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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
第六鐘 煩悩の果実
126/209

14. 涅槃症候群《ニルヴァーナ・シンドローム》


「ええ~! じゃああの時、禅くんは伊豆の海にいたの~? いいな! 青春じゃん!」


 戻ってきましたピンクネオンの街、華武吹町。


 早朝の銭湯、待合室はガラガラだ。

 この時間も一昔前はホストや刺青アリアリのお兄さんが利用していたが、最近は駅前のネットカフェやサウナに流れたようだ。

 利用者はホームレス高校生とエンドレス夜勤明け外科医くらいである。


 扇風機が掻き回す生ぬるい風に当たりながら俺はご馳走になったコーヒー牛乳をちびちびと舐めていた。

 一日一食の生活、糖分が全身に沁みる。


 一方、白澤先生はドデカい溜め息を産み落としていた。

 聞けば、(くだん)のローラー作戦の際はただでさえ忙しい病院内もしっちゃかめっちゃか、やれ患者のデータを出せだの、過去患者を調べろだの、三瀬川院長――というか曼荼羅条約の圧力と横暴が厳しかったようだ。

 俺たちが帰ってきた直後も、ママもイラつき、ホームレスのおっさんたちは萎縮して物々しい雰囲気だった。


「楽しかったかい?」


 だもんで、それが多少の嫌味、そして疲れを含んでいたことは承知。

 でもにやけてしまうものはしょうがない。

 俺はしょうがないヤツなので。


「いやー、楽しかったっていうか~……えへへ!」


「あはは、じゃあその分、バイト頑張らなきゃだね~」


「…………」


 ナチュラルに水を差してきたな、白澤光太郎。

 事実、俺は優月の待つ望粋荘に戻る為、これから炎天直下の馬車馬生活が続くのである。


「なんて顔だよ、夏休みしてきたのに。ま、頼れる人がいるときは頼ったほうがいいよ。『あいつは助けがいらないんだ』って思われちゃうと手遅れだからさ」


 キンキンに冷えたコーヒー牛乳をやけっぱちに傾けた白澤先生はいつも通り暢気ではあったが、疲れが滲み出ている。

 この人に至っては夏休みどころか睡眠時間も危うい有様だ。


「まあ……俺はしょうがないヤツって思われて、その上で受け入れてくれてるみたいだから、そこんとこは大丈夫っす!」


「ふ~ん……この間は気がつかなかったけど――」


 珍しく神妙な顔つきで覗き込んできた白澤先生だが、すぐに唇で弧を描いた。


「――なんだか大人になった感じがするなあ」


「え?」


 いいえ、まだ童貞ですけど。

 もちろん白澤先生が言いたいのはそういうことではなく。


「君が入院していた頃って、愛想は良かったけど『踏み込んでくるんじゃねえ』ってオーラが出てたからさ。一生懸命背伸びして強がって、早く大人になろうとか、誰にも迷惑かけないように生きようとか……そんな決意が先走って苦しんで、暗い青春を送っているコだな~って僕、心配だったんだ」


 確かに、そう思っていたかもしれない。


 誰にも理解されたくなかったし、誰も理解したくなかった。

 誰にも守ってもらいたくなかったし、誰かを守る自信もなかった。

 早い話が、誰ともTogetherしたくなかった。

 誰の助けも望んでいなかった。

 灰色の日常ってヤツだった。


 そこに優月とベルトが飛び込んできて、俺の灰色は全く想定していなかった方向にブッ壊れてしまった。

 一蓮托生、共に生きるのが当たり前になった。

 優月だけじゃない、俺はなんだかんだで、結構いろんなものとTogetherしてきた。


「誰かを受け入れたり、自分を預けたり……そういうの、君も出来るようになっちゃったんだなって思ってさ」


 言葉にされるのは少し恥ずかしくて、なんて返したものかと考えているうちに、白澤先生は瓶をゴミ箱へ。

 立ち上がるとあくびと、伸びと、溜め息のお疲れセットを一つ。


「それじゃ、僕は仮眠室という自宅へ戻るよ。僕がうとうとすると、看護婦さんたちが『ヒーローは眠らない』って諭してくるんだ。怖いんだ」


 やべぇプレイだな。

 いや、看護婦さんたちも重労働でおかしくなっているのだろう。

 ブラック医療現場というヤツになっているのかもしれない。


「一緒にこの夏を生き残ろう。でも、禅くんは頑張りすぎて病院に来ないようにね」


「は、は~い……」


「あ、それと限定版ディスクゥ――まあいいいか」


「家賃払って無事にプレイヤー借りたら一気に見ますから!」


「お、約束だよ!」


 かろうじて目に光を取り戻した白澤先生。

 やっぱり彼にとって特撮ヒーローが生きがいなのかもしれない。

 ボロボロになりながらも病院に戻る後姿は、俺にとってはヒーローそのものだ。


 だったら、俺も……!


「よーっし! バイト頑張るかー!」


 優月のヒーローになるために!

 まずはみんなが待っている望粋荘に戻るために!


 *


 ――鳴滝禅が銭湯を出た同時刻。


「一体……どういうことなの!」


 吉原遊女組合長が紙の束を丸めてテーブルに放り出す。


 黒い円卓、頭上から降る無機質な光。

 六つの席は五つほど埋まっていた。


「ですから……鳴滝禅はこの町には在住しておらずで。実際に、以前住んでいたとされる安アパートに問い合わせたところ『二○二号室はずいぶん前から空き家』『あのクズには二度と敷居をまたがせない』『まだ華武吹町にいるなら追い出してほしい』『帰ってくんな』と権利者も住人も散々な言いようで……これだけの言われて戻ってくるはずもないでしょうし……」


 厚化粧の上からでもわかるほど顔を赤くした吉原遊女組合長に対し、三瀬川院長の顔色は青ざめていた。


「観音はあと二体と聞く。何としても即身明王を探し出し止めねば! どうすれば……ど、どうすれば……っ!」


 双樹会長は軽く溜め息を吐きつつ諌める。


「見苦しいぞ、三瀬川。煩悩大迷災をとめられたのなら……そのときは即身明王を我ら曼荼羅条約に引き込んで――」


「冗談じゃないわ!」


 テーブルを叩いた吉原遊女組合長の顔は般若面のように歪んだ。


「優秀な一族郎党の力で世界進出まで果たした双樹会長には関係がないかもしれないけれどね、吉原遊女組合は金が必要なの!」


 三瀬川院長はせっせと脂汗を拭うばかりで答えない。

 しかし吉原遊女組合長は威嚇する獣のように一つ唸り、続けた。


「欲望にまみれた馬鹿たちから金を巻き上げるほど簡単なことは無い! 私も三瀬川も、そこで善人ヅラしてる風祭の親父も、書き入れ時だって喜んだじゃないか! あの時ですら金勘定した、本物の商人だけが曼荼羅条約として生き残ったんじゃあないかッ! 目の前に迫った黄金期を、みすみす見逃せってのかい……?」


 風祭は初耳といわんばかりに眉をしかめ首をかしげる。

 一方で三瀬川院長の呼吸はどんどんと深く荒く乱れ、激しく咳き込み始める。


「三瀬川、あんただってそうだろう? もうあのときの金は底を尽きてきた、その上に金のかかる病が身体を蝕んでいる。一山当てて海外にトンズラしたいところだろう? 私だって、必要さ。女の誇りを支えるための金が! 煩悩大迷災で慌てふためく馬鹿どもの金が!」


 しんと静まり返る空間。

 三瀬川院長の咳も止まり、それでも続いた沈黙は、しゃらりという錫杖の音にて破られた。


「誰だ!」


 懐から銃を取り出し構えた双樹会長は見定める。


 白い髪を高く結った、美しい青年だった。

 異常な存在感だった。


 警備員も十二分にいたはずで、連絡どころか侵入を知らせる騒ぎも無い。

 当然に、普通に。

 そこに居た。


「我が名は聖観音アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラ。共生のご提案にあがりました」


 白銀の怪仏は、薄く微笑んだ。


 *


 ――さらに、同時刻。


「資料は受け取ったわ。ご苦労様」


 双樹沙羅はガラスのテーブルに携帯電話を置いた。

 向かい合う白衣の小さな影――天道巳晴は、己の身体の異変について記述されたカルテに目を通す。


 双樹ビル高層階の白いオフィス。

 応接用の革張りソファーとデスクのみのシンプルな部屋の中に夏の光が差し込んでいた。


「君もまあ、ずいぶんと大胆で恐ろしい女だね。夏旅行を理由に自分は華武吹町を離れ、末端(エージェント)を遠隔操作、パンク寸前の三瀬川病院から僕のカルテを盗ませるなんて」


 カルテを捲くりながら天道(てんどう)巳晴(みはる)は続けた。


「面白いことになってるじゃないか……!」


「そうかしら。結局は何もわかってない。あなたの若さに三瀬川が絡んでるってこと以外は」


 十歳前後の少年のままの容姿で六十を迎えた天道の身体は原因不明の奇病に蝕まれている……と、本人さえ言っていた。

 永遠の若さの秘密があると思っていたが、沙羅の望む結果は何も得られなかった。


「何を言うんだい、これこそ僕が探していたものだよ! ()()の痕跡だろう? 最近の怪人騒ぎ、煩悩大迷災……全部繋がった!」


 熱気を帯びた天道の視線がカルテの上を駆ける。


「僕は昔、宇宙人に攫われたことがあるんだ。これで確証が持てた!」


 唐突の出だしに戸惑いながら沙羅は耳を傾けた。


「昔から身体が弱くて病院暮らしだったんだ。それはちょうど、煩悩大迷災のとき。黄金の液体に浸けられたことだけを覚えている。僕は幼心に実験台にされたのだと思った。でも目が覚めたらいつものベッドの上で――そして五十年以上経った今もこのままだ。大人は夢でも見たんだって口をそろえたけど、やっぱり"奇病"と()()はやはり繋がっていたんだ……!」


「ようするにその"奇病"は……宇宙人のせいって?」


「僕の身体に起きている不可解な現象のカルテが三瀬川病院に残っているってことは、宇宙人と病院の共謀だよ! 巨大陰謀だよ! この街はUFOの観測数が異様に多いんだ。ネオンの光で極めてわかりにくいけれど、彼らは確かにすぐそばにいる! 侵略の時を窺っているんだ!」


「ちょっと……そういう電波系の話はパスで」


「君としたことが現実を見ないでどうするんだい! 僕の身体には宇宙の神秘が関わっていたんだ……! 大発見だ!」


 興奮のあまり天道が手から零したカルテを、沙羅は拾い上げる。

 コバルトブルーの視線は概要欄を撫でた。


 誰が命名したか不明であるが、その症の名は涅槃(ニルヴァーナ)症候群(シンドローム)

 仏教の言葉で"悟りの境地"を示す言葉だった。


 新たな()()の香りが漂う。




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