プロローグ、っていうか今回の煩悩 Ego or XXXX
――煩悩。
性欲、怒り、迷い、無知……ありとあらゆる心の穢れ。
……なんていわれるけれど、生きるために必要なエネルギー……みたいな、意外と悪いもんじゃないって、俺は思っていた。
煩悩大迷災で贄とされた優月を、今度こそ因果から解放する。
あと、いい感じになって男女の関係でTogetherする (※順序不同)。
そんな俺の最終目標は、あの夜から変わっていない。
だけど、問題は山積みだ。
聖観音アーリヤには苦虫入りの煮え湯を飲まされ、如意輪観音チンターマニチャクラもいまだ所在が謎のまま。
その上、アキラ・アイゼンは愛染明王――ではなく、その名を騙った第六天魔王マーラだという。
ようするに世間一般的かつ平たく言えば、ワルモノってことだ。
アーリヤが暴露した"魔王と観音菩薩の代理戦争"という言葉をそのまま信じるのなら、俺たちヒーローは魔王側についてるということになる。
心情的に、怪仏そのものが気に入らないので、ヤツらの敵であるってのは構わないんだけど……。
「言いくるめられて"代理戦争の手駒にされてた"ってのは、やっぱムカッぱらが立つな」
ママ特製オムライスをかっこみながら、思わずボヤいてしまった。
本日もシャンバラ――店の奥、トイレ前のハズレテーブルでご相伴に預かる俺と赤羽根。
もちろん作戦会議……なんて仲の良いシチュエーションのわけがない。
腹を満たす目的で必然的に顔を合わせているだけだ。
店内はミラーボールとカマ騒ぎで賑っている。
本日もそこそこの繁盛ぶりだ。
店主のママは先ほどから裏手にある事務所の電話で「どうかしら」とか「わからないけれど」とかはぐらかすような返事ばかり。
こっちはこっちで難しい話でも受け負ってしまったのか、忙しそうにしている。
だもんで、俺と赤羽根のテーブルにだけ、辛気くさい空気が漂っていた。
「で? 正義のヒーロー、ジャスティス・ウイングさんはどうすんだよ。魔王マーラ様を探し出して、また言いなりになるのか?」
事件現場みたいに真っ赤に染まったオムライスを黙々と口に運んでいた赤羽根も手を止めた。
ここのところ眉間のシワと目のクマが目立つ。
「相手がアキラだろうが魔王マーラだろうが、俺は即身明王としての使命を果たす。それだけだ」
「素直じゃないなあ」
ふん、と鼻笑い一つ。赤羽根はオムライス (というかケチャップ)で口を塞いだ。
口先は相変わらず高慢チキそのままだが、内心煮え切っていないのは一目瞭然。
正義の最凶ヒーローらしくないといえば、らしくない。
だが、その信念を支えてきたのはアキラでもあり、赤羽根は長いことヒーローとしての支えを――即身明王たる軸を失っていることになる。
赤羽根・ジャスティス・正義らしいといえば、らしい。
「おまえはどうなんだ」
切り替えされた問いに、俺は親指と人差し指でありがてぇ手印を作った。
「そりゃ、そのときのテンションとコレ次第」
よーくご理解いただけたようで、返事はない。
もちろん、俺だって考えたよ。
アキラと命の取り合いをするしかないのなら……みたいな話を。
その紆余曲折の末に俺は、死にたくないという至極当然、かつあまりにもシンプルな感情に至ったわけだ。
死にたくない。
できれば自分の足で家に帰って、優月の顔見て、自分の布団で寝て、次の日を迎えたい。
そのために手が汚れる覚悟はあるし、そもそも些細なことまでカウントしたら俺の手だって、すでにまっさら綺麗ってわけじゃないし――
「お元気ンコ!」
「ンコンコ!」
沈んだ思考から顔をあげると、アケミとウンケミが俺たちのテーブルに身を乗り出していた。
准胝観音チュンディー戦の後遺症で、まだギプスがとれず痛々しいが、そんなことはお構いなしにギラついた視線だった。
生命力に漲っていた。
汚らわしい煩悩に満ちていた。
有り余っていた。
「ねね、さっきから男同士でマラマラってなんの話!? いやらしいわね!」
「ちょっとそのおちんぽ大魔王について詳しく教えなさいよ!」
「ははは、なんだなんだあ、まだ後遺症で幻聴が聞こえるのかあ?」
マーラ。
ヤツは畏怖のあまり名を軽々と口に出すことが禁じられ、複数の異名を持つという。
死より悪しき魔王。
天魔波旬。
他化自在天。
そして……魔羅。
ようするに男根の隠語だ。根源煩悩とはよく言ったものである。
アキラの奇行、アーリヤが「ちんこ」に過剰反応したのも、その辺が理由なのだろう。
当然、アケミとウンケミが過剰反応しているのは別の意味だけど。
「聞き間違いじゃないわよ! どっちが、どんなご立派様なの! 興味津々!」
「そうよ! このままじゃ夜も眠れないじゃない! どんな七珍万宝を隠し持ってるのよ!」
いち早くテーブル下にフェードアウトした赤羽根。
止まぬ魍魎の追求。
何故か――というか必然的に集まる店内の視線。
そしてようやくママのご登場で、いつも通り「働け!」と雷が落ちる……のかと思ったがそうではなかった。
ママがむんずと掴んだのは、どういうわけか俺の肩。
「え、なんで! 俺が、こんな低俗でくだらねぇ下ネタよりも罪深い行いをしたというの!?」
縮こまりながら振り向き見れば、ママはニヤリと笑みを浮かべて、ありがてぇ手印を掲げる。
親指と人差し指で作られた穴の中で視線がぶつかった。嫌な予感しかしない。
「禅。あんたにご指名、入ったわよ。体で稼ぐの得意でしょ」
「そういうのはNGです」
「あら、残念。三十万円出すって言ってるのに」
「え……ッ!」
ちょっとまって。
もちろんNGだ。
だが、三十万円あったら何ができるかというと滞納家賃に引越し代と目の前の問題が全部綺麗さっぱり片付くし、沙羅社長への借金を完全に踏み倒せば壁が薄いどころか穴が開いているプライバシーゼロの馬小屋じゃなくて、ちゃんとした壁とシャワーと大人二人用の大きいベッドがある場所に逃げ込むことだって可能な金額だが、オカマバーのシャンバラに電話がかかってきたっていうのならやっぱどう考えてもアッチ系だろうから俺は処女 (優月)と童貞 (俺)と処女 (俺)の優先順位をつけなければならないことになるわけで、じゃあ三十万円もあったら何ができるかというと――
「そんな怯えた顔しなくても大丈夫よ。相手はアンタのことよーっく知ってるんだから」
「余計に恐ろしいわ!」
ママはもったいぶりながら、今しがた受けていた電話――華武吹町の闇に塗れた依頼内容を説明しはじめた。