《archive:RED》Super Sun ※赤羽根視点
これは、あくまでも九条陽子の話だ。
あいつには最初から、素質があったのかもしれない。
少々、喧嘩っ早いけれど。
それは八月中旬のことである。
そう、伊豆のときだ。
「アタシ、優月さんには負けねぇから!」
爽やかな伊豆の青空には似つかわしくない言葉だった。
もちろん顔には出ていないだろうが、俺は九条陽子の言葉を理解しようと必死だった。
曼荼羅条約の情報網を回避するため……という理由で半ば拉致されて三時間。
俺の意思など無関係に、荷の如く伊豆に運搬されていた。
当初、二、三日缶詰にされて静かに物思いにふけるのも悪くない、などと自分に言い聞かせていたが、なかなか無理のある自己暗示だった。
到着した先は観光客にぎわう海水浴場近く、それも別荘と浮かれた場所。
極めつけにバカンス気分の学生付き。
俺は静けさを諦めた。
案の定、宿泊先となる白亜の大豪邸を見るなり、鳴滝は「やべぇ」と「すげぇ」だけの語彙で先走る。
正直すぎる感性に呆れていたところ、今度は先の九条の宣言である。
そのときの俺には、思考する気力が無かった。
「…………」
威勢よく拳を握り、一歩前に出た九条陽子。
宣戦布告された優月さえ閉口したところを見ると、俺のリアクションは間違ってはいないようだ。
おかげで、その瞬間だけは蝉の声と潮騒がよく聞こえた。
草木と潮の香りも懐かしい。
風流だ。
暑い。
腹が減った。
それと、頭が痛い。
「えと……あの、あの……」
気まずく歪んだ空気に耐えかねたか、九条は言った。
しかし、言葉を詰まらせた。
結局、気まずそうに視線を泳がせた末に、幼く作った声を上げて鳴滝のもとへと走っていく。
彼女が作り出した妙な空気はほったらかしとなった。
「猫かぶり下手か」
何故か双樹は、結構な力で俺の肩をはたいた。
そのフラストレーションは理解できるので、俺はその暴力に言及しなかった。
そういえば、鳴滝が九条と優月の間で二股うんぬん、なんという話もあったな。
関係なさそうだし、関係したくないので、俺はその件について忘れることにした。
他に考えたいことが山ほどあった。
*
その件を思い出すのは伊豆から戻り、八月も三週目に入った頃だった。
明珠高校の三年教室。
午前中にもかかわらず、俺は金にもならない追試のせいで黒板にチョークを打ち付けていた。
詳細にいえば、番組だオーディションだと追試予定が合わなかった九条陽子一人のためだ。
なお、この追試は二回目となる。
「九条。ここに答えを書いておいた。全部写せ」
よって、甘やかしここに極まる対応となった。
残念なことにこの九条、これでようやく及第点といった頭の出来だ。
一度目の追試は、吉宗千草が隣についていた。
明珠高校にはもったいない秀才で真面目で温厚な吉宗が、手取り足取り教えながらのテストで時間切れである。
俺は匙を投げ、効率を選んだ。
にもかかわらず、最前列に座らせた九条は机に突っ伏して堂々放棄の姿勢。
品も色気もない声を上げた。
「うびぃやあぁぁぁあ! むりぃ~!」
「そんなわけないだろ」
「赤羽根センセにはわかんねぇんだ! フラれて傷心した乙女の気持ちなんかよぉ~! 赤羽根センセは鉄でできてるからゼッテーわかんねぇんだあ!」
「鉄の元素記号はFe、原子番号26」
「ぎゃあああああああッ!」
放っておくと、九条は汚らしく鼻を鳴らしながら手を動かしはじめる。
試験というより写経だったが、この明珠高校の偏差値とて地を這うレベル。
答えが埋まった答案用紙が存在するだけいくぶんかマシだ。
それでも九条の愚痴は続いた。
「わかんねぇよお~、わかんねえ~。"妹みたい"ってズルいよな。もうなんだよ、助動詞って~! このっこのっ! でも、だって禅がさ、大人ぶりたがってそうだったからさ、だからアタシ、一歩引いて子供っぽくしてフォローしたのにさあ。禅ったら優しすぎちゃうからさあ~! もお~!」
「follow! ファー、ロゥ!」
「発音訂正するの、やめろよ! そんな話してねぇのわかんだろ~!」
「わからん」
テスト以外の話をするな。
というか、話をするな。
「なんでぇ~! 愚痴くらい聞いてよ~! 赤羽根センセだってフラれたんだろ、フラれた同士じゃん!」
「……それは鳴滝から湧いて出たクソ情報か?」
「そだよ。みんな知ってるよ。一緒に暮らしてるアキラってコに逃げられたって。ねえねえ、だからさあ~」
「そうか」
あいつ、潰す。
「だから、ちょっと話聞いてよ~!」
「面倒くさい。これだけ譲歩してやってるんだ、黙って手を動かせ。鳴滝以下」
「ぎゃあああああああッ! 不名誉おおおぉぉ! 最高裁で会いましょう~!」
さらに一つ二つ侮蔑を述べたが、俺の指と指の間で粉になるチョークを見て、九条は口を慎んだ。
歯を食いしばり、息を荒げながら、ようやく最後の科目に行き着く。
俺も鳴滝に対する愚痴と怒りと呪詛を聞き流して、九条のやる気を軌道修正してやるのは骨だった。
時刻は昼飯時をゆうに過ぎた頃、とうとう最後の解答欄が埋まると、九条は糸が切れた操り人形のように再び机に伏せた。
「だは~! 乗り越えたああ! アタシ、やった! やったよ、じっちゃ、ばっちゃ! ありがとう! 赤羽根センセもありがとう! 世界、ありがとう!」
「まるで壮大なことを成し遂げた言い草だな」
「なんだよ優しくねぇ! 褒めてくれたっていいのによ!」
「遅れを取り戻しただけのお前を褒めるのは正しくない」
「正しいとか、正しくねぇとか……赤羽根センセはそればっか! つまんねーヤツ!」
うるせーよ。悪かったな。耳にタコが出来てんだよ、ソレは。
そんな言葉を飲み込んだ。
その話は、感情的になりすぎる。
ようするに、精神的ダメージを負わされた俺は柄にもなく押し黙ってしまったわけだが、九条は気がついた素振りもなく息巻いた。
「もお! 禅はヒーローなんかじゃなかったし、赤羽根センセはヒーローでしかないんだな! ボンノウガーもジャスティス・ウイングもクソ!」
「そうか」
「お行儀いい大人マンやーめた!」
「そうかそうか」
「アタシが、アタシの理想のヒーローになる! アイドルって種類かもしんないけど、禅にも赤羽根センセにも負けねぇから! ライバルだから!」
以前から九条は何を言っているのかよくわからないヤツだ。
そのたびに九条の言葉を――その配列を理解しようとした。
今回もその努力はしたが、何を言っているのか、相変わらずわからなかった。
ただ。
まるで一等星でも入っているかのように目をぎらつかせ。
尖った犬歯が見えるくらいに口角を上げ。
俺や鳴滝を見下ろす場所を、たしかに見据えていて……。
俺がつまらないヤツなら、こいつは面白いヤツなのか?
そんな疑問が一つ浮かんだ。
しかし、やっぱり。
九条が言っていることの意味が俺には理解出来そうになかった。
むしろ、九条謎ワードベストスリーを更新していた。
「…………」
「…………」
「そうか、頑張れ」
そして、答案用紙を九条の腕の下から抜き取るのが、俺が出来る最大の譲歩だった。
「そういうの! そういうのがつまんねーっていうんだよ! アタシと同じ! ヒトのこと解ろうとしてねえとフラれちゃうんだよ!」
余計なお世話だ。
まさかとおもってその場で採点する。
案の定、写し間違いすら目立ち、四十点ほどだった。
無論、書き直させればよいのだが、満点にしてやる気など起きなかった。
九条もそんなつまらないことを望んではいないのだろう。
俺はさっさと九条を帰し、さっさと事務処理を終えて帰路につく。
ヒーローか。
修羅の道だぞ。
まあ、せいぜい頑張れ。
成長は苦痛だ。
蛇の脱皮だってそうだろ、命の危険を伴う。
俺だって昔は――。
まあ、そんなことを考えていた。
だが、その宣言を九条が叶えたのはほんの数日後。
スター爆誕というスカウト番組だった。
そして、俺はつまらない自分に危機感を覚えた。
明確に、焦りを感じた。
だから――。
いいや。
やめよう。
これは、あくまでも九条陽子の話なんだ。