11. Power of Together!-(1)
夏の砂浜。
もうすぐ陽が落ちようという逢魔が刻。
華武吹町を離れ青春しにきたはずの俺は、どういうわけかヒーロースーツに身を包んでいる。
目の前に立ち塞がる完全体の怪仏アーリヤ。
そして、隣には頭だけ着ぐるみをかぶったド変態。
異物の登場によって俺は目を白黒させていたのだが、アーリヤはやはり普通に問いかける。
「コレ、あなたの仕業ですか?」
突き出した黄金の錫杖の両先端を覆う卑猥なカバーだが、少なくともコレが俺を守ったのは事実だ。
ゾウさんは、堂々腕組み仁王立ちで答えた。
「無論だ。初めて手合わせする相手、そんなに激しく突くのは感心しないな」
もしかして俺に渡したアレが、こんな珍妙な形で発動したっていうのか。
どういう仕組みかわからないが、ゾウさんは俺にお守りを渡してくれていて、親切に見守ってくれて……まてよ? 本当に男女のアバンチュールがはじまっていたら、今度はそっちがピンチだったのでは?
「その可能性は極めて低い」
「俺の考えてることに返事するのやめてくんないかな」
俺たちの問答さておき、アーリヤは身を低く構え、生死の境目をえぐりかねない黄金棒を構える。
その先端は未だ封印されているが、俺を物理的に嬲り殺しにするには十分だろう。
「人間たちから根源煩悩、魔王とまで恐れられるあなたが、まさか介入するつもりですか」
「その必要は無いだろう。お前は――お前のような現実を見られぬ贋の仏は、真の煩悩の使徒に討ち果たされるのだ。あっけなく」
「真の煩悩など、ありません、全ては幻です」
アーリヤは論法を繰り返した。
不気味なほどに単調な態度で。
「ボンノウガーよ。親切な流離いのゾウさんがひとつ説法をしてやろう」
ゾウさんの割り込みなど聞く耳持たぬといわんばかりに、ワンステップで飛び込んでくるアーリヤ。
その一閃、二閃から距離をとるのに必死になる俺。
しかし、状況構わぬといった調子で、ゾウさんも仁王立ちのまま説法を続けていた。
「相手の真実を欲する煩悩を"疑念"という。しかし、そいつの能力はその真逆。他者の真実から目をそむけ、意思をも認識せず、無かったことにする――如意の絶対防御、湾曲解釈! お前の汚い上に人間が小さい煩悩は、全てスルーされているのだッ!」
突きによって滑るのを警戒しているのだろう、アーリヤの動きはかなり大振りになっている。
それでなんとか回避が間に合っている状況。
俺とてゾウさんの説法、もとい罵倒を聞いている場合ではない! 悪いがスルーさせてもらう!
刹那、睨み合いを挟むもアーリヤの猛攻が止まらない。
だが、俺の目はその距離感、単調になりつつあるヤツのタイミングを把握しきって――いける!
かわして、いなす!
間合いに飛び込んで錫杖を掴み、引き寄せ――からの頭突き!
アーリヤの上体が仰け反った。
「はンッ! 物理攻撃は効くみたいだな!」
勝機!
「それはあなたもですが」
――と、思っていたが目の前が真っ白になり、うわんと意識が歪んだ。
ヘッドバットのカウンターが刺さっていたのだ。
振り払われ、突き飛ばされ、波の往復する浅瀬に背中から叩きつけられる。
目の前が七色に瞬いていた。
考えてみれば当たり前だ。
俺にも物理攻撃が効く。
そんなこともわからないほど余裕がない俺に、ゾウさんの説法が耳にはいるはずがなかった。
「敵は私ではありません。さあ、共生いたしましょう……! オン アロリキャ ソワカ」
真言は、俺に唱えられていた。
夕陽の残照がアーリヤの顔半分を照らす。
それが神々しく見えて、体の痛みや焦りがすーっと溶けて。
ああ、俺……救われるんだ。
こんな生きづらい、クソみたいな世の中から。
まるで、極寒の中に温泉を見つけたような、そんな安心感に身動きが取れなくなる。
俺の中から黒炎が湧き上がるが、次第にアーリヤの口元にしゅるしゅると吸い込まれていき――くそ、意思が吸い取られてる!
「煩悩など、いずれ朽ちる肉の檻と穢れた俗世が見せる甘美で愚かな蜃気楼。さあ、ひとつになりましょう。オン アロリキャ ソワカ」
意思が、溶ける……!
喰われる……!
「オン アロリキャ ソ――」
ふわふわと心地よくなりかけていたところで、アーリヤの真言が……止まった。
ぼやけていた視界、ピントが合う。
その精緻な横っ面に円盤のような、岩のような物体――ウミガメが打ち付けられていた。
「…………え」
ぼちゃん、とウミガメは波に落ち、のろのろと沖へと帰っていく。
俺もなんとか身を起こしてウミガメを見送ると、その方向からざぶざぶと歩いてくる赤いヒーロースーツ。
ジャスティス・ウイングがわずかな逆光の中、得意げに言った。
「どうやら、物理攻撃は効くみたいだな!」
「おい」
矢継ぎ早に、エンジン音が唸り、四輪駆動がアーリヤの立ち位置に突っ込んできた。
アーリヤは身を宙浮かせ、ボンネットをワンステップ、華麗に回避。
しかし、その回避行動を見て沙羅が得意げに言った。
「物理攻撃は効くみたいね!」
「おい」
ジャスティス・ウイングと沙羅の間で一瞬、火花が散る。
ソレ、俺が最初に言ったんだけど。
「次から次へと……困りますね」
アーリヤの表情は本当に気の毒なものを見る目だった。
腹の底から哀れんでいる言葉だった。
、
「如意が通らぬなら暴力に頼る。それもまた俗世の業。許しましょう。しかし、如意そのものである私に、如意が通らぬでは……勝敗はつきそうにありませんね。永遠に、無益な争いを続けますか?」
長引けば長引くほど俺たちは消耗する。
対するアーリヤは怪仏。
永遠にでも戦うことだって出来る。
「それでも貴方たちの決意は固い。ならばいっそ共生救済にて、みな救いましょう」
ジャスティス・ウイング、そして我らが知将も同じく打開策が浮かんでいないのだろう。
俺も、案が無いまま身構えた。
こうなったらいつもの持久戦、起死回生の一手を思い浮かぶまで粘るしかない。
あるいは背中を向けて逃げるってのも手だ。
どこまで追いかけてくるか、想像もつかないけれど。
せめて女三人は逃がさないと。
どうやって?
どこに?
悪い予測が、入れ替わり立ち代りに頭の中を駆けめぐる。
そんな緊張感の中、次の一手が放たれた。
かこん、と。
優月の手からRPG-18の筒が俺の足元に叩きつけられた。
支援?
これを使って何か形勢逆転を狙えると――!
「理性が存在するとは到底思えない最ッ低な本性を見せ付けるのは、お前の得意とするところだろう!」
……どう前向きに解釈しても、罵倒だった。
優月は、はっとなって訂正するように続ける言葉を補強する。
「私が何度、お前の薄汚い煩悩から眼を背けようとしたことか! それでもお前はいつだって……欲望に正直で、アホで、ばかで、クズで……私はお前がそういうヤツだと受け入れるしかなくなった」
「優月……」
全然、フォローになってない。
だが優月は搾り出すように、俯きながら、一つ一つの言葉に覚悟を込めているようだった。
「私は……それでもお前のそういうところを、弱いところも、汚いところも、全部知りたいと――」
「そうだぁああああああッ! 全くもってその通りなのだあああああッ!! 理想や信仰を追い続け、盲目となった相手には、己の姿をさらけ出し解らせる他無いぃぃいッ!!」
「…………」
「…………」
…………。
優月は何かもにゃもにゃと言った気もするが、ゾウさんの暑苦しい言葉に完全に上書きされた。
ゾウさんの暴走が続く。
「解脱とはッ! 《解らせるため》、《脱ぐ》と書くッ! 裸の心を知りたいと思うが煩悩なれば、裸の心を見せたいと思うもまた煩悩! ドン引きさせるほどの煩悩でヤツの湾曲解釈を突き破れッ! 輪廻転生、原点回帰ッ! お前が最初からやってきたことだ、無明戦士ボンノウガーッ!」
ゾウさん頭の中身と目が合った気がした。
「ああ、もう! だったら、コレまでの説法の中で一番わかりやすいな……! いつも通りエロビーム、打てって言うんだろ!」
「煩悩エクスプロージョンだッ!」
俺が腰のベルトに手を当てると、やれやれと肩をすくめたアーリヤの周囲でボッと砂と水が舞った。
信仰の、銀白の炎が燃え上がる。
「覚悟は決まったようですね。それならば――いざ!」
アーリヤの猛攻を前に、構えている時間は……!
「たじろぐな!」
黄金錫杖の先端は、赤く燃える三鈷剣に踊らされていた。
フェンシングの持ち手となったジャスティス・ウイングの剣は、正確に黒いカバー部分を狙い、力を受け流す。
ギラギラと炎が交差する軌道を目の前にしながら、俺はベルトの回転に意識を集中させた。
輪廻転生、原点回帰。
俺が最初に放った煩悩は……!
でも、それは陽子を傷つけるかもしれなくて――!
「叩きつけて、現実を! 否定しようのない煩悩を仏恥義ッて! アタシ、怖くない!」
四輪駆動の後方から顔を上げた陽子の、力強い声が聞こえた。
――そうだ。
解ってもらうことを恐れているのは、俺だ。
恐れているから、湾曲解釈に競り負ける。
解って脱ぐ、解ってもらうために脱いでいる!
俺がずっとやってきたことじゃねえか……!
呼応して煩悩ベルトは、気を抜けば俺が吹っ飛ばされかねない程にサーキュレーターを回して猛り立つ。
目の前で白い光がギンギンに煌めいている。
ジャスティス・ウイングが高く飛び上がる。
「あの馬鹿の如意を否定しきれる者が、俗世に在るとは思えんな!」
「いいえ、全ては愛別離苦が生み出す幻想なのです」
解らせる、脱ぎ放つ!
聖観音アーリヤ・アヴァロキテーシュヴァラに。
それから――!
「そんじゃ、正面から受けてもらおうかああああぁぁぁッ!」
俺は心を脱ぐように叫び、ありったけを迸らせた。
これが俺の、変わらぬ真言ッ!
「優月の処女は俺のモンだあああああぁぁぁぁッ!!」
――。
あの時と変わらず白い光線……どころか光の壁がベルトを起点に迸っていた。
唇の端を不気味に吊り上げたアーリヤが光に包まれる。
ヤツは、湾曲解釈しきって、俺の煩悩を否定するつもりなのだ。





