03. 消される
氷川さんが俺の身代わりとなってしまった、そんな不幸で可哀想で愉快な事故から数日が経った。
優月はいつも以上に警戒心丸出しで素っ気なく、俺は内心ニヤニヤとしながら金が財布に転がり込むのを待つ。
ようするにいつものあんばい。
穏やかかつムラムラする膠着状態だった。
そして迎えた護衛当日、その夕刻。
これまでのパターンからすれば絶対に揚げ足取りになるので、甘やかな気分を頭の片隅に追いやり、いざ花魁クラブへ。
意気揚々、正装の俺たちを見た超一流キャバ嬢お蝶さんの開口一番は――
「絵ヅラ、パねぇな」
――だった。
この通りお蝶さんの反応はイマイチ。
というか、バカにされている。
まあ、その。
無理もない。
俺はいつもの学ランで突入するわけにもいかず、体系がほぼ同じ赤羽根のスーツを借りたし、赤羽根もTPOをわきまえた。
そしてスーツはスーツでも、かたや金髪ヤンキー、かたや三白眼のインテリ眼鏡。
出来上がったのは、借金取りコンビだ。チンピラだ。
高校生と教師、ましてやヒーローというのは苦しい。かなり。
赤羽根も眼鏡に手をやって反論無し。
そんな俺たちさえも目立たぬのが、華武吹町ナンバーワン集客率を誇るオトナの娯楽施設"花魁クラブ"。
吉原遊郭の妓楼を模した二階建てに、遊技場や宴会場、果ては温水プールまで抱える非常に大掛かりな施設だ。
普段は観光客、とくに外国人で賑わっているが、本日はクロージングでのシークレットパーティーらしく、一般客は左右の店に流れていた。
ロビーから入ってすぐの池や朱塗り橋はさておき、サイバーネオンの看板に娯楽施設案内、ついには黄金のシャチホコが鎮座する噴水を見て、とうとう赤羽根が苦言を漏らす。
「伝統は無いが、派手と成金と悪趣味が一堂に会しているな」
それを受けて従業員のお蝶さんも苦笑い。
「外国人観光客にはコレがウケんのさ。気持ちはわかるけどね」
しかし、裏手のエレベーターから案内された二階の特別宴会場は雰囲気が一変した。
ガラス天井に黒と赤を基調としたシックな内装だ。
先ほどのお蝶さんの説明を踏まえれば、観光客向けには見えなかった。
フロアは、事前に聞かされていた開始時間の十五分前にもかかわらず、指や腕に金色をちらつかせた男たちで賑わっている。
そんな見るからにセレブな方々の視線が一斉にこちら――いや、お蝶さんに集まった。
場の温度が上がったようにさえ感じられた。
登場だけでこれだけざわつくなんて、どれだけ人気なんだよ、お蝶さん。
お蝶さんはすらりと背の高いモデル系の美人で、愛嬌や品性、教養、おまけに度胸もある。
その上、売れっ子だと気取らず、気さくに観光客や街の若者に話しかけてくる、いわゆるコミュニケーション能力お化けだ。
だから俺からすれば、面倒見が良くて頼りになる姉御……って感じだった。
そのイメージはたった今、華武吹町一の花魁キャバ嬢、に更新されたわけだけど。
で、そんなお蝶さんのご依頼内容はというと。
吉原遊女組合長からの唐突な誕生日パーティー提案に、お蝶さんはバッチリ怪しんだ。
怪しんだが上長命令、断れるはずもないのがこの業界。
常日頃から内外ともにお蝶さんへの嫌がらせは多く、花魁クラブの警備も信用ならん、その上ここのところ物騒で売れっ子とはいえキャバ嬢一人くらい闇に葬れる空気が出来上がっているときた。
消される、と感じたお蝶さんは自分の息がかかった護衛を用意した、と……そんな黒くて切実な事情だった。
「じゃ、きちんと働いておくれよ」
命の危険がある状況下だが、お蝶さんはいつも通りの凛とした表情でしゃなりしゃなりと視線の波に漕ぎ出していく。
青い打掛が尾を引く姿に歓声さえも上がるが、彼女は誰にも目もくれず正面の大階段の中腹へ。
その通り道をなぞるように、彼女への挨拶列が完成したのはあっという間だった。
歩くだけで人の流れを変えるだなんて本当に凄いお人だ。
フロアの客はすっかり一列なのだから。
つまり――
「鳴滝、見たか? こんな状況の中で視線一つ動かさなかった壁沿いの連中はおそらく雇われの警備員で――」
赤羽根は生真面目な見解を切り上げて、呆れた溜め息。
視線は俺の手元、食い放題から確保した寿司とローストビーフにあった。
「…………」
いや、だって。
フロアの人間がほとんどお蝶さんに集中してるんだよ。
どう考えても今でしょ。
と、すでに口が寿司で塞がっていたので目で訴えてみた。
「何が入っているとも知れんものをよく腹に入れられるな、と言っているんだ」
通じたらしいが、わかってはもらえなかった。
融通の利かないやつだな。
そんな折だ。
「食いねえ、豪ちゃん。どーせ余って捨てちまうんだから」
振り向けば、猿のミイラ――ではなく、いつもなら番台でキセルを咥えている爺さんがにやにやと笑みを浮かべていた。
店の法被姿のくせに、俺と同じく節操無く彩られた皿片手である。
この爺さんはボケてるのかふざけているのか、俺が花魁クラブを出入りするたびに「豪ちゃん」と間違える。
あんなブ男で下品でデリカシーのないオッサンと一緒にしないでほしいので、俺はいつも通り訂正した。
「禅だっつーの」
「客に毒盛ったとあっちゃ、大事な面目がなくなっちまう」
が、いつも通り暖簾に腕押し。
声をひそめながら爺さんの話が続く。
「菊代だってそんくらいわかる。あの女ぁ、自分のツラの皮を飾ることだけは一丁前だ」
「菊代?」
爺さんが「ん!」と顎で示した方向は、大階段の上。
見上げるほど大きな肖像画に描かれているのは艶やかな着物に身を包んだ花魁で、なんとも違和感のある容貌だった。
顎が尖っていて、黒目が大きくて、女の子用の人形というか、少女マンガのような……。
「へっへ、アレじゃわからねぇよな。あの絵も本人の顔面もいじっちまってんだから。吉原菊代ってのは吉原遊女組合の組長だろうがよぉ、豪ちゃん」
爺さんはにやにやと俺の袖をひっぱり、エレベーターロビーへ。
自動的に赤羽根も一緒なのだが、この爺さんはそれも見越した声量でひそひそ話だ。
「菊代は所詮、五十年前の災厄ン時にトンズラした前組合長のフリして裏で金勘定はじめた下っ端遊女さ。そのくせ世話になった姉さんには気のおかしくなった男とらせてよ。あの女さえいなけりゃ、命を落とさずに済んだ女も大勢いたんだろうな、可哀想に」
「まるで火事場泥棒だな」
赤羽根の言葉に爺さんは何度も頷いた。
「あん時の話の続き、話せてよかったよかった。豪ちゃん、曼荼羅条約とか菊代とか、調べまわってただろ。胸のつかえがやっとおりた、へっへっへ」
あん時、というのはいつのことだろうか。
この爺さんがボケたフリをしているのか、それとも本当にボケていて鳴滝豪に伝えようとしたまま時間が止まってしまっていたのか、俺にはわからなかった。
だが、オヤジが優月を助けようとした行いが見事俺にパスされたのだから、胸のつかえとやらは報われたといっていいだろう。
爺さんの小言は続く。
「菊代はそんな器の小さい女だからよ、稼ぎ頭とはいえ、お蝶が面白くねぇんだ。今朝だって偉ぇ不機嫌で――」
チン、とエレベーターの音が割って入り、俺たちはそろって居住まいを正す。
寿司山盛りの皿を片手に持った爺さんなんて、俺の後ろにすっかり隠れてしまった。
扉が開くと同時に、まず降りてきたのは麝香の粉っぽい香り。
自他ともに認める俺の意地汚い食欲さえ引っ込んだ。
エレベーターからは屈強なスーツの男が三人、それから狐の頭がついたファーをこれ見よがしに巻いた女がロビーに出る。
女……というか、露出した腕周りからしてたぶん老齢だろうが、俺の目に入ったのは不自然に細い鼻筋や分厚い唇、毛虫と見間違うほどデカいつけまつげ、ありとあらゆる虚偽とその上に塗りたくられた肌を模した粉、であった。
彼女の一団は俺たちの前を通り過ぎ、さらにお蝶さん待機列に正面から突っ込む。
人の並びを左右に割ったところで、お蝶さんも道をあけたが、数段高いところから肩越しに振り返ると「ふん」と鼻を鳴らす。
……感じ悪ッ!
「へっへ、曼荼羅条約の吉原菊代さまさま、貫禄のご登場だなぁ」
俺の後ろに隠れていた爺さんは、嫌味たっぷりに言った。
「あれが……」
あれが、曼荼羅条約の一席。
吉原遊女組合の吉原菊代。
お蝶さん登場ではフロアの温度が上がった気さえしたが、吉原菊代登場では温度が下がり緊張感にピンと張り詰めたようだった。
「あの女が誕生日祝ってやるなんてウソに決まってらぁ、腹の底じゃお蝶が大嫌いなんだ。なんか企んでるに違いねぇ」
「何かって、たとえば?」
「昔々にもこんな宴の最中にならずモンに刺された女がいてなあ。そのときの狼藉者、菊代の息がかかってんじゃねえかって噂になったことがある、へっへっへ。今日は全館貸切、通常従業員はみんな非番だぁ。つまり、見られちゃいけないことが起きても口を封じやすいってわけだぁな。そんでも避けて通らねぇお蝶の肝っ玉にゃ、くぅーっ、惚れるねぇ!」
言っている間に、吉原菊代は大肖像画の前へ。
あらゆる意味でお蝶さんを見下した視線をなげかけ、階段の麓を示す。
名目上とはいえ本日の主役だっていうのに、お蝶さんは階段を下りて来場客同様に吉原菊代を見上げる位置へと移動した。
俺だってその意味がわかるんだ、そりゃあフロアは気まずく静まり返る。
主催のくせにフロアをすっかり冷やしきると、ようやく満足げに口角を上げた。
そして、吉原は自らを主張するように枯れ枝のような両手を広げる。
「ようこそ! 華武吹町で最も幸福に満ちた極楽浄土、花魁クラブへ!」
しわがれているのに妙にねっとりとした声はインパクト抜群だ。
「今夜はたんと飲んで食べて騒いでくださいね。もしかしたら、スペシャルゲストが飛び入り参加してくれるかもしれませんわ!」
スペシャルゲスト。
曼荼羅条約、吉原菊代が考えることなど……なるほどねぇ。
お蝶さんにゃ悪いが、こりゃあ俺たちへの挑戦状かもなあ。
さあて、どうすっかなあ……!





