04. おっぱおハザード
昨晩眠ったベッドは、こんな感触だっただろうか。
しっとりと暖かく、複雑で華やかな良い匂いに包まれて、肌色で……。
「ん~……くかぁ……」
視線を上げれば亜麻色の髪が見えた。
「えぇ……」
じゃあ俺が埋まっている肌色の柔らか素材は……。
ええと、あの。
頭で決着がつく前に、下半身のほうがピコーンと正解を訴えていた。
一つ一つ答えあわせしてみれば、俺は裸の沙羅の、ご立派なメロンの間に埋まり、かつ足でクラッチされた状態だった。
人肌の温かさと柔らかさ、白い肌に華やかな香り。
見上げれば爆睡そのものの油断しきった美貌。
「んむぁ……禅ちゃん……」
本当に、寝ている。
つまりエロいお誘いとかそういうのかは、いまのところ不明だ。
俺がまずやらなくてはならないことは、冷静になることだ。
俺は冷静だ。
かつてないほどに。
思考が静かに、それはもう停止するほどに。
幸か不幸か、白くなった俺の脳内スクリーンには優月に叫ばれた記憶が蘇った。
そうだ、下手をすれば簀巻きにされてしまうかもしれない。
ここはまず、保身が大事なのだ。
この柔らかメロンを今すぐに諦めて、被害者然とゆっくり声をかけるべきなのだ。
今すぐに!
…………。
…………。
よし、堪能したッ!
「あの、沙羅社長……」
「んがぁ……なんだぁ?」
のそのそと身じろぎすると、沙羅は寝ぼけ顔ながら辺りを見回し、最後に俺を認めると「おー、おっはよー」といつもの調子だった。
「今何時ぃ? まだ朝十時じゃん」
そう言いながら俺を解放し、髪をばりばり、あくびを一つ、バフッと枕に頭を預けた。
結局、くーくーと寝息を立てる。
この状況で動じないとは、やはり確信犯。
冷静な俺はベッドのふちに腰掛け、朝から元気良く主張するソレを隠す。
全開だったカーテンの向こう、バルコニーから望む爽やかな景色を見て、少しだけ落ち着きを取り戻した。
「で、なんで沙羅がここにいるんだ」
「あー、うっさいな! 鍵開いてたんだから誰だって入ってこれるの当たり前じゃん!」
どうやら俺は使い慣れないカードキーで鍵をかけ損ねていたらしい。
だが知りたいのはそこじゃない。
どうして俺を抱き枕兼、おっぱいサンドの具に……ありがとう、そしてありがとうございますッ!
くそッ! 問い詰めたいのに、感謝の言葉しか出てこないッ!
俺の心情を察したのか、沙羅は片目をあけて鬱陶しそうに言った。
「ゆづきちは酒乱だし、ヨコたんのコブシ効いたいびきもスゴかったから逃げてきたの! ホントはね、先にジャスくんを襲ったんだけど追い出されちゃって。まさか変身してまで拒絶されるとは思わなくて、沙羅はショックなの」
おいおい、赤羽根にまでちょっかい出したのか。
沙羅の性的雑食性よりも、勇気を称えたい。
「そんで空室は鍵があいてないし困ったぞ……ってときに、ちょうど禅ちゃんの部屋のロックがかかってなくて。ラッキーって、眠かったし寝ちゃったの!」
ひとつ引っかかるといえば、俺が最後の余りモノみたいな言い方のほうがショックなんだが。
だからこそ沙羅のおっぱいサンドを堪能できたわけなので、ありがたいといえば、ありがたいのだけど。
いやしかし本当にすごかった。人体の摩訶不思議と冒険が詰まってる。
「禅ちゃん、何を難しい顔して股間押さえてるの? 沙羅の説明、難しかった?」
「や、やかましいわ! お前に性欲をバカにされることだけは腑に落ちないからなッ! 俺はずっと純粋なんだからな!」
「うっわ、まだ童貞を大事に抱えてたのかあ。それ免罪符になんないから」
布のこすれあう音と共に、後ろから肩に両手が置かれ、柔らかい素材二つが背中に押し当てられる。
そのときになって、俺はガラスに薄く反射した自分と沙羅の、風景とは対照的な状況を目視した。
成すすべなく前かがみになり、生唾を飲む。
予想通りの反応だったのか、沙羅の嘲笑と妖艶な声が耳元をかすめた。
「夏だし、怖い話してあげよっか」
「怖い、話……?」
幽霊も、宇宙人も、可能性はゼロじゃないって信じているけど……。
俺の返事を待たずに、沙羅は話しはじめた。
「何年か前にね、初めてカノジョが出来たオトコのコがいてね。一緒に海に行ってイイ感じに盛り上がっちゃって、いざホテルで致しましょうってときに――」
呪われたホテルの話……!?
まさかここが!?
この部屋が!?
「――エッチ失敗してカノジョと大喧嘩になって別れたんだって。マジウケるっしょ」
「……は?」
沙羅が何を言いたいのか、純粋な俺にはよくわからなかった。
だが、彼女の次の言葉で背筋がゾクリと震え上がる。
「超怖くない? 好きなコのハジメテに、そういう思い出を刻むって。独りよがりの男に限って自覚無いから、ホント最悪だよね~」
「な……ッ」
「そのくらいヤバい爆弾を、禅ちゃんは現在進行形で抱えてるってワケ」
脇の下を通って沙羅の腕が俺の胸に這っていた。
耳に唇を当てた距離で、吐息と一緒に沙羅の声が聞こえる。
甘ったるい口調が、直接脳天に突き刺さった。
「沙羅が優しく、丁寧に手ほどきしてあげよか? ひとりでの予習じゃ不安でしょ~?」
「いやその、不安といえば不安なんですけど……」
「何より我慢し続けてるなんて健康に悪いよ? だいじょぶじょぶ、オトコのほうは自己申告制でわかんないんだから」
それは……。
いくらなんでも……。
一理――ある。
予習は大事! 健康に悪い!
一理も二理もある!
さすがは知将沙羅様!
そのおっぱいを合意の上で揉んだりできる日が来るとは――
「そのキリッとした顔、エッチなことを考えてるときの顔だよね」
「……いや、全然? 全然考えてませんけど?」
「元カノ舐めてんでしょ。沙羅わかっちゃうんだから」
「…………」
「男の待ちの姿勢ってカッコ悪いよ~? 次どうしたらいいかわかんないよ~って固まってるのはもっと最悪」
「全ッ然、身に覚えありませんけど?」
「禅ちゃんはおもちろいお顔をちてまちゅね~。泣きそうなんでちゅか~? 泣け~、泣けーッ!」
「…………」
だって、それって完全に優月をラブホテルで押し倒したときの俺じゃん!
あれ、ダメなのか!
でも、あれはセーラー服のせいであって……。
……まてよ?
あの時、俺は沙羅というトラウマがあったから固まってしまったわけで……。
トラウマが……。
…………。
「ん?」
「…………っぶねぇ」
「…………禅ちゃん?」
「ッるっせええぇええぇぇぇぇッ! こっちぁ、お前に純情を踏みにじられてトラウマ植えつけられてんだよッ!! そのせいで優月と致し損ねたのが発端なんだよッ! 諸悪の根源ッ! 全ての元凶ッ! 悪乳退散ッ!」
「はぁー?」
沙羅は大袈裟に首をかしげて、わざとらしくすっとぼけた。
金とおっぱい、あと頭も回るがこの女は、コイツだけはダメだ。
「ただでさえ厄介なことになってるのに、これ以上不安要素増やされてたまるか! いいから服着て出て行ってくれ!」
「はいはい、服ね。あれぁ? どこやったかなあ? その辺に落ちてると思うから探しといて」
背中に張り付いた沙羅の気配が遠のき、バタンとシャワールームが閉じられる。
軽い。
とてつもなく軽い。
あれが、俺の純朴で平和だった時代を費やした女だと思うと、爽やかな朝の色彩がどんより濁っていく。
なんにせよ、俺は一刻も早くあの超軽量級アバズレを自室から追い出さなければならない。
俺は床を這い、開けてもいない冷蔵庫やら金庫を確認したがパンツ一枚見当たらず。
どういうことなんだ……。
冷や汗も脂汗もドバドバと滴り落ちていた。
すると突然。
ジリリリリリリ!!
と、けたたましい警報音に身を跳ね上がらせたが、「火災検知器が作動しました」のアナウンスで何事かを察する。
なにが起きたのかと廊下に出てみると、そこでは炎が――ということはなく、廊下の真ん中にぽつんと置かれたゴミ箱の中から、細い黒煙が上がるだけで、すでに自然鎮火していた。
ゴミ箱を覗き込んだ俺と――赤羽根。
燃えカスの先端は、見覚えのある沙羅社長お気に入りのコバルトブルーの模様で彩られている。
つまり……。
赤羽根が汚物でも見るような視線を突き刺しているソレは、俺が今まさに全力で探しているヤツだ。
「どうなされましたか!」
消火器を担ぎ、険しい顔で走ってきた老執事だったが、大事無いと知りシワを緩める。
「朝起きたら不愉快な布が散乱していたから、汚物を消毒した」
などと、放火犯は供述しており。
うん十万するブランドモノの服を「不愉快」という理由で燃やすなど……まさに鬼畜の所業!
大事なお嬢様に対する冒涜、そのとき老執事は――
「ああ、なるほど! 左様でございましたか!」
――顔色一つ変えなかった上に、まるでよくある事と言わんばかりに納得した。
俺は二度見した。
こんな騒ぎがあれば当然だが、優月と陽子も不安げな顔で廊下に出てくる。
望粋荘ユニフォームかつ魔乳の感触を忘れていない俺の下半身に、優月は呆れ顔、陽子は顔を赤らめてハッと口元を押さえた。
「ふぁぁあ……ほんと今朝はうるさいなあ、久々に人肌を感じながら眠れてたのに」
で、半乾きのままバスローブを着た沙羅の登場。
火災警報器のけたたましい音さえ気にならなくなるほどの、重油のような沈黙だった。





