第41話 斬り刻んでもとどめにならず
早朝からはじまった会戦は一度の総撤退、続いて全騎甲部隊の撤退を挟み、すでに午後も遅くなっていた。
ズアック軍は西の入り江まで後退すれば、浮遊艦隊でいくらかまともな機体の応急修理と搭乗者の治療、食事などの補給をできる。
すでに一隻は再出撃を望めない兵員と機体であふれていた。
ウェスパーヤは独り、修理跡だらけの魔犬騎甲で戦場へ引き返す。
二足歩行もできなくはない機体だが、片脚をひきずっている半壊状態ではせめて胸甲は閉めたほうが安全だった。
しかし下着姿ともわかりにくい全身包帯の上半身を出したまま、上着だけ肩にひっかけ、辞書のごときサンドイッチをいくつか口腔へ消し去りながら道端の桜花桃花をながめていたかった。
天気はよい。風は肌に心地よく、絶え間なく花びらを泳がせて風景を飽きさせない。青空や樹木との対比も鮮烈だが、地面の緑、とりわけ芝草にふりまかれている取り合わせが好ましい。
それだけに、道から飛び出て交戦したらしい足跡がそれらを掘り起こし、まとめて土まみれにしていると残念に思う。
しかしかつて周囲すべてに『死の海』しかない地獄をさまよい続けたウェスパーヤにとって、浮力のまともな石棺にしか載せられない豊潤な土そのものが『ごちそうのもと』で、自分のものであれば抱きしめて味見したいくらいには愛しい。
多数の鎧がぶつかり合う爆音は遠く果樹林などを隔ててもなお騒々しいが、まったくの静寂よりはいい。風すらない日に耳鳴りと幻覚がひどくなって苦悶した長い時間を思い出さなくてすむ活気だった。
あちこちから漂う摩擦熱で焦げたにおいともなると、妙に食欲を誘った。
つい近くの畑からキャベツをひと玉もぎとり、代わりに自分の髪飾りをひとつ、隣のキャベツに結わえておく。丸のままのデザートへかぶりついた。
「甘っ!? うまっ、うまっ! これは天国のかけら!?」
がふがふと一気に半分近くを腹におさめてから、どうにかひと息つく。
「はふー。この感動、飾りひとつでは安すぎでしたかしら?」
畑は丹念な手入れであふれていた。
それらをズアックの目が死んだ奴隷たちに任せたところで、同じ品質の作物を作れるかは疑問に思える。
「このギアルヌならではの頭のおかしい執念を土地から追い出してしまうのは、ちょいともったいないですわね……」
兵員の質であれば、ズアック軍の士気と勇猛もよく知られている。
貴族の特権が強い国ほど、兵隊は功績よりも負傷しないこと、失敗しないこと、目立たないことを重視する傾向が増す。
しかしズアック連邦は養子というたてまえの奴隷であれ、高官の実子であれ、功績が身分の浮沈に強く関わるため、危険への見返りが大きい。
それでもなお、このギアルヌ戦においては「見合わない」と感じ、負傷をおしてまで戦場にもどる者は減っている。
平均的な技量ではズアック兵が上回っているのに、重傷でもなお飛びかかってくる狂暴なギアルヌ兵たちに、軍隊とは異質な恐怖を感じる者も多い。
しかもその凶行を王女が誰よりも率先してくりかえし見せつけ、数で劣るはずのギアルヌ兵は疲弊どころか獰猛さを強めるいっぽうで、ズアック兵は敵の士気、あるいは狂気の限度に底がない実感を強めている。
「うわっつらだけ甘い停戦交渉でもかまして『頑固姫』様を人質にぶんどり、あの狂信者たちを手駒に使いつぶすほうがお得そうですのに……連邦評議会のおえらがたが、目先の奴隷利権ごときに気をとられているおかげ様で、へぼい遠回りですわ! でも私たちを使いこなせない無能さんが上にいらっしゃるなら、みっちり調教して下に従えてこその有能ですかしら!?」
城まわりの戦場へ近づくと、そこへ向かう妖魔騎甲の姿も見え、魔犬はずるずると駆けよる。
「そんな意味でも、このお仕事はヘマなく功績をぶちあげたいところですのにいいい~い!?」
「いきなりなんです? ウェスパーヤ君はもう出撃しないはずでは?」
「見学ですわ。回収でも手伝いながら……リルリナ様は?」
戦場の中心では戦魔女がズアック骸骨の大群をかきまわして暴れていた。
迷いを失った両槍は冷酷に急所をえぐりまわり、大鬼騎甲がくいさがって削られ続けることでどうにか数の優位を活かし、包囲らしき形を維持している。
しかしフォルサはその惨状を前にしながら、くりかえし城門を確認していた。
「ウェスパーヤ君もそちらが気になりますか? さすがにもう再出撃の報告はありませんが……なんでしょうね。彼女がいない戦場に感じる、この空虚なすがすがしさは」
ウェスパーヤは道化鎧の顔色をうかがい、首をひねる。
「どうにも閣下様らしくありませんですわ」
「私になにか、判断の誤りでも?」
「ザコ兵隊さんを地味にみちみちつぶして追いつめる陰湿な作戦はステキ全開でしたのに! 肝心の閣下様は、気を散らして手がお留守になっていることも自覚できないすっとこどっこいですかしら!?」
芯まで食べきったキャベツの根を道化鎧へ投げ当てると、それが地面へ落ちる前に大鎌の柄が打ち返し、ウェスパーヤは上半身をねじって避けながら、フォルサと敬礼を交わす。
「市民社会に求められた『メフィストフェレス』は、社会性と表現性の高い悪魔像ですわ! その騎甲にふさわしく、人に潜む禍々しさを愛し操ってこその『道化姫』でしてよ!」
「そんな評価をいただけるほどの者でしたら、こんな部署に飛ばされておりませんよ」
「そのぼやきも冗談と思えばこそ、私はシッポをふり続けているのですわ。大騎士の地位をねらう私は、自分よりふさわしくない伝説級の乗り手を探すこともお仕事でしてよ?」
ズアック軍の骸骨騎甲たちは大群で追いまわすが、戦魔女騎甲は無駄を削ぎ落とした動きで当たり前のようにすり抜けて斬りつけてくる。
どちらも兵甲部隊に動きを妨害されているはずだったが、戦魔女は瞬時に隙を見つけ、同時に踏みこんでいる。
騎甲の巨体でも速く動ける低いすり足の位置どりで、複数同時の相手に攻防をこなしても隙を見せない槍さばきで、ひどい乱戦の中にありながら、その異常な機体速度を封じられるどころか、一方的に活かしている。
「こいつ、動作の補助機能まで『極端』なのか!?」
「反射神経まで補うキワモノ機体なんて、聞いたことがない!」
ズアック騎士でも、生身で大騎士フォルサと手合わせした経験がある者は、似た感覚を知っていた。
体重がないかのようにスルスルとかわされ、気がつくと打たれている恐怖。それをくりかえされる絶望感。
デロッサの大鬼騎甲だけが、その耐久力と打撃の重さで威圧し、戦魔女の自由をはばんでいた。
そのすきに死角へ入れた骸骨だけは、黒い装甲を少しは削れた。
それでもまた一機、不意に姿勢をくずした骸骨が二本槍のえじきとなって斬り倒される。
脚へぶつかって逃げていた犬鬼兵甲を呪っていた。
その念は通じたのか、ふわりと妖魔が現れ、やにわに砲弾をばらまく。
ビスフォンはとっさに横へ飛んだが、片足が巻きこまれて機体ごと跳ね上がる。
「あぐっ……!? オレだけ狙い撃ち……!?」
ビスフォンは宙を舞っているほんの一瞬、ズアックの大悪魔にしては無駄の大きい『広範囲砲撃』に疑問がわく。
クローファが近くにいるのに。ちがう。クローファが近くにいるから。クローファが自分を気にかけていることを読まれた。
「来るな罠だ!」
飛びかかる二本槍は大鎌の柄に防がれ、大鎌の刃は魔女の肩にかかっていた。
「その異常な速さも、先を読めたら捕らえやすいわけですが……」
戦魔女は肩を浅く裂かれながらも抜け出し、骸骨たちの一斉攻撃もかわす。
「……惜しいことをしました」
起き上がりかけた犬鬼の背へ、大鎌の柄がめりこむ。
「げぅっ!?」
「君の助言が救いましたね? でも君が彼女に愛されていることもわかってしまいましたね?」
離脱した戦魔女はすぐに向きなおり、メフィストフェレスは「突進に備えてね」と手下へふきこむ。
黒鎧は大きく方向をゆさぶって駆けてくるが、骸骨たちは人質を背に低い姿勢でがっちりとかまえ、突破を狙える軌道がしぼられ、大騎士フォルサはふたたび大鎌でとどめを狙いすます。
「なにをそんなにあせっているのですかねえ?」
『あなたこそ』
悪魔の薄笑いが寒気で消される。どこから返事が聞こえたのか、確かめる前に大鎌は戦魔女をとらえたが、わずかな動揺がまたも傷を浅くして、さらには相打ちに肩を黒槍で刺されていた。
魔女と道化がさらなる一撃を打ち合う前に、乱入者もはっきりと姿を見せる。
止まる気のない馬人騎甲が剣まで盾がわりに、全身を投げ出すように飛び上がっていた。
フォルサはかわしたが、骸骨騎甲たちを巻きこんで戦場の真ん中に寝転んだ非常識な馬人へ、大鎌を突き刺す時間までは戦魔女が与えてくれない。
馬人はもがいて起き上がるついでに、犬鬼兵甲を引きずって逃げ出す。無防備に背を向けて。
フォルサは直感的に馬人を追い、その後ろ脚へ斬りつけたが、えぐる前から足を引きずっていたことにも気がつく。
戦魔女も骸骨たちをはねのけ、足を引きずる馬人の援護へ入ると、ギアルヌ小鬼たちも援護に押し寄せ、どうにか追撃をふりきれた。
クローファは味方にも聞かれないように、小声で馬人へ耳打ちする。
「寝てなきゃだめだよアリハ!」
「いえ、私ですからご安心を」
王女の声だった。
「もっとだめだよ!?」
妖魔は後退しながら一度だけ砲撃をばらまくが、それはどこか投げやりで、数機に軽傷を負わせるだけだった。
「彼女が見えなければすがすがしいというより、見えると忌々(いまいま)しいのですかね……?」
大鬼騎甲が妖魔の援護へ入り、従者ミュドルトも退路を斬り開きながら、馬人騎甲を鋭く観察する。
「やはりさきほど、城の窓から壁をつたって降りていた重傷者はリルリナ様のようですね?」
「子供のころにも同じことをして、ひどく叱られていました」
デロッサもうなずき、もうひとりの従者ルテップは呆れ声を出す。
「しかも自分の城の格納庫へコソコソ忍びこむなんて?」
「まったく、変わりませんね」
楽しそうに含み笑う大鬼の両脇で、従者たちが同時につぶやく。
「デロッサ様こそ」
バニフィンも馬人の正体に気がついて駆け寄っていた。
「リルリナ様! なんて無茶を…………あ、あの、機体の回収は……」
馬人鎧はうなずき、副司令骸骨の角ばったほおをなでる。
「私も同じ判断をしていたと思います。引き続き攻撃を優先し、回収は……」
「ボク、戦えます……だから……」
王女を護衛してきた戦魔女は、傷の増えた体を震わせていた。
馬人はその両肩をつかみ、周囲からは見えないように密接させる。
胸部から生身のリルリナが身を乗り出し、黒い胸甲を笑顔でノックした。
開かれた魔女の体内に、少年の怯え疲れた顔を確認すると、王女は胸の痛みを押さえる。
乗り移って抱きしめ、胸にうずめた髪をわずかずつなでる。
「もうしわけありません……あと少しだけ、クローファさんを傷つけることをお許しいただけますか?」
クローファは顔を上げ、首を横にふり、どうにか笑顔をつくろう。
「ボク、騎士様の鎧、あずかりました……なんでも命令してください」
王女はふたたび自分の胸を押さえてうなずき、馬人鎧へもどる。
「バニフィン、再出撃が早そうな機体にしぼって回収を再開させてください」
従者の骸骨はうなずいたあと、生身の王女へ顔を近づける。
「ではまず、リルリナ様が回収されてください」
「ま、待ってくださいバニフィン……私が立っている姿を見せるだけでも……」
王女は逃げるように胸甲を閉じるが、骸骨は馬人の肩をがっちりつかむ。
「絶対に『立っている』だけでは済みませんよね?」
「それは、その…………もうしわけありません」
気がつくとクローファは駆け去っていた。敵の大軍へ向かって。
「早く……早く終らせなきゃ……リルリナ様がまた……!」
戦魔女が突撃すると、道化鎧も戦場の後方で応急修理をしただけで再出撃するが、離れた丘の中腹を気にしていた。
なぜかまだ馬人騎甲が、足を引きずりながらうろついていた。怪しくつぶやきながら。
「歩いているだけです。歩いて……」
傷だらけの馬人はうろうろと見る角度を変え、時おり前進しそうな動きまで見せ、そのたびに両軍のあちこちが反応する。
上官を監視する副司令官バニフィンは特に、司令官がもどるとかえって気力の消耗が早まっていた。
「すでにリルリナ様だと気づかれているはずですから、どうかもう無理は……」
「わかっております。これほどひどい負傷と損傷で飛び出すなど、もはやここぞという時だけに……あ」
猛然と脚を引きずって馬人が駆け出し、戦場がどよめく。
「言ったそばから……!?」
バニフィンが叫んで追う目の前で、リルリナは敵騎甲にも近づけないまま敵小鬼にたかられてしまうが、その向こうでは妖魔と戦魔女がまたも刺し違えていた。
しかも今度は、道化鎧が刺された左脚のほうが深手になっている。
「君は、同じところばかり刺す趣味でもあるのですか?」
戦魔女は律儀に首をふって回答してしまう。
馬人騎甲は再び総出の援護を受けながら、地べたをはいずって後退した。
「フォルサが、自軍の騎甲をおとりにする動きが、見えたのです。しかし私が気を引いた、わずかなすきを、あれほど活かしてくださるとは……」
駆けつけたバニフィンとホーリンは人騒がせな馬人を抱え、丘の中腹まで一気に引きずり上げる。
「だ、だいじょうぶです。ここまで来れば、もう自分で後退できますから」
バニフィンは馬人の兜をこんこんとたたいて抗議するが、持ち場を離れる余裕もなく、しかたなく見逃した。
それでも二度ほど背後を見て、まっすぐ城へ向かっていることは確認する。
ほどなく敵味方から、小さなどよめきが起きる。
バニフィンがあわててふりむくと、城門を前に馬人騎甲がついに横たわり、動けなくなっていた。それにも関わらず、搭乗者は自力で這い出てくる。
ギアルヌの『頑固姫』が今日一日で機体を壊された回数について、誰もが自信を失う。
「しかしさすがに、立ち上がることもできないか……もう出撃は無理だろ」
そうつぶやいた者にも不安が残った。
その予想はすでに、くりかえし裏切られている。
「あれで四機目……だよな?」
あせり、とまどい、気にかけてつぶやく。敵も、味方も。