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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
第六鐘 煩悩の果実
119/209

07. 覗き見盗聴スプラッシュ

 別荘に戻ると老執事が出迎えてくれて、まるで何事もなかったように昼食がはじまった。


 何事もなかった、というのは一部訂正だ。

 優月は「まだ終わっちゃいない」とか「戦争は続いている!」などと、明らかに映画に感化された言い草で部屋から出てこず。


 そんな状況を沙羅は「ゆづきちもわがまま言えるようになったねぇ」といって鷹揚(おうよう)に笑っていた。

 確かに、暗い顔で端っこに座っているよりもずっと健康的だ。


 その後、沙羅はお詫びの名目で陽子と俺を引き連れ買い物に。

 陽子は着せ替え人形役を楽しんだようだが、荷物持ちにされた俺は精神的にも体力的にもげんなりとしながら、午後を過ごした。


 ともあれ今朝の沙羅による事件と俺の冤罪は、丸く収まったのである。

 多分。

 きっと。

 だと良いのだけれど。


 やっとのこと沙羅様から解放され、割り当てられた個室に戻ったころにはすっかり陽は傾いていた。

 ガラス戸の先には、オレンジの光が水平線にとろける見事なサンセットが広がっていて、俺は誘われるようにベランダに出る。


「華武吹町とは大違いだ……」


 などと感傷じみて一人ごちつつ、広く開けた風景と、潮騒や夏虫の声と、木々香る熱風を感じていた。

 こうしていると、煩悩に塗れた俺の心も洗われ――。


「あはぁ~……」


 ざぱぁ……と溢れる水音と、気の抜けた優月の声が上の階層から聞こえた。


「風呂で冷酒だなんて贅沢だな……ふぁー、沁みる」


 続く、ちゃぷちゃぷという水音。


 ああ、なるほどなあ。

 論理立てが成る前に俺の頭の中では、しっかりとイメージが出来上がっていた。

 というか、優月はずっと呑んでるな……。


 つまり、俺の部屋が三階建ての二階部分。

 優月が引き篭もっているのが最上階フロアぶち抜きのスイート。

 双樹の豪邸だ、海に臨む露天風呂などという素晴らしい施設があってもおかしくない。


 であれば、心が洗われている場合かいや否だ。

 爽やかな夏の風景などさておき、俺は早速ベランダの手すりに足をかけ上階の床部分に手をかけた。

 あとはバレないように懸垂(けんすい)で――。


「禅のばか……」


 さっそくバレたのかと覚悟したが、どうやら独り言のようで、ぼそぼそと俺への罵倒は続く。


「女なら誰でもいいのか、あの見境のない阿呆猿め」


 女体を観賞するのであれば、下は法に触れないところから上は四十五歳くらいまで、仰るとおり誰でもいい。

 だが、優月。

 エロいことをしたいと思うのはまた違うんだ。

 たとえ言ったところで、今の俺の姿勢からしたらまったく説得力無いだろうけど。


「あんなヤツ、絶対に信じないし、絶対に許さない……追いかけてきて、下手(したて)に出て、謝るなら……」


 おお。

 心の広い陽子とは大違いだ。

 まだそんなに怒っているとは。


「……どうしよう、違うな。信じさせてほしいなんて……わがままが過ぎる。あれだけ迷惑かけておいて……」


 あれ、これ。

 怒って……る?


「あの夜は、何もかも諦めていたのに。全部捨てるつもりだったのに……禅のばか。これ以上、私を嫌な女にさせないでくれ……」


 ちゃぷ、と深く水音が鳴った。


 あの夜……。

 最初に出会った夜、だよな。

 諦めていたって……それでゴミ箱なんかに?

 自分を捨てるって意味?


 ……だったら。

 わがままでも、過ぎててもいいから、生きる欲望を抱いてくれていて良かった。


「甘えたい……心配だし、甘えてもらいたい……なんて、そんな浅ましいことをどう伝えよう」


 ……そのまんま言ってくれれば、いいのに。

 優月の遠回しは遠すぎて、俺にはわかんないし。

 そもそも、その気持ちは浅ましくなんてないし。


 というか、今まさに俺は知ってしまったわけだけど。

 のぞきを働こうと、ぶら下がっている情けない姿勢にもかかわらず。


 優月はまだボソボソと唱えていたが、蝉時雨とひぐらしの声に埋もれて聞き取れなくなる。


 ならば、ここは少しでも距離を詰めるために懸垂を。

 そして、爽やかに「いやー、声が聞こえちゃったんですよねー」的な感じで……。


 よし、実行!

 ベルトの力もあって俺の体は軽々持ち上がって――携帯が鳴った。

 陽子用に設定していた歌謡曲の着信メロディーだった。

 俺の両手は塞がっている。


 そういえば、夜に話しようって言ってたもんなあ。

 もう陽も暮れかけて、夜っちゃあ夜だもんなあ。


「おい」


「はい」


 上から顔を出した優月は髪をまとめている。

 肩に紐も通ってないので俺の想像通りだったってことだ。

 全裸ってことだ。


 全裸 (強調)の優月は言った。


「言い訳を許可する」


「覗きをしようと思ったら、偶然たまたま意図せず盗み聞きとなってしまいました」


「そうか」


 で、その目の冷たいこと。

 そして、容赦なく降り注ぐお湯の温かいこと。


「……忘れろ」


「…………」


 洗い流されるが如く、俺は大人しく二階のベランダに戻る。

 ズブ濡れのまま未だ歌い続けている電話に出ると、何も知らぬ陽子が声をひそめて言った。


『へっへっへ、抜け出してきちゃった。さっきの話の続き、外でしてもいいかな』


 ひたひたと前髪からお湯が滴る中、俺は「ああ、今降りるよ」と何事もなかったように取り繕い、今度は手すりを越えて飛び降りる。


 玄関口の外に立っていた陽子は、庭先から現れた濡れ鼠状態の俺に目を丸くしたものの、「色々ありまして」と漠然とした俺の言い分に「そっかー」と寛大だった。


 何も変わっていない。

 陽子は俺を疑わないし、信じてくれる。

 だから居心地よい。

 楽だ。


 慣れたやり取りもして、それでもぎこちない空気のまま俺たちは車道に出る。


 道路を挟んで別荘の向かい、広がっているのは双樹名義のプライベートビーチ。

 両側は背の高い岩場に囲まれた幅二十メートル程度の隠れ浜だ。

 到着当初、沙羅は「こんな見晴らし悪いビーチじゃ情緒なくない?」と不満を漏らして海水浴場のほうに案内したのである。


 見晴らしが悪い――裏を返せば人目につかないこともあり、俺はその方向に進んでいく陽子にどぎまぎした。

 しかし、陽子は浜への階段を下りきらずにその段差に腰掛ける。

 安心と落胆が半々過ぎりつつ、開けられたスペースに俺も着座した。


「ごめんね……禅兄」


 陽子の声には疲れが色濃く出ていた。

 珍しく……いや、そんな声色は初めてだった。

 大人びていて、色っぽくて。


 潮騒とひぐらしと、時折通り過ぎる車の走行音。磯臭い風。

 オレンジ色の残照と、迫ってくる紫色の夜と、グラデーションと光の反射で彩られた海。

 境界線が曖昧な風景に、なんとなく責められている気持ちになった。


 あとは、ええと……。

 きょろきょろと見回して明るい話題になりそうなものを探している途中、自分の膝を抱いた陽子が現実味のないことを呟いていた。


「アタシな、スカウトされたんだ」


 当然、何の話かわからなかった。


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