第4話 這い従う執念
港のリルリナはその場で臨時編成の指示を出すと、従者たちと城へ急ぐ。
「デロッサ様はなぜ城を奪わなかったのでしょう? ズアック軍を招き入れるまでの制圧であれば、容易だったはずです」
バニフィンが首をひねり、リルリナもうなずく。
「それでなくてもデロッサに『欲しい』と言われていたなら、私が惜しむものなど思い当たりません……それがギアルヌ王国そのものであろうと、期待を裏切ることなく使いきるものと信じます」
バニフィンはうなずきながらも、鎧の中でそっとくちびるをかむ。
今でこそリルリナの側近を務めているが、幼いころは両親にまで『なにもできない』と同情されていた。
本人も照れ笑いでごまかすだけだった。
バニフィンはデロッサに次ぐ大貴族の家系に生まれながら、あらゆる才能で天地の差を見せられ続けた。
それでもなお、自らの一族が築いてきた地位を守る責務を負わされていた。
周囲の貴族子女がみんなそうだったように、デロッサがなんでも見事にこなしてしまう姿にあこがれていた。
そして幼いころの王女リルリナは自分と同じようになにごとも不器用で、しかも肝心な鎧の適性では自分よりも劣ると知り、暗い優越感をおぼえる。
「デロッサ様のように才能にあふれるかたが、リルリナ様を支えて国を導いてゆくのでしょうね」
「私が……王女というだけでリルリナ様を慕っているとでも?」
バニフィンはそんな意図で言葉を発したつもりなどなく、ただデロッサに好かれておきたくて賞賛したつもりが、なぜか集中的に嫌悪の目を向けられるようになった。
その様子に多くの貴族子女もバニフィンとは距離を置くようになる。
やがて貴族の初等学校におけるバニフィンの話し相手は、自分と同じように修練に時間がかかって補習も多い……リルリナばかりになっていた。
「バニフィンさん、また少し、よろしいでしょうか?」
自分の噂について、リルリナはデロッサやそのとりまきからなにも聞いていないのか?
あるいは聞いている上で、王女らしく寛容に扱おうとしているのか?
やたらと話しかけられてとまどったが、理由はすぐに判明した。
「私は台座の操作がどうしても遅いので……いえ入力より以前に、指の配置はどのように……こうですか? こう……こう? それと指の運びは……失礼。並べるとちがいが……なるほど。いえしかし……」
修練のことしか頭にない。
「デロッサ様はもう大人に混じって武術の訓練をなされているそうですね。私などはそこまで上達するまでに、あと何年かかるか……」
バニフィンは少しずつうちとけ、愚痴につきあってもらいたい気持ちも育ってくる。
「ええ。私も勉学の休みにはひとりでも可能な剣の型を反復しておりますが、兵学校へ入る前にも準備できることは多くて迷ってしまい……バニフィンさん、また少し、よろしいでしょうか?」
しかしなぜか、修練にばかりつきあわされていた。
リルリナは多くの『できないこと』を抱えながら、そのすべてを追いまわし続け、弱音すらほとんどもらさない。
もし弱音が聞こえても、その直後には自らを叱咤して、試練への突撃を再開してしまう。
「リルリナ様はなぜそこまでして……ソルディナ様を気づかってのことでしょうか?」
リルリナの母ソルディナは王妃でありながら騎士団長でもあり、当時から苦しい情勢にあったギアルヌ軍を背負って多忙を極めていた。
「はい。早く母上の助けになりたくて……妹はまだ幼く、姉上はあのような状態ですし……しかしこうして修練に打ちこんでいる時に思い浮かべるのは、私以上の鍛錬を積み続けるデロッサの姿です」
リルリナの補習は少しずつ減り、いつの間にか全教科でデロッサとの距離をつめはじめていた。
デロッサは容赦なく引き離そうとしていたし、武術演習ですら誰よりも激しく痛めつくす。
ふたりは笑っていた。
いつでも、そして周囲が青ざめるような激突の中でこそ、互いへの敬意を最大に表していた。
バニフィンはかつてデロッサが自分へ示した憤怒を理解しはじめ、あらためて『自分には無理だ』と思い知る。
ギアルヌ王国の貴族子女は六歳から十一歳まで初等学校で学び、十歳からは具体的な進路の選択を迫られる。
バニフィンもリルリナにつきあわされ続け、努力をゆるめづらい毎日へ引きずりこまれた影響で、気がつけば全教科が平均以上になり、特に事務官としては家柄の威光がなくても期待できる優等生になっていた。
しかし武術演習などでもすでに感じていたことだが、戦闘には向かない運動神経や性格だと思っていたし、思われていた。
どう考えても『自分には無理だ』と思いながら……もう少しだけ、リルリナの側にいたかっただけで、親には兵学校へ進むと言いはった。
自分に『できないこと』を投げ出さないクセまで感染していた。
兵学校は十二歳からはじまり、早い者は入学から一年後には兵士鎧での巡回任務にも加わる。
兵学校の卒業者でもひとにぎりのエリートだけが、騎士学校へ進んで騎甲乗りの候補になれた。
通常は十五歳から通いはじめるが、飛び級を続けたデロッサは十四歳で実戦の騎甲を割り当てられ、すぐに功績を挙げはじめる。
天才というよりは、鬼才だった。
デロッサは数多くの才能を持っているように思われていたが、ただひとつ突出した『執念』がすべてを引きずり上げ、結果となるまで強引に結びつけている恐ろしさを感じる。
しかしバニフィンはだんだんと、デロッサとは毛色のちがう怖さをリルリナに感じはじめていた。
リルリナはなかったはずの才能を無理矢理に引きのばし続け、鎧の体質適性に苦しみながらも、結局は騎士学校へすべりこんでいた。
ついでにバニフィンも騎士学校へ入れたことは、本人すら驚いていた。
「あの……私は実技試験がひどかったような……?」
バニフィンは拳でも剣でもまとまな攻防はできないまま、何度もかまえなおしては何度も不様に倒されただけで、立てなくなって這いずりしがみついたところで強引に会場を追い出された。
しかし実際に剣を合わせた試験官が、最も高い評価をつけていた。
「かなりひどかった。いろいろ。しかし敵には嫌われそうだ。まるでデロッサやリルリナ様のように、執念深そうで怖かった」
追いつけないと思いながらも、追いまわし続けた結果だった。
なお初等学校時代の『補習組』に、バニフィンとは逆に実技以外はなにもできない生徒がいた。
興味がない教科の指導は傲然と聞き流す変人で、バニフィンは関わらないようにしていた。
リルリナは躊躇なく自分の修練へ巻きこんだ。
「ミルラーナさん、また少し、よろしいでしょうか?」
その変人はリルリナに褒められた科目だけはひとつずつ、だんだんと得意科目に変えていく奇妙な伸びかたを見せた。
「かまいませんが、私の両親や国王様に心配をかけてしまうので、稽古の終了時間くらいは決めていただけませんか?」
リルリナに頼られた時だけ、本心からうれしそうな笑みをかすかに見せた。
そして兵学校では兵甲の演習を兼ねて巡回していた時に、運悪く大勢の空賊と出くわし、独りでもちこたえた。
指導引率の部隊が先に全滅し、頭を打たれて気絶したリルリナと、足を負傷して動けなくなったバニフィンがさらわれそうになっていた。
ミルラーナは体をはってふたりをかばい、不機嫌そうにブツブツつぶやきながら、悲鳴もあげないで袋叩きに打たれ続け、援軍が到着するまでは膝を折らないで敵をにらみ続けた。
そんなミルラーナは今でも無口で無表情で無愛想で、普段は考えていることがわかりにくい。
しかし今の無言はデロッサの代わりになれない自身への憤りであると、バニフィンには伝わる。
「デロッサがギアルヌ王国の降伏を望んでいたなら、そのように私へ勧めるか、すでに城は制圧されていたでしょう。しかしあえて離反したのであれば、私には全力で迎え討つことが求められ、それがこの国にも最善であると信じます」
デロッサへ寄せるリルリナの信頼が厚すぎた。
「なにより……デロッサは『忠義』を軽々しく語るような、甘い友人ではありません」
「あのかたの毒々しい『忠義』の恐ろしさは知っております」
バニフィンがうなずき、ミルラーナも続く。
「浅薄な卑怯に堕するはずがないだけに、この離反にも恐ろしさを感じます」
「あ、あの、デロッサは恐ろしい……でしょうか? 心配にはなりますが……」
従者たちの骸骨鎧は無言で『そう言ってしまえるのがリルリナ様の恐ろしいところです』と念じながら視線を返した。