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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
第八鐘 壊れかけの煩悩
154/209

01. ヒーローのヒーローのヒーロー


 ――煩悩。


 性欲、怒り、迷い、無知……ありとあらゆる心の穢れ。

 生きる欲望であり、ふとしたきっかけで人を化け物にしてしまう力……だった。


 桜の開く季節に俺は優月、そして煩悩ベルトと出会い、怪仏と戦う戦士ボンノウガーに()()()

 紆余曲折、奇々怪々、七転八倒、いろいろあったが、成果としては悪くないだろう。

 残る六観音は聖観音アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラ。

 そして、いまだ正体不明の如意輪観音チンターマニチャクラ。

 二体のみ。

 アーリヤが妙な実験をはじめたのは無視できないが、俺たちがやるべきことは変わらない。

 怪仏を倒し、チンターマニを手に入れる。それだけだ。


 なんにせよ、煩悩大迷災で贄とされた優月を、今度こそ因果から解放する。

 あとは心身ともに一蓮托生、ベッドでTogetherする。 (※順不同)

 それが、俺の最終目標だ。


 ……が。


 ベッドインの目標達成が見えた嵐の夜。

 可哀想に、俺は重量百キロ超の汗ばんだ肉団子・珍宝を受け止め、病院送りに。


「禅くん。足首がバッキャバキャのバキャになってるから、とりあえず入院一週間で様子見だね~」


「え、入院!? 一週間!?」


 なんやかんやで、一時間後にはひとり寂しく病院のベッドにイン。

 片足を吊り上げ、あくび半分、笑い半分の白澤光太郎先生から残念な診断結果を告げられるのであった。


「まあ、個室が空いてたのはラッキーだったよ」


「それは、その……こんな夜更けに足折った末に、気を使ってもらっちゃって悪いっつーか――」


「僕の避難(サボり)スペースができてうれしいな!」


「……うれしいなら良かったです」


 そんな愉快なやりとりをしつつ、俺の脳裏には、前回の入院の記憶がよみがえった。


 ぐろぐろと暗雲ひしめくような心情。

 だというのに、白澤先生は遊びにやってきて、知りもしなければ興味もない特撮ヒーローの話を延々と繰り返した。

 俺は、落ち込む気力さえ根こそぎ奪われ、体力の回復に努めることとなったのだ。


 それが功を奏したのか予定より少し早く退院した俺は、そんな"白澤空気読まないムーブ"も治癒に集中させるための一環だったとして感謝していたのだ……けれど、この調子ならば白澤先生は本気で遊びに来てるのかもしれない。


 もちろん、俺の視線の意味など知らないし知ったことはないし知ったところで気にしない様子で、白澤先生は「だってさあ」という枕詞と共にしれっとベッドのフットボードに腰を落ち着ける。

 本気で居座る気なのか。

 俺は全然いいんだけど……。


「最近は本当に物騒で、この間なんて銃弾摘出したんだよ! 警察もピリピリした顔で出入りして空気悪くなるし、最悪だよ。こっちは録画した特撮番組、消化するヒマもないってのに!」


「それよりも白澤先生は寝たほうがいいんじゃ……」


「え? でも寝る前に見るでしょ! ムラムラしちゃうじゃん?」


「そういう目的では見ないよ!?」


「じゃあムラムラしたら何見るの!?」


「エロビデオだよ、しっかりしてくれ!」


「なるほど~!」


 キリッとした顔つきで手を打つ白澤先生。

 そして、イケメン医師のあだ名に違わぬ爽やかな微笑みで俺を諭した。


「シルバーナイトのヒーロースーツ、素材がテカテカしててえっちだし、僕は何度か抜いたことがあるから実質エロビデオ」


「何言ってんだコイツ」


 あ、いけね。

 思わず失礼すぎる心の声が漏れてしまった。

 だとしてもさすがに上級者がすぎるぞ。


 どういうわけか、白澤先生はそこでスイッチが入り「あれはパンチラと一緒で可能性が詰まってるんだよ」とかなんとか妙なことを大真面目な顔をしながら語り始めたが、俺は右から左に聞き流した。


 しかしまあ、それがエロビデオと同列であるのなら……気持ちはわからないでもない。

 蓄積していくのに消化できない、それは危機的状況だ。

 あまりにも率直かつ身も蓋もデリカシーもない言い方をすれば「溜まりに溜まっている」ということである。

 ここは日本一の歓楽街、名物はおピンクネオンだというのに。


 なにせ。

 白澤先生の言うとおり、いまもなお華武吹町の治安は悪化し続けていた。

 花魁クラブが突然閉店し、吉原遊女組合は大打撃。加えて過去の不正が発覚し、すかさず警察沙汰ときた。

 双樹コーポレーションが執り成しているが、いまだ大きな穴はふさがらず、活気を担う商人たちが次から次へとヨソへ逃げ出す……といった状況だ。


 そのせいもあって不安と不満の毎日が続く華武吹町では大なり小なり、ろくでもない理由で事件は起きる。

 また不安と不満が蓄積する。

 この負のループの中では医療関係、とくにエース白澤は休む暇もないだろう。


「白澤先生みたいな、現実のヒーローは大変っすね」


 深夜に担ぎ込まれておいて少々無責任ともいえる俺の発言に、白澤先生は嫌味なくカラカラと笑って「ヒーローだなんてやめてよ~、照れちゃうから」と言いつつかぶりを振った。


「人を救うってさ"おまえの存在(いのち)には意味がある"って希望の光を灯し続けることであって、そう言い続けてくれる人がその人にとってはヒーローなんだと思うよ。救いたいって思って光を灯しているのは僕じゃない。僕はお金をもらって代行してるだけ」


 そして、親指と人差し指で円を作り、おどけるようにウインクを一つ、白い歯を光らせた。

 目の下のくまは、睡眠時間を金で買いたいくらいだと訴えているにもかかわらず。


 おまえの存在に意味がある……か。


 二年前、白澤先生に「必ず救ってやる」なんて言ってもらったときの、あの安心感のことならばやっぱり先生は俺にとってヒーローなんだけどな。

 これ以上言って困らせるのはやめておこう。


 とまあ……なんだかんだで。

 白澤光太郎先生というお人は、さらりと暑苦しいことを言っちゃうし、ヒーロースーツのシワで抜いちゃうレベルの特撮ヒーローバカだけど、自身も華武吹町ナンバーワンのヒーローってのが魅力で、いろんな人から愛されている。

 とくに死の淵という究極的ピンチにアツい言葉を投げかけられ、華麗に助けてもらった俺としては、密かに憧れて尊敬している人だ。


 本来だったらこんな憧憬、父親とか兄貴とかに抱くんだろうけれど、俺は一人っ子で父親っつったら無頼漢(アレ)なわけだし……。


「さぁて、と――」


 おおよそ年収に相応しいであろうプラチナ色の腕時計を見つつ、白澤先生は立ち上がる。

 おサボりタイムは終わったらしい。


「禅くん、あまり無茶しないようにね。"伝説の無頼漢"になりたいのなら止めはしないけど」


 俺は考えていることが覗かれたような気がして、()()と息を詰まらせた。

 オヤジのことはどうでもいい。

 白澤先生に対して、少々重すぎる憧れの念を知られるのは心の準備がまだできていないというか、恥ずかしくなっちゃうというか。

 そのせいか、刹那、気まずく硬い空気が漂ったものの、白澤先生は目を細めて続ける。


「しょっちゅう怪我してたらしいよ。以前、ここで働いてた人が言っていたんだ」


 それは……白澤先生のお母さんである、白澤恵子さんのことだろうか?

 オヤジの墓の面倒を見ている一人で、どこか放っておけない雰囲気のある和美人だった。

 この母あってこの子ありって言葉どおり、彼女から鳴滝豪(オヤジ)のしょうもない伝説を早口に語られて、俺は困ってしまったんだっけ。

 同じノリで白澤先生にもオヤジのことを話しているのだろう。


「僕もね、何回か会ったことがあるんだ。小さい頃の記憶しかないから、顔も薄ぼんやりとしか覚えてないんだけど……かっこ良かったよ。禅くんを見てると、なんだか思い出せそうな気がする」


 言葉通り、白澤先生は俺の中になにか探るような熱心な視線を送ってきた。

 俺はただ「はあ」と生返事しながら受け止める。

 やがて彼はニコッと、俺が女の子なら心臓発作が起きかねないような笑みを浮かべた。


「それじゃ僕は救いたいって気持ちの代行人、してくるよ。お大事に」


 そして、引き締まった横顔を見せつつ、白衣を翻し颯爽と病室を出ていった。


「はぁ~……俺はオヤジなんかより白澤先生みたいになりてぇよ……」


 こうしてはじまった三瀬川病院での入院生活。

 俺は曼荼羅条約のその根城にいるというのに、白澤光太郎、あとナースというオプションですっかりテンションが上がっていたのだった。


 ここが、長く険しく、そしてどす黒い、絶望的修羅道の入り口とも知らずに。



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