に突破されてしまった。
続いて、さっと身をひるがえす優月。さんざん攻撃しておいて逃亡を決め込む気か!
延長戦に持ち込むため、俺もドタバタと立ち上がると、F1のピットクルーもかくや、左右の肉食ナースが松葉杖を両脇にセット、俺も好調なスタートを切る。
こうして病院競歩レースははじまった……!
「そっ、そもそも優月さんは来ちゃダメだって、赤羽根から言われてただろ!」
「私がいつまでも言われるがままだと思うな! それとも言われたまましかできないほうが都合がよかったか? たしかにそうだな、ずいぶんと楽しそうだったものな。続きをどうぞ。お邪魔しました!」
「誤解しないでくれ、俺はナースに搾取されるんじゃなくて、ナースプレイで搾取したいんだ! こんなときになんですが、普通にお願いできないでしょうか」
「できません。気持ち悪い」
リノリウムの廊下をスタスタと通り抜ける。
静かな午後に俺たちの大声だけが響いて、あちこちから視線が刺さっていた。
優月は振り返るどころか、人を避けもしない。
むしろ、その覇気に人は避け、黒髪をなびかせる細い身は完璧なコース取りでコーナーを曲がる。
俺も優月が作った軌道に続いた。
お次は階段にさしかかり、必死に松葉杖で着地していたが――ええい、もう普通に歩いちゃった方が早いな!
ギプスの高低差に体を揺らしつつも、優月の真後ろにつく。
「お見舞いなら、もうちょっと可愛い態度とってくれた方がうれしいんだけどな! 態度間違ってませんかね! 間違ってませんかねー!」
「間違ってません。私が世間を知らないからって、そうやって馬鹿にして……! 便所虫の爪の垢でも点滴してもらえ、最低以下!」
「だからぁ、勘違いも甚だしいよ! 俺は被害者で被捕食対象、ネコに襲われたネズミなの!」
「そうだな、ドブネズミ! 誰でもいいならさっさと童貞やめて、私の付きまとうのはやめろください。不潔が感染る!」
全く話の糸口が見つからないまま、とうとう受付ロビーにさしかかった。
老若男女、誰もが同じように困惑と怯えが入り混じった表情を向けてくる。
そりゃそうだ。
どう聞いてもザ・痴話喧嘩だ。
だが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
俺の状況が悪い。
このまま無実を主張しても、優月の足は止まらないだろう。
先に出入口に逃げ切りゴールされてしまいそうだ。
「おい、俺は! 優月のせいで入院したんだぞ! その上、無茶押し付けられてるのに頑張ってんだよ! 大人しく待ってろよ!」
「――ぁ、私には! 私にはそうやってはっきり言えるのか! おまえがそのつもりなら私にも考えがあるからな、今は無いけど!」
「ははぁ、そうやって脅したくらいで俺が都合よく働くと思うなよ、嫉妬の塊!」
「誰が嫉妬なんて――もう来ません。どうぞご勝手に。下半身の精神病、治るといいですね」
「おおぉぉい! こんな人の多いところで、人聞き悪いこと言うな!」
結局、優月は足を止めぬまま、正面出口の自動ドアをくぐる。
俺がここから先へと出るには面倒くさい許可がいるし、第一、優月は話を聞く気はなさそうで――じゃあ、もう……いいか。
そもそも俺は――そりゃおっぱいの魔力に負けて抵抗はささやかだったかもしれないけれど――ちゃんとお断りした。
褒めてほしいくらいだ。
それなのに、なぜ話さえ聞いてもらえないのか。
もしかして俺はまた、試されてるのか?
追いかけてくれないか、追いかけ続けてくれるか、なんて。
優月は差し掛かった信号が青にもかかわらず、競歩の速度を緩めるとチラ、と……案の定こちらをうかがう。
「…………」
「…………」
いろいろ論理立てて頭を整理する余裕もなく、ただムカッぱらが立った。
なぁにが、下半身の精神病だ。
俺だって頑張ってるのに。
さ、気が付かなかったフリしとこ。
優月がスネるのはいつものことだし、帰ったらどうせなあなあになってんだろ!
病室に戻って、ナースには――まあ、俺も曖昧な返事で都合の良い役回りに収まったらラッキーとは思ってたわけだし、今度こそはっきり丁重にお引き取りをお願いして……と、病院内へと振り返るなり。
じぃー……っと、気まずさと不信を煮詰めたような視線がいくつも、俺に差し向けられていた。
特に病院関係者たちからは、キンキンに冷えたまなざしを頂戴している。
そりゃあれだけ手あたり次第ナースに声かけておいて、それらしき女が乗り込んできちゃった上に、痴話喧嘩競歩レース一本勝負が勃発したシーンだからなあ。
「…………」
ここは何事もなかったように、堂々としていよう。
俺に後ろめたいことなんてない。
そうして一歩踏み出したところに「待て待て獣欲菌~!」などと失礼極まりない呼び方で手を振ってくる白衣――白澤光太郎。
飛ぶような足取りで近づいてきたと思いきや、俺の横っ面に霧吹きを構え――
「消毒消毒ゥ~!」
――無遠慮にシュッシュッと吹き付けた。
前髪がひたひたになるまで。
「失礼すぎやしませんか」
すると、白澤先生はへらへらとした笑顔のまま、声色だけをキリッと低くした。
「下半身の精神病と言いふらされては風評被害になるので」
「そんなモン存在しねぇし、万が一あったとしても精神病は空気感染しないってあんたが否定してよ、主治医!」
「おっけー! まかしといて――さあ、次は日光消毒だぁ! 保菌者、通ります! どいたどいたぁ!」
「否定してくれっつってんだよ!」
そんなバイキン扱いを受けつつ、俺は白澤先生に促されるまま屋上へと昇っていった。
とうとう俺のあこがれ、俺のヒーローである白澤先生からのお説教か。
覚悟しつつ、屋上に踏み出す。
そこは病院独特の騒がしさからも切り離された別世界。
薄闇の中でネオン色だけは早々に輝き、俺の良く知っている、大嫌いな街が広がっていた。
少なくとも、日光消毒はできそうにない。