15. Power of FortitXXX-(3)
欲望を……絶望を掻き消す気力、生きる気力を湧き立たせる手段。
「……っ!」
ひらめきがはじけ、頭から体中に興奮が駆け回り、目の前が明るくなった。
答えは実に簡単だった。
「陽子ーッ! 歌えーッ!」
俺の無茶に、ハウリング混じりの陽子の声が返ってきた。
『え? 歌えって……今!?』
「ばっちゃに聞かせてるやつ、歌うんだ!」
生きる気力が湧いてくる。
ばっちゃはそう言っていた。
『う、うん! やってみる!』
本気か冗談かわからないが、いつおっ死んでもいいと覚悟しているばっちゃにさえ、生きる気力を取り戻させるんだ。
俺には意思的エネルギーだとか、信仰だとか、わからないけれど、何かの力が宿っていると信じるしかない!
腕が震え、斧の刃先がバイザーをがちがちと鳴らす中、藁にも縋る思いでイントロを待った。
しかし、こんな状況で陽子は大丈夫だろうか。
緊張するから応援してくれ、そんな風に言っていた陽子に酷な役目を押し付けてしまったが――。
俺の考えなぞヨソに、国外に、宇宙圏外に、テンポの良い歌謡曲のイントロ、そして陽子の歌声がスピーカーから響く。
『私のとなりのおじさんは 神田の生まれで チャキチャキ江戸っ子 お祭り騒ぎが大好きで――』
え……っ。
俺は陽子に役目を押し付けてしまった罪悪感を放り出した。
陽子の歌声はあまりにも力強く場慣れした――この状況下にして、緊張や緊迫などとは無縁のそれだったのだ。
鬼の形相となっていたチュンディーの顔にも疑問符を物語るシワが深く刻まれ、ぎょろりと視線がステージの方へ向かう。
「オン・シャレイ・シュレイ……」
「ジュンテイ……ソワカ」
乱れる……いや、消え行く真言の合唱。
『ワッショイ、ワッショイ!』
陽子の歌声に合いの手が乗り、次第に、「ワッショイワッショイ!」と威勢の良い掛け声とお囃子が蘇る。
「あの娘に信仰がッ!? 取り返さねばッ!」
チュンディーが陽子をターゲットにして振り上げた斧は――俺が白刃取りでガッチリ掴んだままだった。
「待てよぉ! 俺はしつこいっつってんだろッ!」
「ぐッ!」
白刃取りのまま力一杯背負い投げる。
すると、これまでの怪力が嘘のようにチュンディーの身体は浮き上がり、俺の想像以上――寺の入り口まで投げ飛ばされた。
重い破壊音と共に塀に叩きつけられ、瓦礫を巻き込みながらその向こう側へ崩れ落ちる。
そうか、こいつは信仰力を吸収してこその怪力。
それが陽子に奪い返された今、丸裸も同然!
しかし、チュンディーにはかろうじて余力があるようで、コンクリート片の中から青い腕が伸び、指さした。
「……ドゥン! あの娘をやるのよッ! 信仰を取り戻して……っ!」
しまった!
相手にはもう一体仲間が――!
だが、俺が身体を向けると同時に「きゅうぅ~んっ」と情けない声が聞こえる。
目に入ったのは、ドゥン……というか、真っ赤に燃え上がる憤怒だった。
怒りの炎を轟々巻上げながら、すでに顔面がぼこぼこに歪んだドゥンを足蹴にしたジャスティス・ウイング。
「…………」
「きゃいんきゃいんッ! 痛っ! アッ、つま先はダメッ! イイッ! 痛っ! きもちッ! ぁンッ! やっぱり痛っ!」
「…………」
……説明不要の状況だった。
言うなれば「ただでは済まさない」が実行されているところだ。
陽子の歌も丁度良くアウトロと迎えている。
ドゥンはこのままジャスティス・ウイングに任せるとして、俺は早いことチュンディーとの決着をつけなきゃならない。
「救済を……! 私が救済してあげる、のよ……! この、穢れて可哀想な街を……!」
まだダメージがあるのか、瓦礫の中でもがくチュンディーの青い肌。
この状態なら、中途半端な二股ビームでも倒せるかもしれない。
でも、俺は……戦いの中で解っちゃったんだ。
その煩悩だけは手放せなかった。
諦めようとしても、諦められなかった。
俺は優月が諦めきれない。
俺自身が、もう言い逃れできないよう、この場でその気持ちをブチまけちまおう……!
「これでテメェの祭りは終いだ!」
怪仏観音も!
二股状態の俺も!
ベルトに手を添えると、覚悟を汲んだように勢い良くサーキュレーターが猛り始める。
「ぐっ、そんな卑猥で穢らわしい煩悩……無駄だとわからせてやるわ……ッ!」
起き上がったチュンディーは足元をふらつかせながらも斧を構えて受けて立つ姿勢となった。
優月は――祈るように両手を顔の前で合わせて目を閉じている。
伝えなきゃいけないよな。
そんで、迎えにいって、謝って、約束どおり一緒に華武吹祭りを見て回って。
まあ、アレだ。
そのあとひと夏の経験とかあって……。
「俺は……ッ!」
だから。
最初の夜と同じ、回避不能の熱いヤツをブッ放す!
光がギンギンに煌いて、俺の真なる言葉を待っていた。
「俺は、優月が――!」
…………。
…………。
…………眩暈?
いや、地面が揺れて。
地震!
――と思った矢先に塀を、屋台を、なぎ倒し、突如現れたのは動く肉山……いや、巨大イノシシ――ベアトリーチェ!?
「ブバァァァアアアッ!」
さらに、その上に堂々立っていたのは、例の白フード!
白い影は朱色の空、人間離れした高さに舞っていた。
発射寸前の俺のビームを意に介さぬ、むしろ割って入るような軌道で。
まさか、准胝観音チュンディーを助けるために、別の怪仏観音が乱入を!?
焦燥空回った俺よりもあきらかに、驚愕を顔に浮かべたのはチュンディーだった。
「あ、あんた……! 何故――!」
「オン アロリキャ ソワカ!」
「どうして! 私は可哀想なこのコたちの《邪悪な進化》をやめさせるため! これは善意なのに――」
そもそも、ベアトリーチェの登場から唐突のことで、俺には何が起きたのか……。
その光景の、その結果の、その言葉の理解が追いつかなかった。
黄金色の錫杖が白フードの手の中から伸び、チュンディーの額を貫いていた。
そのまま後ろ倒しになりブリッジ状態で倒れるのチュンディー。
悲鳴のような咆哮を上げ、ジャスティス・ウイングの足下から抜け出しチュンディーに折り重なったドゥン。
その二つの異形の影はぐにゃりと形を歪ませたと思うと、重油のように黒く熔けて、中から脱力しきったアケミとウンケミが現れる。
静寂の中、コロン、と硬質な音が二つ落ちた。
半分に割れていたが間違いない。
チンターマニだ。
白フードはその二つの半円を細い指で拾い上げると口元に運んで――ごくん、ごくんと飲み込んだ。
それが、目の前で起きた出来事だった。
突然の乱入者による決着に、騒然……それどころか聴衆の声、陽子の歌に盛り上がっていたお囃子も静まり返り、蝉時雨だけが単調に続く。
ベルトの前で渦巻いていたエネルギー光も、俺の戸惑いに萎んでしまった。
ベアトリーチェの暴走のときと同じく、白フードは緊張に強張った空気の中で悠々と動く。
そして、こちらに身体を向け、ゆっくりと優雅な動きでフードを取り払った。
そこにあったのは、金色の装飾を纏う浅黒い肌。
女性的で華やかな顔立ち、男性的で筋張っているが華奢な体躯。
そして――高く横に結った銀色の髪。
見覚えの、無い容貌だった。
アキラではない。
そいつは陽の落ちかけた夏空の、朱と紺によるグラデーションの中で名乗りを上げる。
「我が名は聖観音アーリヤ・アヴァローキテー・シュヴァラ。全ての命と共存し、真の救済――共生救済を齎す者なり」
強制救済、ならぬ共生救済……?