09. 僕のヒーロー
黄金の間。
瓦礫の山。
大穴の、さらにその上でガラス天井さえ割れて臨む夜空。
揺れる赤い炎の翼、即身明王。
「――助けを求めているヤツを救う。それが即身明王だ。だからアキラ、おまえを――必ず殺す」
「あーっはっはっはっは! 不動明王の意思に潰されたか! ならば、ラストダンスだ――正義」
意思が、潰される……!?
そうだ、そもそも不動明王丹田帯は負荷数倍に改造されて、適合者探しに何人もの犠牲を出した。
適合者だからといって、その負荷がゼロというわけでもあるまい。
本来の力を発揮したことによって――暴走!?
「ベルトちゃん」
ギュルルルルル、と愛染明王丹田帯の回転は、絶好調だ。
言い聞かせるようにバックルのあたりに手をあてる。
赤羽根はアキラを信じた。
赤羽根は何か見落としていると言っていた。
そして、その何かに気がついた。
――この、滅んでしまいたくなるような猛烈な渇き……これがおまえ自身の欲望なのか。
――ならば……そのひび割れた渇望の盃、俺が満たしてやる――アキラ。
――だからアキラ、おまえを――必ず殺す。
少なくともあいつは、"アキラを救うため"に、そこにいる。
「……赤羽根は、アキラを救うはずだ。あいつは、正義を貫くだけのヒーローじゃない。弱者を救う……救済のためのヒーローなんだ」
ギュルルアァァァッ――
電気が走り、俺は再びヒーロースーツにコーティングされていた。
まさか、降り注ぐ衝撃波から俺を守るため……なわけがないな。
いつも通り、ならばおまえも働いて来い、といわんばかりのケツ叩きだ。
加えて、ベルト自身の気合入魂もあるのだろう。
マーラとジャスティス・ウイングの戦いに目をやる。
攻防が続いていた。
両者の腕には赤い羂索が渡っている。
マーラの横顔に現れた驚愕、そして消えて回避出来ないところを見るに、羂索が意思的エネルギー――つまりマーラそのものを捕らえているようだ。
その隙にジャスティス・ウイングが距離をつめ、三鈷剣を閃かせる。
それをマーラは浮遊感のある回避と格闘でいなし、優雅な軌道を描いた回し蹴りが――刺さった。
「ジャス――ッ!」
燃え上がるヒーロースーツが浮き上がり、まるで撃ち出される様に吹き飛ばされる。
軌道を目で追う前に、遠くコンクリートブロックが崩れる音が響いた。
網膜に残る赤い軌道を、賢明に目で追う
黄金の襖は見事、数十枚抜きされ、その奥で赤いヒーロースーツが亀裂の中央に張り付けられていた。
いや、磔にされていた。
追撃の雷光の槍に胸を貫かれ。
「見よ! 不動明王の信仰より、第六天魔王の煩悩が上回ったということだ!」
俺の目の前に立つマーラは、ダーツに興じるように槍を構える。
距離にして、花魁クラブの端から端。
だが、すでに一発突き刺した今、外すことは無いだろう。
――ならば。
瓦礫の中。
一番大きいだろうコンクリート塊から突き出した鉄筋を、俺は目いっぱい振上げ、マーラ目掛けて振り下ろす。
避けられてもいい。
「んのらぁぁあああッ!」
コンクリート塊が足元にめり込み、バリィッと木の板が抜けその下の鉄筋が砕けて穴を作っていた。
やはり、マーラはそこにいない。
効いてはいないが攻撃のキャンセル、多少の時間稼ぎは出来ているはずだ。
またしてもあさっての瓦礫の上――そこ降り立つ魔王へコンクリート塊を投げ放つ。
やはり、また別の宙で、マーラは槍を携えながらくすくすと笑った。
「元気が良いな。だが少しだけ……少しだけ、そこで大人しくしているんだ……!」
「どういう――!」
つもりで。
ぞおおおおおおおん……と地響きが起きていた。
言葉が出なかった。
肺の空気が全部出て行った。
それどころか、身体が真上から畳まれるところ、幸いにして俺はうつ伏せに倒れた。
全く理解出来なかったが、とにかく俺は、巨大なコンクリート塊に押し潰されたのだ。
上階に残っていたものといえば――あの大階段くらいで……それだ。
マーラは、俺が時間稼ぎをしているとわかって。
同じ手段……しかも、文字通り俺の想像力をゆうに超えた規模でやり返されたのだ。
俺が投げたコンクリート塊が可愛いと言えるほど、えげつない武器――上階フロアの大階段をもぎりとってブン投げたのだ。
まさしく魔王の所業。
それでも、だ。
言われたとおり、大人しくするつもりなど無い。
もがく俺。
回るベルト。
そんな足掻きに応じたのは、炎の翼だった。
磔から抜け出したジャスティス・ウィングが飛ぶようにしてマーラに迫る。
「残念だな、ヒーロー」
しかし、マーラは振り向きもせず後ろ手を翻した。
俺はただ、それを見ていることしかできなかった。
ジャスティス・ウィングが雷に貫かれ勢いのまま瓦礫の中に伏す様を。
赤羽根……!
そう呼びかける声さえ、俺には出せない。
でも。
「死より悪しき、この渇望の盃が……満ちることなど――」
やったな。
「――ッ」
マーラの首に巻きついた赤い羂索が、その暗い肌に深くめり込んだ。
何度か唇を動かしたマーラが背後を振り向くより先に、その羂索がピンと張り、手繰り寄せられる。
瓦礫の中から這いずり立ち上がる、ジャスティス・ウイングの手によって。
確固たる意志の縄から抜け出せないのか、マーラは無様に足を、ついには手を地面に着き、引きずられながら手繰り寄せられ、とうとう三鈷剣を首元に突きつけられた。
「殺すと。必ず殺すと、言っただろう」
満身創痍の息絶え絶え。
それでもおおよそ正義のヒーローが言ってはいけない言葉の配列を口にして、ジャスティス・ウイングは燃え上がる三鈷剣を逆手に――。
「え……」
躊躇いはなかった。
マーラさえ半笑いで何か言葉を返そうと、あるいは片手を挙げ反撃を試みようとしていたのだろう。
「――ぁ」
その間さえ与えず、三鈷剣はマーラ、そしてジャスティス・ウイングを貫いていた。
生半可な意思では貫けない魔王を、その剣で貫いていた。
「なん……だ、この……」
まるで、理解ができないという様子で、マーラの目が驚愕に見開き、魔性の瞳が揺れる。
「穴の空いた盃を満たすなら、さらに大きな盃の中に入れてやればいい。それで共に満たされるだろう」
「……正義」
「その渇望、この俺が絶対に終わらせてやる。俺にはその力と意思がある。おまえは俺が殺す。安心しろ、誓ってやる。いつでも、何度でも、必ず。だから……安心しろ」
挙げた手をだらりと下げ、マーラは脱力するように背を預けた。
もう抵抗の意思は無い、そう示すように。
「はは、強引だ、な……正義……僕の、宿敵……」
「ただ今は、この裏切りを償え……今度はおまえが、俺の手駒だ。いいな……」
黒いものを唇から零しながら、マーラは――アキラは微笑んだ。
満面に。
「……いいよ」
そして、ジャスティス・ウイングの変身が解けて。
三鈷剣が消え。
「これにて……天魔、調伏……」
そのまま……くずおれた。
赤と黒を垂れ流しながら。
やっとの決着。
ほぼ相打ち。
辛うじて、最悪といえる状況で、即身明王の勝利、といっていいだろう。
とにかく俺がやらなきゃいけないことは、赤羽根は病院で……アキラはどうしたらいいんだ……?
やっとのこと大階段から抜け出たものの、俺も身体だってそれなりに――。
しゃらしゃら。
「――ッ!」
――と、厭な音が聞こえた。
思考を断ち切り、耳を澄ましながら、再びコンクリート塊からはみ出した鉄筋を握る。
「――そこかぁあぁぁあああッ!!」
倒れた赤羽根とアキラの真上、夜天から一直線に落ちてくる銀色の輝きが見えて、俺はコンクリート塊を目一杯、憎悪の限り、ブン回した。
重い手ごたえが腕に、身体に響く。
同時に、しゃんっとその黄金錫杖の音が聞こえた。
コンクリート塊を肩に担ぎ、睨みを利かす。
ヤツはすっ飛ばされながらも、俺の攻撃を受けきった錫杖で軽く地を突き、相変わらず気色悪いほどの普通に言った。
「どうも。平和の使者です」
同族食いで、卑怯で、湾曲解釈で、その自覚のないクソゴミ虫観音様のご登場だ。