16. 共生救済
そいつは陽の落ちかけた夏空の、朱と紺によるグラデーションの中で名乗りを上げる。
「我が名は聖観音アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラ。全ての命と共存し、真の救済――共生救済を齎す者なり」
強制救済、ならぬ共生救済……?
白銀色の髪は熱風になびいて、背負う夕暮れにきらきらと輝く。
錫杖の鐶も揺れ、しゃらしゃらと涼やかに奏でられていた。
人間の姿をした、それなのに人為を越えたと知覚させるその姿。
それは、俺たちが戦っている相手……!
「怪仏には変わりねぇってことだな……!」
さあ、お次はどんなオモシロ主義主張が飛び出すことやら。
解き放ち損ねた俺の煩悩はまだ残っているわけだし、ジャスティス・ウイングもついて二対一。
前衛で押さえ込んでいる間に、チャージしてビームしてワンパン粉砕確定だろう。
ならばこいつもここで――!
意気揚々と身構えた俺に、聖観音アーリヤなんとかかんとかは、音割れの無い穏やかな声で続けた。
「私は争うつもりも、仇なすつもりもありません」
「つってもお前のその身体は――!」
「自ら命を絶つ術も無かった素体の望みは、望みを絶たれること。ゆえに、私が有難く譲り受けたのです」
譲り受けた……?
怪仏化が完了しているってことで……それはつまり……。
治安劣悪な華武吹町だ、そこまで追い詰められているヤツも珍しくないだろう。
「信じるかよ。本当は怪仏化も完了してねぇし、ここで決着つけにきた……ってハラじゃないのか!?」
「他の観音たちがしでかしたことを考えれば、貴方の警戒もわかります。しかし、私は人間を学び、俗世を知り、彼らと異なる道を選んだ身。素体と語らううち、その深い絶望から学んだのです。共生救済こそ、この穢土には必要だと」
そう言って片手で手印を示すアーリヤ。
そして恭しく伏すベアトリーチェ。
危害を加えるつもりがないってのは……。
ベアトリーチェの暴走を止めたのだから、まあ事実だろう。
そしてその巨大肉山は見事手懐けられて大人しいものだ。
加えて、チュンディーの味方をしなかった。
少なくともこいつが他の怪仏のお仲間ではないというのは……確かなようだ。
であれば……!
「敵意が無いっつうなら、それを証明するために色々と教えて貰ってもいいんじゃねぇのか! 怪仏観音って何なんだ!? 何が目的なんだ!」
しかし、アーリヤは何かを確かめるように仏殿の上空を見上げ、眩しげに目を細め首を振る。
仏殿の上に何かいるのか?
視線を追ったが、そこには夜の帳が色濃く下りているだけだった。
アーリヤは少し思案して「それは然るべき時に」と、俺の問いかけを封じる。
交渉の余地はあるが、時期ではない……という感じなのだろう。
周囲の目もあれば、お祭り騒ぎの延長線。
確かに一理ある。
「それでは、近いうちにまた逢いましょう」
ご丁寧に深く一礼、アーリヤはヒラリとべアトリーチェの上へ飛び乗る。
ベアトリーチェが汽笛のように咆哮を放つと、美しい怪仏を乗せたまま、案の定あちこちを踏み倒す迷惑極まりない有様で去っていった。
聖観音アーリヤ。
俺はこの厭戦的な怪仏の登場に、希望を見ていた。
相手が一枚岩ではないことがわかった。
あの雰囲気だ、怪仏の正体を、目的を聞き出すことも出来るだろう。
何より、アキラ不在による行き詰まりを打破できる……!
そんな希望だ。
「……っふー」
張り詰めたものが一気に緩み、空気となって身体を抜け出た。
とにかく、今回は一件落着!
この破壊の後で楽しいお祭りに戻って……ってのはちょいと難しそうだが、今回に関しては、俺は大活躍!
せめて褒められても良いのではなかろうか!
「ジャスティス・ウイングー! こっち向いてーッ!」
「ライオンの化け物を素手で倒しちゃうなんて、強ーいっ!」
「二号はトドメを刺し損ねてたしなあ。やっぱりヒーローは赤いほうだな!」
……チュンディーに魅了されて、ほとんどの野次馬は覚えてないっぽいけど……。
「ジャスくん、俺は覚えてるよ。ライオンにケツを掘られそうになっていたジャスくんの勇姿を」
「次にその事を思い出した瞬間に、お前をブッ飛ばす。ふと思い出したときもお前をブッ飛ばす。なんとなくブッ飛ばす」
理不尽……。
少なくともジャスくんは俺のがんばりを知っているはずなのだから、少しぐらい華武吹町の皆様に口添えしてくれたっていいのに。
俺がブツクサと文句を言い始める、そのときだった。
「アケミ! ウンケミ!!」
チュンディーから解放されたアケミとウンケミの身体を揺さぶるママ。
だが、二つの身体に反応が、無い。
さぁーっと背筋に冷たいものが走った。
竹中は俺のビームで吹っ飛ばされて、記憶まで吹っ飛んでいたものの、生態反応はあった。
吉宗も意識朦朧の後、ほどなく歩けるようになって一人で帰った。
沙羅なんて怪仏との戦闘中でさえ、意識があったくらいだ。
今までの宿主と、症状が違う……。
そうだ、戦闘中にも感じていた。
これまで怪仏化が進行していた場合、《怪仏の意識》と《宿主の意識》が一つの身体に二つ存在し、勢力争いをしている状態だった。
竹中や吉宗ではわかりにくいが、沙羅と千手観音は入れ替わりまでしていて顕著だった。
宿主と怪仏の人格は、きちんと別々だった。
しかし、チュンディーとドゥンは……アケミとウンケミの人格が混濁していた。
異形の異形。
不具合。
壊れていた。
半分に割れたチンターマニ。
六観音のうちの一人、如意輪観音チンターマニチャクラ。
これまでの怪仏化も、不具合った怪仏も、意図的な――そいつの仕業なのか?
「救急車を!」
「いいえ、三瀬川病院はすぐそこだわ! 私が運ぶ!」
「ママさん、気持ちはわかるが下手に動かさない方がいい!」
騒然としながらも動いていく聴衆。
破壊された祭りの風景に呆然としながらも、活気を取り戻していく。
「おい、二号。ぼさっとしているな。俺たちの役目は終わった」
「お、おう」
俺たちヒーローは、人知れず荒れた現場を後にする他無かった。
共生救済を掲げた、聖観音アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラ。
チンターマニの原因と思われる、如意輪観音チンターマニチャクラ。
俺たちの敵が六観音、つまり六体のみと断定するならば、残る観音は……あと二体。
とはいえ、アーリヤについては、戦いが回避できるかもしれない。
だが問題はもう一方。
そう。
チンターマニの出所が三瀬川病院だという説は未だに濃厚なのだ。
何より、日本に着たばかりで且つ豪族の沙羅に接触していた人間なんて限られていて……。
一人しか該当しなくて……。
――白澤光太郎。
「…………」
一抹の不安が拭えず、俺は三瀬川病院へ向かった。





