エピローグ 大地に捧げる後日譚
ズアック軍が撤退した直後から、表向きは中立ながらもギアルヌを支援していたゾツーク・グオツーク・ズグオツークの三公国から大騎士の将軍たちがギアルヌ城に入りびたる。
「吐きなさい。やつらを一日で撃退したっていう戦魔女騎甲様はどこからわき出てどんな芸当をやらかしたの? ギアルヌさんとゾツークさんは長年の仲良し同盟でしょ~?」
いつも疲れているスミエラ将軍の顔は笑っていたが、目はギラギラと冗談とは思えない気配をたたえていた。
サタライル将軍は上品な態度を保っていたが、目つきはたいして変わらない。
「私どもグオツーク公国としましても、重大な軍事機密をただで提供していただこうとは思っておりませんが、停戦直後の短期間に兵甲一大隊を融通させていただいた誠意をもう少し加味していただければと……」
従者バニフィンは王女リルリナの代役を期待され、各部署から奪い合うように相談を持ちこまれていた。
外務大臣から強引に背中を押されて対外交渉の盾まで務めている。
「その件でしたら先日にもお伝えしたとおり、戦後処理がもう少し進まないことには、返答も検討しにくい状態でして……さいわい浮遊商会のかたたちも、すごい早さで大量の鎧を貸してくださったのですが、まだ少し……」
「ちっ、行商人のやつら、勝ったとたんに手の平を返しやがって~。まあそれはゾツークの議会連中もいっしょだけど。でもうちだって、なけなしの将軍級を貸している媚びっぷりを忘れないでね~?」
「それと行商は各国の諜報機関とも密接ですから、どうか油断はなさらないように……ところでもし、戦魔女騎甲はまだ研究が必要な機体でしたら、ぜひ協同研究という形でグオツークと……!」
バニフィンは実戦で磨かれた勘を活かし、叔父でもある外務大臣を逆に盾としてふりまわし、どうにか大騎士二名の手数をしのいで回避する。
いっぽうマミュアス将軍は低い姿勢からのタックルをしかけてきた。
「お願い助けて! ズグオツークからは軍艦を格安で売ってあげましたけど、それほどせっぱつまっているの! ……ところでそちらのかたは? ここのところ宮廷にくりかえし出入りしていたような……?」
小柄で暗い顔をした三つ編みの少女が従者を連れ、三将軍の騒動を避けるように城内通路の壁際から宮廷へ向かおうとしていた。
軍服が紫地に黄色の星紋様であることから、ズアック連邦の関係者であることはわかるが、ギルフ王国に駐留しているズアック軍でも最も危険視されている『道化姫』フォルサ将軍や、その腹心『暴食姫』ウェスパーヤではない。
話題を向けられ、うっそりと視線だけ向け、ぼそぼそとつぶやく。
「どうも。ズアック連邦のレイディアという者です。鎧も指揮もたいしてうまくありませんので、おおかたフォルサに丸投げしていますが、いちおうはこの方面の総司令官ですので、お見知りおきを」
三公国の将軍たちは少女の胸についている階級章を確認してもなお、顔や姿と見比べて怪訝な顔をした。
「今までは楽もできていたのですが、今回は手綱をとりそこなった責任をとらされて、間もなく左遷される予定ですけどね」
無表情のまま、どこまでも陰鬱な目つきで言い捨て、そっと立ち去る。
見送ってからスミエラ将軍はぽつりともらした。
「地味で目立たないとは聞いていたけど、あれがズアック異端児軍団の親玉……伝説級騎甲の管理権限だけ持っている大騎士、レイディア将軍か……あんなに若かったとは。話しかたはババくさかったけど」
サタライル将軍もこそこそとバニフィンへ機密情報をもらす。
「グエルグング帝国も敗戦を聞きつけたとたんに欲を出してきた様子で、大騎士筆頭のマヤムート将軍が動きやすくなっています。ズアックからの補償は余計にぶんどりやすい状況では?」
「やはりそうでしたか。とれるだけとって、再び攻める意欲を抑えたいところですが、あちらも体面などの問題がありますし、支払い期限などでねちねち粘られているところです」
マミュアス将軍はバニフィンの腰から肩へ這い上がってこそこそと耳打ちする。
「デロッサ……さんについては、離反そのものも信じられなかったのですが、いまだにギアルヌへもどらないことから察するに、大国ズアックへ飲ませた毒薬、獅子身中の毒蛇……ということでしょうか?」
バニフィンもその話題ばかりは身をかがめ、廊下の隅で三公国の将軍と怪しい円陣を組む。通りかかった巡回兵たちは怖がって大きく避けた。
「まず客観的な事実として、デロッサ様は離反に際し、抗戦に消極的な貴族派閥を多く巻きこんでいました。そのため残った議会では、ズアック迎撃に必要だった無茶な予算や政策を通しやすくなり、特に戦後は人事改革が急転直下で進んでいます」
「示し合わせはなかったということですか? しかしそれでは、騎士団長が騎甲の半分を持ち逃げしてもなお、混乱を治めて抵抗できる見込みを信じていなくては……我がズグオツークなら、三時間で崩壊する自信があります」
マミュアス将軍以外もつい「うちは三日」「三週間ならなんとか……」と不毛を競う。
「デロッサ様はあくまで侵略には本気で加担し、ギアルヌがよりよい形でズアックに吸収されることを目的としていたため、今なおズアック軍で一定の信頼を得ているのだと思います」
バニフィンの説明で離反の経緯だけは理解できる。
しかしマミュアス将軍は、それを実行に移せてしまう騎士団長デロッサの精神性が人間のものとは思えない。
「いくら国を守るためでも……国を裏切り、敵軍の中で綱渡りなんて……?」
「国のためではありませんよ。おそらく……いえ、絶対。騎甲の半分を持ち逃げされてもなお、忠義を微塵も疑わなかった頑固者がこの国にはおりますから」
三将軍は絶句する。怪物『悪逆姫』を生み出した怪物の居場所を知る。
身の毛もよだつ結束を笑顔で語る従者もまた、怪物にふさわしい腹心に見えてきた。
「ついでに言いますと、デロッサ様のアルジャジア家が残した広大な土地と、非戦派だった貴族が一族ごと流出する事態を防げた国益を合わせますと、持ち逃げされた鎧で代償となる額かどうかもわかりませんね……」
少し悔しそうに、少し悲しそうに続ける。
「従者のミュドルトさんとルテップさんなどは『不忠者の摘出』を手伝うために、ご自身の家族親戚まで騙して使いつぶしたようですし」
三将軍は怪物にふさわしい従者がまだふたりもいた事実を知る。
「なぜ、そこまで……?」
「ギアルヌ兵の間では有名ですが、あの人たちは……性根がねじくれきっていますから」
さびしげな笑顔が即答した。
この古びた小国は謎めいた黒鎧によって狂気に染まったのか、狂気の開花として戦魔女を天から降らせたのか、わからなくなってくる。
もうひとりの従者ミルラーナは、城の裏門に近い墓標で立会を務めていた。
ギルフ王女ニケイラが、ズアック連邦のレイディア将軍と同じ船で来訪していた。
「義叔父は先に帰りましたが、叔母も討たれた相手が『鉄壁姫』であれば、騎士として本望だったと……夫婦でいちゃつきながら、同じことを言っていました」
ニケイラはただ静かにうなずき、ギアルヌ騎士団の元大隊長ルジーア・パサルスが葬られた方角の海へ、長い黙祷を終えてから口を開く。
「大隊長だったころのルジーアさんとは、交流試合で手合わせをしていただいたことがある。一撃ごとに芯の重さを感じ、受け流せても受けきれた気がしない、怖い相手だった……変わらないどころか、もっと強くなっていたよ。武技の奥底が……ギアルヌは不思議な国だな。ほとんど空賊とばかり戦っているのに、騎士の強さが深い」
「深い?」
「ズアック連邦やグエルグング帝国には技量の優れた騎士も多いが、しのいでやりすごしてしまえば、あまり怖いとは思わないのだよ。しかしこの国の騎士は戦い終えてもなお、どうにも私をおびえさせる。棺に葬られてさえ……君たちもそのような騎士に育つことを、私は願ってよいものかどうか? ギアルヌとギルフ、本来は支え合うべき両国の未来へ、救いを導けるように祈るばかりだよ」
いつでも力強い王女ニケイラの笑顔が、わずかに不安を見せる。
ミルラーナはギルフ王国が形式上の独立を保っていても、ズアック軍には駐留されたまま、王と王妃、それに三人の王子まで実質の人質として捕らわれていることを知っている。
ニケイラもまた、リルリナとひとつしか変わらない若さで国を背負い、至難の綱渡りを続けていた。
それでも、それだからこそ、この時までは微塵も心身の隙を見せなかった。
そしてその一瞬後にはふたたび、決してゆるがない『鉄壁』の一挙一投足を毎日毎秒でも続けるべく、分厚い気迫をとりもどす。
「……おっと、そろそろもどらなくては。私はレイディア将軍から特に警戒されているからね。よく話し合って理解を深め合いたいところだが、なぜか逃げられがちでね」
ミルラーナは王女ニケイラが端整な容姿に似つかわしくない『鉄壁姫』の異名で両大国に警戒され、戦力以上に敬遠されている理由については以前からなんとなく察している。
某国の『頑固姫』と妙に気が合う理由も。
ニケイラの退出を待っていたように、ミルラーナへとぎれとぎれの声がかかる。
「ああいった、バケモノの、相手をまだまだ、するのに、引退して、いいの?」
まだ喉が治りきらない、ベテラン教官のラフーボだった。
「私は現場から距離を置くにしても、段階を踏む予定ですよ。大隊長の役職はもらっておきます。しかしラフーボさんの腰ほど症状を悪化させてしまうと、後進の育成や緊急時の出撃にも差し障りますので……恩師どのにふたたび暇を贈りつけるための配慮も兼ねております」
「うそくさいけど、いちおうどうも?」
「ただマーピリーさんが完全復帰するなら少しは安心できたのですが、私の嫁入りは少しばかり先送りになるかもしれません」
「ちょっと、もらい手に困っている原因はあなたの性格でしょうが」
ミルラーナはまだ肩を借りたほうが歩きやすい体調で、看護服の少女たちが入って来る。
その中には第三王女のレビアズリもいた。
「参考までに、ミルラーナ様はどのような男性をお望みでいらっしゃるのか、おうかがいしてもよろしいでしょうか?」
「レビアズリ様がよく知っているかたにも、それとなくにおわせていたのですがね……それよりロゼルダ様はいったい、なんの真似ですか?」
看護服がまるで似合わない第一王女も、挙動不審にじとじとうろついていた。
「今日はいつものレイディアさんとかいうかわいらしいかたのほかは、ニケイラちゃんしか来ていらっしゃらないのですか? ……そのようですね……」
「ロゼルダ姉様はズアックのエリート男性だけを目当てに、看護のふりをして捕虜をあさりまわっておられたのですが、あてがはずれて目先を変えはじめたところです」
明るく苦笑する第三王女に同情の視線が集まり、ミルラーナはそっとつぶやく。
「こういった問題も押しつけられると思えば、さっさとスシェルラたちに引き継がせるのも悪くない気がしてきます」
そのころ正面側の城門では、新人騎士スシェルラが春の晴れた日中にしては言い知れぬ寒気を感じつつ、ズアック戦では共に裏門を守ったベテラン騎士マーピリーとたどたどしく接していた。
「なぜ、引退を……?」
「私にはスシェルラさんのような……騎士になったばかりで、あれほど落ち着いて戦い抜けるような資質はなかったのです」
困ったように言われてしまい、スシェルラは困りきる。
しっかり混乱していても態度には出にくい体質というだけだった。
近くで見ていたから、マーピリーが技量ではミルラーナを上回り、肝心な時には機体の差にも関わらず『鉄壁姫』の猛威すらはねのけた集中力も知っている。
自分には手が届きそうもない資質をたくさん抱えたまま、なぜそんな卑下をして身を引いてしまうのか、とまどうばかりで、普段以上に口が動かない。
しかしマーピリーもようやく、スシェルラのこわばった顔と無言が怒っているわけではない可能性にも気がつけるようになっていた。
「症状も進行していたのです……いえ、緊張で意識が遠のいていたのか、後遺症によるものかはわからないのですが、ふたたび同じ状況になれば、部隊にどれほどの危機を招いてしまうか……騎士としての自負を得られた戦いでしたが、新たな恐怖も増大し、限界を思い知った戦いでもあったのです」
スシェルラは黙って歯をくいしばり、自身の中で増大する不安に耐え、これほどの達人を封じてしまう傷の重さを悔しがる。
そしてあの激戦で、意識喪失の恐怖を強めながらも踏みこたえていたマーピリーの勇敢に新たな敬意をかみしめ、自身にも分け与えられていた勇敢を探りあて、かろうじて笑顔らしき表情を見せる。
「これからも、ご指導は、いただけるのでしょうか?」
マーピリーにもようやく、スシェルラという少女の心根と、これまでの思いが流れこんでくる。
「もちろんです。私の不始末で部隊がおびやかされる恐怖には耐えられそうもありませんが、後進育成のためにこの肉体を捧げつくすことなら、もはや騎士たる自分に残された、最後で最上の喜びなのです」
マーピリーは一戦限りの戦友、一日限りの隊長だったが、それでも最も大事なものを受け渡すべく、スシェルラをしっかりと抱きしめる。
「遅いっすよー。あまり目立つところにいると、三公国のおばちゃんとかにからまれて面倒なのであります」
城が建つ丘の下、桃の木の陰でホーリンたちが待っていた。
スシェルラはかすかにうなずいて足を速める。
「スシェルラさんも隠しごとは下手そうでありますが、自分もあれこれと探られては戦魔女の秘密をもらしかねない頭の出来なのであります」
正式な任命を受けた騎士と、兵士団の中隊長以上はすでに、黒鎧とその乗り手の秘密が端的に伝えられていた。
スシェルラは用意されていた小鬼兵甲へ乗りこみ、三機で島の中心部にある低く広い丘へ向かう。
まだ避難区画からもどっていない住民も多く、北側の地下通路は閑散としていて、南へ近づくと逆に、普段の城下よりも騒がしい。
丘は上段ほど古く上流の貴族の住居が多かった。
新人騎士ミルハリアの屋敷は最上段にあったが、四基の石棺が二段重なっただけの大きさは貴族でも最下流の住まいで、そこに三十人近い一族が暮らす生活は並の平民とそれほど変わらない。
ホーリンたちが部屋に入ると、すでにアリハがベッドの側に座り、リンゴをかじっていた。
「うちも大昔は大貴族だったらしいですけどね。派閥抗争でハズレを引いたり、突出した人材が出ないまま、功績のとり逃がしも続いて、ここまで落ちぶれたらしいです。まあでも、私がなんとかしますけどね。この『名誉の負傷』で一等地もせしめましたし……」
ミルハリアはエリート中のエリートである騎士に任命され、ひさしぶりに一族の期待が集まる逸材だった。
しかしその四肢は重症を負い、多少なり動かせるのは左脚だけ、それも足首以外で、大雑把にのったりと上げる。
ホーリンたちは敬礼の代わりかと思って敬礼を見せるが、すでに皮をむいて切り分けてあるリンゴをひとつ、アリハに口まで運ばせる合図だった。
その尊大な様子にホーリンとスシェルラは少しだけ安心するが、ふたりの背後にいるメルベットは……騎甲部隊の初期搭乗者でありながら、開戦早々になすすべもなく倒されるだけだった若手の騎士は……ミルハリアに無理をさせる原因となった自責の念で、ひたすらに萎縮して固まったままだった。
ミルハリアは眉をしかめ、リンゴをにらみながら口をとがらせる。
「……だから。私の人生が終わったかのように同情されても困るんですよね。こっちは新米騎士の分際で賭けられるだけのものを賭けただけて、それなりの見返りも得たので。むしろこれからなんで」
ホーリンとアリハは誰に向けての言葉かを察して苦笑するが、スシェルラは急に恐縮する。
「す、すまない。そんなつもりでは……」
ミルハリアは同期であるスシェルラの変わらない鈍さに呆れつつ、その不器用さを愛でて意地悪を重ねる。
「そう思うならどんどん出世して、私のほうがいかに優秀だったかを『みなさんで』言いふらしてくださいね? 私が議会などでも動きやすくなりますから」
うつむいていたメルベットも、ミルハリアのひねた気づかいをどうにか受け取り、かすかにうなずく。
スシェルラも珍しく言葉を多めに使って意志を示そうとする。
「わかった。しかしそれなら、もう少し感じのいい態度も身につけたほうがいい」
しかしまだ不器用で、親身の助言もあまりに直接的すぎた。
「余計なお世話です。この性格も政治の場では武器になりますので、ご心配なく」
野心家の少女は苦笑しながらふたたび片脚をあげ、もうひときれのリンゴを催促する。
四人そろって屋敷を出たところで、メルベットはぐったりと小鬼兵甲へ寄りかかった。
「いえ、だいじょうぶです。もう騎士をやめようだなんて言いません。そう言えない理由までいただいてしまいましたし……」
ふらふらと鎧へ乗りこみ、ふらふらと去る。
アリハも停めてあった犬鬼兵甲へ乗りこむと、軽く手をあげるだけでそっと背を向けるが、ホーリンの小鬼に頭突きで足止めされる。
「なにすんだよ?」
「いえ、いつもギャンギャン元気な野犬姫らしくもありませんので。おとなしすぎて不気味であります」
さすがにスシェルラですら、もう少し言い方を選ぶべきだと思ったが、アリハは気にもしていない様子だった。
「ビスフォンのやつが、ちょっとな……」
ため息まじりに歩き出した犬鬼にホーリンの小鬼も並び、スシェルラもなんとなく追う。
「それはもしや……戦場における危機のさなか、ついに気がついてしまった女としての狂おしい熱情でありましょうか!?」
「ちがうってば。やつらはもともと家族だし……クローファに無理をさせちまったことで、ビスフォンにきつく言いすぎて……」
「それでしたら、もうアリハさんは怒ってないのですよね? ビスフォンさんもすでに気持ちを入れ換えた様子でしたよ? どっぷりべったり『戦魔女』様にへばりついて、薄笑いばかり浮かべている連日連夜であります」
「いや、だから、それがだな……」
城へもどって格納庫の奥へ向かうと、スシェルラにもひと目でビスフォンが睡眠も食事もろくにとっていない様子に気がつく。
「そうは言っても、こればかりは一刻を争うから……」
まだ包帯だらけの体で黒鎧の足元にもたれ、とりつかれたように台座の操作ばかり続けていた。
時おり片手でいじっている鎧の修理資材の山に、干物や焼き菓子の入った包みまでまぎれている。
話しながらも目の焦点はぼやけ、ずるずると横だおしになり、むにゅりとホーリンのひざに頭がのった。
「ん……? んわ!?」
飛び起きて頭をぶつけ合い、ふたりでもだえ転がる。
「はぐぶぶ……自分はしかるべき休憩の補助に努めただけですのに、いったいどうして……?」
「おどろいたのはオレのほうだってば……でもまあ、目がさめたんで……」
ビスフォンが座りなおし、もそもそと作業を再開してしまう。
「アリハ、心配しなくていいよ。動作情報はいろいろ入ったのに、いまだに起動条件をつかめない楽しさで、意地になっているだけだ……『戦魔女』にアリハさえ乗れたら……できればオレが乗りたいけど……クローファを出さなくて済むし……」
アリハは干物を勝手につまんでかじりながら、焼き菓子を割ってビスフォンの口へさしこむ。
「わかったけど、とりあえずまともに食って寝ろよ……あれ? 飲み物は……」
見回すと、整備主任のジョルキノが水筒とイチゴを載せた盆を持ってきていた。
「ビスフォン先生よう、ミンガンのやつまで心配していたぞ? 戦闘がとっくに終わった後で、格納庫に仏が転がるなんて縁起でもねえし……」
ビスフォンはふらふらとあいまいにうなずく。
「……少しは眠らねえと、頭もにぶって効率が……」
ジョルキノは忠告しながら盆をさしだすが、反応がない。
ビスフォンは今度こそ戦魔女を枕に、寝息をたてはじめていた。
ただわずかに動いた口元が、ホーリンには『リルリナ様』とつぶやいたように見えた。
ベテラン騎士ライッシャは島の東端にある墓標から葬られた。
全身不随で引退する前は、ルジーアやラフーボと共に騎士団の中核を担っていた。
その当時の騎士団長が現在では軍務大臣になっているが、前線向きの人材ではなく、現場に関しては三人に頼る部分が大きかった。
ライッシャは……王妃ソルディナが早世する少し前から騎士団を支え続け、ようやく引退した後になって、国の窮地で自ら復帰を志願し、王女リルリナの盾となったきり、幼い息子と再会した時にはすでに、肉体は冷たくなっていた。
かつては大隊長も務めた高官だったが、実家の牧場がある東側の海へ埋葬されることを望んでいた。
遺体が納められ、花で飾られた石棺がゆっくりと海へ降下する間、王女リルリナは功臣ライッシャの事跡を讃え、その献身に感謝の辞をつくす。
まだ八歳の牧童は目に悔し涙をため、歯をくいしばって礼に努めていた。
黙祷が終わると、リルリナは自分のために犠牲となった臣下の遺族と向き合う。
「ライッシャ様は私に騎士としての教えを授けてくださり、王女や騎士団長としての私の身を守り、この国を救ってくださいました」
静かに語りながら、どれほど言葉を積み上げたところで、失った家族に釣り合うものなど見つけようがない虚しさに打ちひしがれる。
少年はうつむいて肩をふるわせ、つきそう若い叔父がただ黙って見守るうちに、少しずつ口を開く。
「母さんの代わりに、自分が兵士として出陣できていたら……なんでもっと早く、大人になれないのですか……?」
責める気持ちがリルリナではなく、少年自身へ向かっている姿はいっそう、リルリナの胸を痛めつけた。
それでも国を背負う王女として、騎士の長として、残酷な宣告を下す。
「その身を誇ってください。ライッシャ様は子供がいたから、重い病状を乗り越えられたと言っておられました。子供がひとりで牧場を見回れるようになったから、安心して復帰できるとも言っておられました」
両手を握り、言葉の中に虚偽がないことを確認させる。
「あなたもまた、すでにこの国の功臣であり、私の恩人なのです。そしてどれほど幼くとも、果たせる役割は数限りなくあります。あせりで道を見失うことなく、今の自分が踏みしめるべき一歩ずつを積み上げてください。それはあなたが望む姿の大人へ近づくために、最も必要な鍛錬でもあります」
幼い少年の両肩にまで、国を支える責務を分け与え、自身への憎悪で目の前が暗くなる思いで、どうにか葬儀を終えた。
人類はかつて雲の上に楽園を築くため、海から陸をとりさってしまった。
天上の楽園すらも戦争によって崩壊させたあとは、かつて『地獄』と呼ばれた雲の下、海面に近い浮遊島群だけが残された生存環境となった。
遠い昔に崩壊した楽園からは、今でも残骸が降り注ぎ、戦争の手段までばらまき続けている。
かつて失われた陸地と人命の量ほどに、とめどなく石棺は降り続け、誰もが石棺にすがって生活し、石棺に頼って戦争し、石棺に飾られて埋葬される世界になっていた。
人々は神の御心に沿って生きることで、海の底となった大地もいつか陸となり、新たな楽園がもたらされると信じている。
そのためにまだ、いくつの棺を冥府の波間へ沈めなければならないのか。
誰にもわからないまま、絶望しないための拠り所だけは必要とされ続けた。
東端の墓碑からは岸壁に沿って長く牧場が続いている。
リルリナは遠く見える城へ引き返す前に、夕日に染まる海と丘をながめ、羊の群れが帰り支度に集められている様子に目をとめる。
牧童に少しだけ、笑顔がもどっていた。
手伝っている飼い犬たちにまぎれ、いつの間にかクローファまで駆けまわり、無邪気にはしゃいでいる。
自分の命令で多くの犠牲者を出し、敵味方の人命や生き方を奪った意味が、この目の前の光景を守るためだとしたら。
そう考えればどうにか、天上の神の御心はともかく、いつか自分だけは、自分を許せそうにも思えてきた。
リルリナは喪服のまま無意識に片膝をつき、夕陽に輝く祖国の城と、そのはるかな下で眠る無数の棺へ祈りを捧げる。
(おわり)
あとがき
完読ありがとうございました。