第40話 かみ合うためにねじくれる
ギアルヌ城は負傷者が増えすぎ、兵士は医務室の外にまであふれていた。
敵をなじったり同僚をからかう余裕もなくなり、あちこち腫らした体に医療装置をあててうなだれ、ひたすらうめいている。
中には軽傷と思いこんでいただけで急にうずくまって泡を吹く者、呼吸困難でもがき苦しむ者もいる。
戦線復帰は困難と判断され、奥の兵舎まで運ばれる者も増えている。
さらに奥の医療棟まで運ばれる重傷者も増え、城下や軍内にいる家族などが緊急に呼び出され、そっと駆けつける姿も多く見かけるようになった。
開戦前に渡守騎甲が寝かされていた格納庫の奥にある別室は、自軍の目も避けられるため戦魔女騎甲の整備と乗り降りに利用されていた。
緑に輝く黒鎧は、胸部に大鎌の刃で刺されたひびが大きく残っている以外、ほとんどは浅い傷だった。
「すげーぞビスフォン先生。この魔女様は自動修復までトロルに近い速さで……ん? どうした?」
整備主任のジョルキノは近づいてきた少年がいつもの温和そうな顔をしていても、強く緊張している気配を感じとる。
「ちょっと、クローファとふたりきりで話したいんで」
中年大男のジョルキノは、ビスフォンが幼いころからのつきあいだった。
戦魔女の閉じている胸部を指すだけで、黙って離れる。
「おいクローファ、まだ続けられそうか?」
ビスフォンがノックすると、鎧がゆっくり開かれる。
褐色肌で細身の少年は、たった半日でひどくやつれていた。
暗い瞳で困ったように見つめたあと、無言でゆっくりうなずく。
「やっぱり、元気はなさそうだな? また負傷した人たちを見ちゃったのか? というか……戦場そのものが、大嫌いなんだよな?」
ビスフォンはクローファの頭をなでながらも、つらそうに顔をそむける。
「でも……ごめん。お前が戦わないと、オレは助からないから」
「え……?」
「オレはこれから出撃して、戦場に転がってくる。奥まで突っこむから、回収は難しくなって、踏まれるたび、流れ弾をくらうたび、体がやられていく」
「なんで……? だめだよビスフォン!?」
鎧から出ようとしたクローファをビスフォンは力づくで押しとどめる。
「オレがリルリナ様を好きなことは知っているだろ。あんな無茶をただ見ているだけのほうが、死にそうに苦しいんだよ」
ビスフォンの落ち着いた声の『死にそうに』は、比喩の意味が薄い。
自身の大きな代償も迷わない重さがこもっていた。
「ボクだってそうだよ。でも……」
「体が動かないんだろ? お前はそういう優しいやつだから、しかたないよ。だからひどいようだけど、オレはお前の友だちであることを利用する。助けたいなら、早く戦いを終らせてくれ。リルリナ様は、あとひと息まで相手を追いつめたと言ってた」
ビスフォンが自分の犬鬼兵甲へ向かうと、ジョルキノが顔を渋らせて待っていた。
「ビスフォン先生よう……お前さんの腕はアリハやクローファほどじゃないだけで、兵士団でも指折りだ。指揮や参謀の才能も考えりゃ、将来は兵士団を背負える器だと思ったから、俺は整備班への引き抜きをあきらめていたんだぜ?」
「ありがとうございます。そんなことを言ってくれるのは、アリハのほかにはおやっさんくらいです……けど……すいません」
「王女様のため、か……とにかく無事にもどってこい。あの『戦魔女騎甲』の秘密を解明できたら、男も騎甲を使える歴史的な技術革命になるかもしれねえ……そんなこと、俺よりビスフォン先生のほうがはるかにわかってんだろ?」
「……ワンコロの応急修理、ありがとうございます。騎甲だけでも大変なのに……」
すでに隊長機だけになった犬鬼兵甲が格納庫を出ると、ちょうど城外の喚声が大きくなり、敵軍全部隊の前進を伝える。
休憩していたギアルヌ兵士団の大隊長も、すでに副官を連れて格納庫に入っていた。
「ジョルキノさん、あの新人の分隊長が、どうかしましたか?」
「ミンガン隊長……いや、あのボウヤがよう、やたら覚悟を決めた風にあいさつしやがってよ……」
ジョルキノが苦しげにもらすと、口ひげの男は眉をしかめて薄く笑う。
「ほ~う……おいラカダラン。我々もずいぶん、蛮族の子供なんぞになめられたものだな?」
「まったくです」
あごひげの男もニヤニヤと腕をふり、休憩を終えた隊長格に集合を急がせる。
ホーリンの骸骨騎甲は城門前でみがまえながら、歯噛みしていた。
いっしょに並んでいる六機の骸骨はすべて、歩けたらマシなほうで、まともに戦うことはできない。
ズアック骸骨の大群が、ギアルヌの兵甲部隊を次々と蹴散らしているのに、ただ見ているしかできない。
その足元を一匹の犬鬼がとことこ通りすぎる。
「あれ? 師匠だけで出撃でありますか?」
「その師匠っていう呼びかたはやめようよ。頭突きでもなんでも、騎士鎧で王女様を助ける功績をあげたんだから、もう立派な騎士様だろ……戦魔女の応急修理もじきに終るから、勝負はそこからだ」
おだやかにつぶやき、敵騎甲の集中する中央へ駆け出す。
「どうするおつもりなのか……ビスフォンさんは深く腹を据えるほど、静かに笑うのであります」
ホーリンが声を落として見送る背後から、続々と兵士部隊がわきでてくる。
「ホーリンさん、城門をふさがないでください!」
「門番おつかれさまです! でもすげー邪魔です!」
「うわ、敵さん本当に骸骨をうじゃうじゃ出してきやがったな? 『悪逆姫』の一味まで健在だし」
「しかもあのワンコロ、わざわざあんなめんどうな所へ……急げ! 追え!」
「あのクソガキをなにがなんでも援護しろ!」
犬鬼兵甲が近づくと、敵の巨大骸骨たちは次々と顔を向けて「犬鬼だ」とつぶやき、ビスフォンを苦笑させる。
「たかが犬鬼なのに。小鬼より少し動きがいいだけで、打たれ弱さやクセの強さでは損をしているザコ機体で……」
周囲にもギアルヌの兵甲は駆けまわっていたが、巨大骸骨たちは犬鬼を集中的に警戒し、巨剣を向けた。
「……アリハやクローファじゃあるましいし、オレじゃ別性能みたいな動きはできないってば!?」
犬鬼はすべりこんでかわし、足元をすり抜けながら、刃の壁と豪風に次々と追いつめられる。
「いくら倒されることが仕事だからって、ただの犬死には……!?」
わずかな隙間へ飛びこみ、巨体の影へもぐりこみながら、ふと大国の騎士三機を相手に、自分の実力にしては長くもちすぎていると感じた。
周囲の小鬼がやけに増えていて、そのほとんどが青地に紫紋様のギアルヌ鎧だった。
「止まるなビスフォン! お前が狙われていると俺らが楽なんだから!」
「ラカダランさん!? 中隊長がこんなところでなにやってんですか!? ぶぐぉっ!?」
言葉を交わしたふたりに、巨大骸骨の膝と拳がかする。
しかし群がる兵甲の多さと、やたら大胆な勢いに援護され、わずかでも立て直す時間が与えられる。
「いでで……大隊長まで来ているから喜べ」
ラカダランに言われてみると、一匹ほど無駄に怒鳴りちらして暴れまわる小鬼の声に聞きおぼえがあった。
「ミンガンさん!? 三十すぎの子持ちがなに考えてんですか!?」
「黙れ若造! 貴様だけがリルリナ様に身を捧げていると思うな! 言葉にしなくても、そう気どってそうなだけで不愉快だ!」
「そんな無茶な」
城門前のギアルヌ骸骨たちも呆れ声を出す。
「あのあたり、やけに楽しそうね? なぜか妻子もちまで突撃しているし」
「うちの旦那まで……どっちも倒れたら、誰が子供のめんどうを見ると思ってんだか」
「私たちも、どうせガラクタだとばれているなら前に出てよくない? この機体も蹴るくらいはできるし……あら? 副司令官さんもちょうど休憩終了?」
バニフィンの骸骨騎甲が現れ、城門前で黙って立ち止まり、戦場に倒れている自軍兵甲の多さを確かめる。今も増え続けている。
敵が目の前で暴れている戦場で、動けない鎧の中で救助を待ち続ける恐怖は、バニフィンも空賊を相手にして知っていた。
自分が指揮官になってみると、回収が遅れた部下たちの痛ましい姿と向き合うのは、それ以上の苦しみと思い知る。
重傷を負った恐怖は憎悪に変え、上官の自分へ投げつけてほしいとも願った。
新人騎士ミルハリアは、両腕と両脚がどこまで残るかもわからない重傷を負いながら、バニフィンに命令違反を謝り、無理に笑顔を見せた。
なにも言葉を返せなかった自分は、つくづく指揮官には向かないと思う。
それでもあの、腹をにぎりつぶされるような悲しみを分けて背負えるなら。
子供のころから、王女リルリナに守られ続けてしまった従者として、自分にできる数少ない役割なら。
バニフィンはあえて騎甲の胸部を開け、冷徹な表情で部下を見まわす。
「私も少し前に出ますので、ホーリンさんは護衛をお願いします。ほかの骸骨騎甲は、可能な範囲で前進を……それと……」
言葉が途切れ、蒼白になって震えだす。
並んで立つ骸骨たちと、城門前で回収を担当する兵甲部隊から視線が集まっていた。
「……司令官代理としての、命令です。自力で後退できない機体の回収は、敵軍の撤退後にします」
ホーリンがかすかに「あの、それは……?」と言いかけ、バニフィンは涙声で言い放つ。
「攻勢をかけるため、負傷者は一時的に、見捨てます……!」
手ぶりで回収班にも前進を命じ、もう一言をしぼりだす。
「命令、です……!」
誰からも返事はなかったが、兵士部隊の隊長たちは無言でうなずき合い、伝達に駆け出す。
「司令官代理からの命令で……」
「新しい指示だが……」
バニフィンは胸部を閉じ、いつの間にか背後に立っていた戦魔女騎甲へ振り向く。
「私の独断ですから、憎むのでしたら……」
リルリナのことだけは、悪く思われたくなかった。
クローファは震える小声でつぶやく。
「バニフィンさんに、そんなことを言わせる場所が、嫌い」
黒鎧は両手の槍をかざし、戦場を踏みつけて駆け出す。
口をつぐんだバニフィンも前進をはじめる。
倒れていた兵甲の一機が、自分を引きずる二機の兵甲を突き飛ばし、追い払うしぐさを見せた。
それより少し前にいた兵甲も、借りようとしていた肩をあきらめ、棍棒を杖がわりに踵を返し、敵陣へ向かって足を引きずりはじめる。
奇妙だった。反発の大きさを覚悟した命令だったが、あまりに静かだった。
兵甲が二機、近づくバニフィンたちに気がつかないで言い合っている。
「なんだそのひどい指示は!? 誰が出した!?」
「バニフィンさんが、泣きながら」
「それなら……しかたねえな」
怒鳴っていた兵甲は助け起こそうとしていた仲間の手を放し、置き去りにされたほうは小さく手をふって見送る。
「なんて伝えかたを、しているのですか」
バニフィンはかすかにつぶやき、リルリナが常に感じている『奇跡』の多さを代わりにかみしめる。
「こんな人たちに囲まれていたら、強くなるしか、なかったですよね」
依然としてズアック軍の騎甲十二機には圧され続けていたが、それでもなおギアルヌの兵甲部隊は気勢を上げ続ける。
その頭上に戦魔女まで飛び交いはじめると、ズアックの骸骨騎甲は次々と斬り倒された。
すぐさま大鬼騎甲をはじめズアックの騎甲部隊が一斉に押し寄せるが、それでも囲みきれない闇色の旋風に翻弄される。
遠く後方からそんな光景を見つめながら、大騎士フォルサは薄笑いをゆがめていた。
「強くなくては、いけませんかねえ? 強くあろうとするほど、自分や誰かの幸せを守れる……本当に、そうですかねえ?」
大悪魔メフィストフェレスも応急修理を済ませ、胸部を開いたまま戦場へ近づいていた。
「……そのはずですよね?」
悪名高き『道化姫』が優しい笑顔でうなずく。
「でも私の国では、すべてが逆に進んでしまったのですよ」
鎧を閉じる直前だけ、暗く冷たい真顔が見えた。