第42話 奇跡と呼べば侮蔑となる
医務室のアリハは、悲鳴をあげながら体を起こす。
「あうっ、いたたた……たっ、でも、少しは、動きやすくなったか? 箱舟様に感謝だ」
壁から出ている医療機能つきの寝台をぽんぽんたたき、包帯をいくつかほどいて上着をひっかける。
格納庫へ出ると、整備主任のジョルキノは心配顔で体をながめまわした。
「そんな傷だらけで、だいじょうぶかよ?」
「痛むだけで、動ける」
ジョルキノはズアック軍から鹵獲した魔犬騎甲へ案内する。
「野良犬姫が骨に乗るのも妙だし、ちょうどいいだろ?」
「四つ足かあ……おもしろそうだけど、そんな急に使いこなせるかな?」
アリハは湿布と包帯をさらにいくつかむしり捨てて乗りこむ。
「このでか犬も……オレと似た感じだな。あちこちごわごわするけど、手足は動かせる。でも体の登録がなじむまで待てねえよ。ていうか馬人はどうしたんだ?」
アリハは胸甲を開いて出ようとするが、ジョルキノにあわてて止められる。
「いやそれが、応急修理は終っていたんだが……うげっ!? もう壊されたのか!?」
駆けこんできた兵士の報告に続いて、リルリナが笑顔を見せる。
「アリハさん、もう動いてもさしつかえないのでしょうか?」
床を這いずって格納庫へ押し入ろうとする包帯まみれの王女に言われても、アリハは青ざめてうなずくしかなかった。
救護班をはじめとした兵員が、大騒ぎで集まっている。
「リルリナ様! おとなしく乗って……担架まで壊す気ですか!?」
「いえ、待ってください。今は……」
アリハは気をとりなおすように首をふり、早く鎧へ体をなじませるために胸甲をふたたび閉じる。
「やっぱりリルリナ様は、もう再出撃していたのかよ」
「再々々出撃だ」
「え」
地獄の猟犬がジョルキノの顔を確認すると、うなずかれた。
もう一度確認し、もう一度うなずかれる。
「戦魔女様も、暴れ続けて粘ってくれている。やつを守りきって敵さんを削り続ければ、このどうしようもない消耗戦もじきに勝ちが見えてくるらしい」
「そうか…………本当に勝てるかもしれねえのか」
アリハの静かなつぶやきに、中年大男は自分の発言を後悔する。
励ますためだったが、覚悟まで決めさせてしまった気配に胸が痛む。
城の奥の医療棟へ移されていたミルラーナは、カーテンごしに叔母ルジーアとその夫の会話を聞かされていた。
「すまねえな。騎士団の大隊長様を嫁にもらっておきながら、俺はふがいない分隊長のままでよ……」
「十分に幸せだ」
「なんだってこんないい女が、うだつのあがらねえジジイと……」
「向かない体質と年齢で、楽しそうに鎧へ乗り続けるクヌリクだから惚れた」
看護班が入ってくると、ミルラーナはようやく寝ているふりをやめて起き上がれる。
全身のひどい痛みはほとんど変わらない。場所によってはひどくなっている。
しかし包帯できつく固定され、どうにか動かせるようにはなっている。
「服を着る。手伝ってくれ……ん? レビアズリ様?」
看護服を着た少女たちの中に、第三王女も混じっていた。
「私でも手伝える場所へ配置していただきました。兵甲に乗りはじめたばかりの腕では、鎧を着てもかえって足手まといになるそうです」
「はい。迷惑です。それに上ふたりの王女様があの有様ですから、レビアズリ様は堅実かつ慎重に成長なさることこそ使命です……と、上官としては言わせていただきます」
そして着替えも遠慮なしに手伝わせた。
「は、はい。しかしミルラーナ……隊長も、そのおケガでは……」
「臣下としては、信頼をたまわりたくぞんじます。北側から響く音を聞く限り、私が代役を任せた部下も意地を通してくれている様子で、だいぶ休めました」
ミルラーナは立ち上がって軍服を整えてから、笑顔と敬礼を見せる。
カーテンのむこうから、ルジーアがぼそりとつぶやく。
「聞かせてしまったか」
ミルラーナはひょいとカーテンの向こうにも笑顔を見せ、叔母夫婦の照れ顔にも敬礼しておく。
「ええ。もうのろけを聞かされなくてすみます。あとはお好きなだけどうぞ」
「私ほど年をくう前に、ミルラーナも家庭は持っておけ」
「そのつもりですよ。ねえさんはそんな心配より、早くご自分の体を治してください」
ルジーアはめずらしく笑顔を見せてうなずいた数日後、息をひきとる。
そんな未来を知る由もないミルラーナは痛みにこわばる体をだましこみ、廊下で足をひきずり、隣の病室をめざす。
追ってきたレビアズリたちの手は借りない。
「ミルハリアの容態は? 切断しないで済みそうか?」
隣の病室で、細いかすれ声が笑った。
「聞こえましたよ……重傷の私に、もう少し気をつかってください」
寝台のミルハリアは激痛をこらえ続けた消耗で顔が真っ青で、全身は汗にまみれ、レビアズリはこわごわと顔から胸元までをふき取る。
それだけでもミルハリアは叫びをもらさないように息をのみこむ表情を見せるため、首や手足をわずかほども動かせない。
左腕の変色は特にひどい。
「気をつかわれたい性格ではなさそうだがな……ルジーアねえさんが脚に負った傷も、これくらいだった。後遺症は残るだろうが、貴様の図太い神経なら補って戦えるかもしれない。今は回復に専念しろ」
「まあ私は、鎧に乗らない仕事でも優秀ですけどね」
ミルハリアは強がって笑うが、介護なしに暮らせるまで半年以上かかり、騎士鎧には二度と乗れなくなる。
ミルラーナが病室を離れ、格納庫の近くまで来てから、レビアズリは小声で報告する。
「ライッシャさんが? 以前にもあった昏睡症状ではなく?」
「病室へ入ってからも呼吸はしていたのですが、さきほど見回った時にはすでに……」
「そうですか……ほかには?」
「兵士部隊でも三人が亡くなり、もう数人も危険な状態です」
「そうですか」
うなずきながら、ミルラーナは踏みしめる足どりをゆるめない。
ただ少しだけ、かつて人類の日常だったという『殺し合い戦争』の規模を思い出し、同じ生物の脳構造で耐えられる負荷だったのか、漠然と疑念を持つ。
整備主任のジョルキノは顔を渋らせた。
「おいおい、いくらなんでも寝てないと……」
「さきほどまで寝ていた。それにリルリナ様のほうは、どれだけ寝かせることができたのだ?」
ミルラーナは中年大男の背を遠慮なしにたたき、使える機体への案内を強要する。
「あんなのとはりあっちゃいけねえよ」
「王女様に『あんなの』とはなにごとだ。ロゼルダ様ならともかく」
「だからってまともでもねえぞ? 死神のじいさまを先に冥土へ送る勢いでこき使っている」
ジョルキノが指す寝台には巨大老人の鎧が横たわり、隣の寝台で番をしている魔犬の心配そうな視線から、中身の有無も察することができた。
「それならなおさら、従者として先をこされるわけにはいかんな」
「いやいや、動いたらまずい重傷だから奥まで運ばれたんだろ?」
「貴様。騎士隊の中隊長へ向かって、いちいちいい度胸だな。気に入った」
ミルラーナは無表情に、さらに強くジョルキノの背をたたき続けて脅迫する。
その様子を見ていた魔犬騎甲が小さく肩をすくめて笑い、少しずつ立ち上がる。
機体の甲部分はすでに、青色に紫紋様のギアルヌ表示へ変更されていた。
「お先に」
「やはり中身はアリハか。やけに似合うが、馬人の形態とはまるで勝手がちがうだろう? 私は以前に四足歩行の機体を試して、二度と乗るまいと思ったが」
地獄の猟犬は寝台の上で入念に全身の動作を確かめる。
「うん。最初はあつかいづらい感じがしたけど、寝ながらゆすり続けていたら、まんざらでもない気がしてきた」
アリハにどれだけ素質があったとしても、まだ肉体は鎧になじみきっていない。
傷だらけの機体では違和感も大きいはずで、搭乗者の肉体もボロボロだった。
ジョルキノはそれをわかっていても、魔犬の脚をぽんぽんたたくだけで送り出し、ミルラーナの案内に歩き出す。
騎士ではない立場だと感じる、口出しの限度に肩を落とした。