Honey Moon-(1)
やっぱり我が家は最高だ。
たとえ、バランス釜の古臭くて狭い風呂だとしても。
銭湯は男同士とはいえ、視線がある。
節度がある。
全裸であったとしても、心までは全裸になれない。
一方、望粋荘の風呂なら自分の領域。
身も心も全裸だ。
自分の思いのたけを迸らせても、きちんと後処理をすれば誰にも怒られないのだ。
逆をいえば、いまだ望粋荘に常駐している大家のババアが優月の部屋にいる以上、俺の自由と解放はここにしかない。
さて、どうしたものか。
ひとまず熱めの湯を浴びて部屋に戻って考えるか。
「ババアが自然消滅するわけねぇしな……」
蛇口を最大にひねる。
モギャっ、と慣れない感触がした。
見慣れた取っ手が手の中にあった。
ひゃー。
…………。
はい、今回の言い訳です。
聖観音アーリヤに奪われた十一面観音エーカダシャムカの能力。精緻な感覚。
どうもアレが俺の強化された力を制御していたらしく、変身前でも思わぬところで馬鹿力を発揮してしまうのだ。
以上、言い訳でした。
俺が持った物体は、金属がねじり切れた形状をしていたし、修復を試みたものの案の定、直りそうもなかった。
「…………」
湯煙と水音の中、俺は冷静に風呂を後にして、望粋荘ユニフォームとなると、取っ手片手に廊下に出た。
玄関口から大家の声が聞こえて降りてみると、畳や座布団が虫干しされ、ダンボールいっぱいのガラクタが並べられているところだった。
まるで蚤の市だ。
優月もその手伝いか、今は大家と水羊羹を囲んでいる。
麦茶をたたえたグラスの中で、氷がカランと秋波を送ってきた。
熱い風呂上りにゴクリと喉が鳴る。
「あ、禅……」
「こら、優月。甘やかすんじゃない。物欲しそうにしていればもらえるって覚えちまうだろ」
「……そう、か。そうだな」
俺は犬か猫か。
「逆にアンタは物欲が無さすぎるよ。そうだね……これなんかアンタにどうだい?」
干されたガラクタの中から大家がつまみ上げたのはカメオの嵌め込まれたネックレスだった。
値段はわからないが少なくとも麦茶一杯より価値はあるはずだ。
優月は首を傾けピンときていない様子。
「なんだい、遠慮することないよ。形見分けさ。あとはロクに会わない娘夫婦にやっちまうんだからね。好きなモンもっていきな」
「えこひいき!」
「外野は黙ってな」
俺は思わず叫んだが、年の功の前に無力だった。
優月は、俺の表情を見上げて何かを読み取ろうとする。
俺も「その桐の箱とか金目のモノっぽいし良いんじゃないでしょうか」「そして売っぱらった金で俺の家賃をどうにか出来ないでしょうか」などといった意思を発信する。
何を受信したのか、優月は琥珀色の宝石……型に加工されたプラスチックが並ぶバレッタを手に収める。
「これがいい」
「アンタ見る目がないね。そりゃ大昔に買った安モノだ。おもちゃみたいなもんだよ」
「大昔から捨てずに持っていたのか。えにしがあるのだな。これからは私が大事にする」
言ってるそばから髪をまとめて取り付け、一見無表情だが彼女なりの満足顔だった。
これには大家のばあさんもやれやれと首を振り、折れたご模様で。
俺も家賃がタナボタするのを諦めるしかない。
「で、禅。あんたなんで風呂場の取っ手なんか持って突っ立ってるんだい」
「大変申し上げにくいのですが」
さぁて、これから懇切丁寧に説明申し上げよう! という俺の背後から、さっそく熱気が漂っていた。
振り向けば見慣れた階段を、湯気をあげながら水が下ってきている。
すげー!
ナイアガラの滝みたーい!
「うちは木造建築だよ」
「でも築六十年じゃん」
「…………」
「…………」
我ながら屁理屈すぎる。
いや屁理屈なんてもんじゃない、クソ理屈だ。
よくこんなツラの皮が厚い言葉が出たもんだ。
だが、大家の返事は意外にも「そうだねえ」だった。
「もう老朽化も進んでるだろう、致し方ないね」
次の瞬間である。
「大家さん! ベランダが壊れて落ちちゃったっす!」
「実はサーバ置いたら床が抜けてしまいました!」
「よくわかんねぇけど壁コゲちまってよぉ」
大中小の悪魔どもが顔を出して悪びれのない懺悔をした。
大家は俺のときと同じく「致し方ないね」と。
というわけで俺たち全員がニコニコ顔。
めでたしめでたし!
「ま、あたしゃ明日出て行くから。修繕とかは好きにしな」
やったー!
「来年の春には取り壊すから、あんたたちもそれまでに全員出て行くんだよ」
「――え?」
え?