17. いしのちから
三瀬川病院は、俺も数ヶ月入院していた場所だ。
多少の勝手は把握している。
手術室に向かう患者と医者が通るであろう、手前の廊下で待ち構えていた。
梵能寺から三瀬川病院に向かう前。
変身を解除して駆け出そうとした俺の肩を、赤いヒーロースーツが乱暴に掴んだ。
「怪仏化は未知の現象だ。一介の医者がどうこうできるものではない。そしてお前が居たとしてもそれは同じだ」
「おいおい、また正義に犠牲はつき物だとか言うんじゃないだろうな! 何もしねぇより――」
「……ああ、言い方が悪かった。お前は十分すぎる程良くやってくれた。結果がどうあれお前にも医者にも責任は無い」
「……は? 気色悪いな。中身、本物なのか?」
「今はその失言に目を瞑ってやる。もし、医者に怪仏やヒーロースーツについて話してどうにかなるようであれば……その判断はお前に任せる。俺はあのデカいイノシシを追う。風祭のタクシーなら追跡しているだろう」
「あ、はい……」
言うだけ言って、赤羽根――ジャスティス・ウイングはヒーロースーツのまま梵能寺の塀を乗り越え、ネオン輝く華武吹町へと消えていってしまった。
あいつはあいつで、アキラの痕跡を追いたいのだろう。
しかし、まさか秘密の開示といった重大要項を任せてくるとは、俺にとって予想外も予想外。
今回の一件で、あの堅物な赤羽根の考えは、少なからず軟化したってことなのだろう。 長続きすればいいけれど。
「道をあけてください!」
ガラガラとリノリウム床をキャスターが転がる音が近づいてくる。
青白い顔をしたウンケミが乗せられたストレッチャーが通り過ぎ、それを追う様に緑色の手術服を着た白澤先生が小走りにやってきた。
俺の顔を見てマスクとキャップの間で目を丸くした白澤先生は、一瞬で何かを察したかのように「やっほー!」と気楽な挨拶だった。
「顔強張ってんじゃん~! 僕がなんとかするから、家帰って限定版ディスクゥーでも見てなよ! 勇気が出るよ!」
そして、足も止めず、俺が一言を口を挟む間もなく、手術室に吸い込まれていった。
手術中のランプが点灯する。
「あ……」
赤羽根や白澤先生の言うとおり、俺にはどうしようもできないことかもしれない。
だけど、その場を離れる気になれず、暗い廊下のベンチに腰掛けた。
如意輪観音チンターマニチャクラ。
様々な手段で身体に埋め込まれるチンターマニ。
帰国したばかりの沙羅と唯一接触のあった病院関係者。
アケミとウンケミ……そういえば痔の手術したって言ってたよな。
そんで、白澤先生がわざわざ見に来てるってことは、手術したのも……。
いいや、考えたくない。
うつむくと、視界に――黒くぴかぴかと光る小さな靴を見た。
顔をあげたそこには、黒い髪、黒いワンピースの女の子。
「君は……」
南無爺の前に現れた、人質になっても微動だにしなかった、あの日本人形みたいな子。
人質になったときに、首に怪我をしていたっけ。
その治療で病院に来ている……とかだろうか。
首の傷、大丈夫かな。
そんな風に俺が覗き込むと、少女の唇は動いた。
「ここのは随分としぶといのね」
「ん……?」
喋った。
いや、当たり前なんだけど。
ただ、その印象は俺が想像していたよりも、ずいぶんとツンケンしていた。
剣呑な目つきで俺を睨みながら、少女は続ける。
「でも今に、お母さんを失望させることになるわ」
「お母さん……?」
話が噛み合わない。
「誰かと勘違いしてんじゃないかな?」
少女は俺の目を見た。
その黒目の大きな双眼は、小さな身体の割りにどこか疲れきっていて、空虚で、無感情だった。
そんな目で、俺をじぃ……と睨みつけていた。
何か嫌な感じがする。
そう、華武吹曼荼羅を見つめたときのあの感じだ。
この子、まさか幽霊とかなんじゃ……。
いやでも、強盗に掴まれてピンチになっていたし……それは無い。ただちょっと目つきが怖い、それだけだろう。
「すこし因果を変えただけよ。本来ならあの時、人質になったのは私じゃなかったけれど、物事は同じ結果に収束した」
「……はい?」
なんかまた妙なことを言い出しちゃったな……。
ははん、アレだな。
このくらいの年のコは、自分を特別に見せようとして、幽霊が見えるだとか宇宙人に会ったとか、そんな設定で身を固めちゃうもんだ。
俺も超能力があるとかいって、一生懸命コインマジックを練習した記憶がある。
そのお陰で、手先は器用になったけれど。
このコの場合は、パラレルワールド系らしい。
よくもまあ因果なんて難しい言葉を知っている。
だから寺で見たときもグループの輪に入れなかったのだろう。
そんな、ちょっと小馬鹿にした想像が俺の頭で練り上げられていると、少女は見透かしたように溜息を吐いた。
それを合図にしたかのように「あっ、そこにいたのね!」と聞きなれた声とがっつがっつと重いヒールの音が響き、廊下の向こうへ目を向ける。
皺だらけ、土だらけになったドレスのママが、汗だくになりながら駆け寄ってきた。
ふと、少女の方に再び目を向けると――消えていた。
まさか……本当に幽霊?
確かにここは病院だが、そんな馬鹿なことあってたまるか。
ママの巨体に隠れて、上手いこと見えなくなってしまったのだろう。
不可解なセリフも、きっと不幸にも誰かと勘違いしているに違いない。
赤の他人だ。
俺は少女のことを、やっつけ半分に思い込んだ。
単純に、"お母さん"とやらに思い当たらなかったし、自分のことで一杯一杯だったからだ。
「禅、あんたここにいたのね! ア、アケミは目を覚ましたって。ウンケミ、ここに!?」
狼狽した様子のママに肩をつかまれ、俺の身体はブン回される。
何とか首肯すると、彼女は光る「手術中」の文字を見て長嘆息を吐いた。
かける言葉が思い当たらず、ただ並んで座る。
俺が大怪我をしたときも、相当に時間がかかったと聞いた。
お袋もこんな風に待ったのだろうか。
白澤先生は……。
俺の命の恩人。
俺のヒーロー。
どうか、救ってくれ。
救ってくれるはずなんだ。
そうして、白澤先生は怪仏とは関係ないんだって、俺に解らせてくれ……!
祈るように両手を組んで、俺は何時間でもそうしている覚悟をした。
しかし、意外にも。
三十分もしないうちに「手術中」のランプは消えて中から額に汗で重い色に染めた白澤先生が出てくる。
白澤先生はちらちらと視線を俺とママにやって、するりとママの前に立つといつものスチャラカなトーンはどこへやら淡々と容態を説明した。
結果から言って、骨や内臓にダメージはあるもののウンケミは無事だった。
細かいことはママに任せ、俺はただ医師の顔をした白澤先生の横顔を、自分でも恥ずかしくなるくらいの憧憬の目で見つめていた。
白澤先生は人を救ってくれる、希望をもたらすヒーローなんだ。
絶望をもたらす怪仏なんかと関係無い。
ざわついた不安を安堵で押し流す。
緊張がほぐれたせいもあり、俺は浮き足立って三瀬川病院を出た。
*
――鳴滝禅が三瀬川病院を出る頃。
浅い夜闇に一つ、二つと打ち上がる花火を仏殿の屋根から見上げる影一つ。
長い三つ編みを弾いて、魔性の瞳で照らされる天を見上げた。
「踊れ踊れ、明王ども。この素晴らしき大穢土、我が愛しき欲界、仏なぞに浄されるなよ」
しゃらり、と黄金の装飾が熱風に揺れる。





