第36話 苦悶の多重奏
ズアック軍がふたたび上陸を開始する。
城の裏にあたる北側は、四機の骸骨騎甲が守っていた。
しかしその内の二機は元から半壊品で、片方は首が大きくえぐられて歩行すら厳しい。
交代した乗り手も適性、技量、経験すべてで不安が大きい。
引退からの復帰組であるマーピリーがいくら好調でも、新人のスシェルラがまともに補助をできなければ、機体性能の差はしのぎようがない。
「ほう? そちらの新人君には体さばきを盗まれたかな?」
王女ニケイラはふたたび先頭で洞鬼騎甲の巨体を操りながら、スシェルラがなるべく低い姿勢で打ち合おうとしている動きに気がつく。
ギルフ王国の『鉄壁姫』は軽やかに重心を下げる柔軟さが守りの幅を広げ、どんな姿勢からも太刀筋を通してくる安定感と合わせ、相手にとっては打ちこめる隙が見当たらない印象を与える。
しかしスシェルラは真似をしようにも自分の足運びが、手の内が、目配りが、まるで練れていないことを思い知る。
力量の差まで見透かされているとは感じつつも、今の自分の肉体と五感で盗める限りだけでも盗んで利用するしかなく、みじめと感じる余裕すらない。
尋常な一騎打ちであれば即座に隙を突かれていたであろう猿真似だったが、狭い地形を盾に、隊長代理を務めるマーピリーの技量も頼りに、今の自分でも可能な役割を追い求める。
しかし自分の攻撃はどれだけ振ろうとかすりもしない。
ニケイラの攻撃はどれだけ振ろうと重さ鋭さが衰えない。
恐ろしく時間を長く感じる。
ところがなぜか『鉄壁姫』は踏みこみが浅くなっていた。
たびたび大きく後退し、交代で先頭へ出る従者たちは牽制だけだった。
マーピリーもその間だけは残りの二機と交代し、スシェルラと共に休憩をとる。
「スシェルラ。よく対応できていました。もっと意識して呼吸を整えて」
「はい……しかしなぜ、ニケイラ様は攻めを控えているのでしょう?」
「おそらく、こちらの『戦魔女』を警戒しているのでしょう。しかし過信は禁物です」
ミルラーナとルジーアがいた時のような勢いで攻められたら、スシェルラは自分がどれだけ代役を維持できるか……考えたくない想定と向き合う。
「スシェルラ。呼吸です……スシェルラさん? 私も、あなたがいてくださるから、どうにか隊長のふりをしているだけですからね?」
毅然としていた声に、いきなり弱々しさが混じる。
「は、はい……マーピリー様も深呼吸を」
実際の搭乗者は鎧の中でほとんど身動きをしていないため、筋肉の疲労は見かけの運動量ほどではないが『運動したつもり』で働き合う脳や全身の神経、それらを支える内臓の消耗は軽くない。
鎧もまた、動かすだけでも微細な損耗が蓄積され続ける。
燃料補給の必要はないが、本来なら半日歩いたら一晩は休ませるくらいが長持ちするし、乗り手が扱いやすい状態も維持できた。
鎧の状態が悪いほど、搭乗者の肉体負担も重くなる。
スシェルラも実技指導を受けていたラフーボは腰に後遺症を残したまま半壊の骸骨に乗り、喉をえぐられて声を出せない、首も動かせない状態になっていたが、その後まで立ち番に入っていた。
同じく半壊部隊を率いていたライッシャは敵の伝説級『妖魔』から大量の砲弾を浴び、ルジーアやミルラーナと同じく意識がもどらない。
スシェルラの同期で、実技を含めたすべてで一枚上手だったミルハリアは全身にひどい傷を負い、復帰そのものが危ぶまれていた。
アリハもリルリナも担架でかつぎこまれた全身ボロボロの姿を見ている……なぜかその後でリルリナは動きまわっている姿も見たような気もするが……いずれにせよ、戦線に復帰できそうな者がほとんどいない。
この窮地ではどうしても意識してしまう『戦魔女』の鎧について、スシェルラはほとんどなにも聞かされていない。
かかしと説明されていたはずの機体だったが、敵の将軍級を一瞬に半壊させ、突然に全面撤退まで追いつめた桁違いの脅威……
しかしバニフィンは機密上の必要として乗り手まで伏せ、現場でもほんの数人しか知らないらしく、情報隠蔽にも協力するように全軍へ通達している。
運用まで異様な鎧だったが、なぜか『頼れない』という警告もされていた。
新たな伝説級として『戦魔女』が起動したことはまちがいないにしても、それはまったくの事故で、まだ不安定な存在という推測くらいならスシェルラにもできる。
それでも多少なり使える見込みがあるなら、口止めの範囲が狭すぎる気もした。
スシェルラはふと思い当たってしまう。
知られてはまずい……士気に大きく関わる搭乗者。
鎧の適性もあり、伝説級を優先される立場でもある……
「まさかロゼルダ様が!?」
「そんなの嫌です! ……い、いえ、そのようなことはありえないと思います」
同じことを考えていたらしいマーピリーが即座に否定した。
城の正面側のギアルヌ軍は部隊を城門前へ集中し、ひたすら守りをかためていた。
騎甲は骸骨が二機。
「たった二機。しかもまさか、私とホーリンさんだけとは……私なんてほんの少し前まで、ホーリンさんから無謀さまで抜いたようなダメ新人あつかいだったのですよ?」
「バニフィン様。その言い方はいろいろと私に失礼であります」
城門の陰では犬鬼と並んで巨大な戦魔女が膝をかかえていた。
「おいクローファ。バニフィン様がみんなに口止めしたとおり、男が乗っているとはばれないようにしろよ? それってかなりやばい秘密だから」
「うん……ねえビスフォン。この鎧、畑や牧場だと使いにくそう」
両手に連結された槍が、戦場以外では邪魔だった。
「そんなところで『戦場の魔女』を使うなよ。それにオレは、どんな騎甲でも乗れるだけでうらやましいのに…………羊を集めるときにはちょうどよくないか?」
「あ。それいいね。あと干し草をまとめるときにも……」
片思いの戦魔女に奇妙な形でなつかれ、犬鬼の分隊長はため息をつく。
正面側のズアック軍は部隊を厚くするばかりで、少しずつしか近づいてこなかった。
バニフィンはぼんやりながめ、ホーリンがそわそわと突撃したがる動きをなだめる。
「私たちの役割は、とにかく時間をかせぐことです。こんな調子でにらみ合いだけ続けて、ズアック連邦の本土がグエルグング帝国につつかれて逃げ帰ってくれたらよいのですけどねー」
「しかしあの様子は、リルリナ様が予測なされた通りにまだ短期決戦ねらいで、それも全力の日帰り帰宅に切り換えた陣形では? わ……ほら、来ましたよ!?」
「落ち着いてください。ホーリンさんの散りぎわは私が指示しますから。しかし……一機だけ? 伝説級とはいえ……」
道化姿の妖魔騎甲が突出し、その後はかなりの距離を空けて二機の魔犬騎甲が続いた。
バニフィンから合図を受けると戦魔女は立ち上がるが、城から顔を出す前に妖魔は広範囲砲撃を一度ばらまくだけで、すぐに引き返す。
かわしそこねた兵甲が一機、半壊になって後退するが、それ以上の被害はなく、ズアック軍の包囲も停止したままだった。
「牽制だけ? 今のところ、あちらが持久戦を望んでいるとは思いにくいので、挑発……ですかね?」
バニフィンは拍子抜けするが、少しでも時間を稼げれば、動かせる機体も少しは増え、わずかでも勝機は広がるはずだった。
しかしリルリナから『英雄姫』フォルサの名将ぶりは聞いている。
大国を相手に小国を長く守り通した指揮官なら、逆の立場に入ればどれほどの脅威になるか……とりあえずバニフィンは、自身の戦略思考などは『すごい格下』という前提でほどほどに無視して、戦況には油断も期待もしないまま、リルリナの目と記憶の代理に徹する。
城の奥の医療棟ではミルラーナが目をさまし、看護をしていた少女に戦況とリルリナの容態を確認していた。
「戦魔女だと……? あのガラクタが、それほどの性能を? ともかく私は、動けるようになり次第、洞鬼騎甲でふたたび出る。それまで誰にも使わせないように伝えてくれ」
「無理が過ぎます! せめて何日かは横に……」
「いいから命令どおり……つっ……急げ!」
「わ、わかりました……しかし洞鬼はたしか、登録している残りふたりも、包帯だらけで寝こんでいるアリハさんと……」
別の女性兵士が駆けこんできて、ミルラーナの顔を見るなり叫ぶ。
「うわ、やっぱり!? 出撃した洞鬼に乗っているのは、リルリナ様のほうです!」
「間に合わなかったか……うぐっ!? くっ……!」
ミルラーナは起き上がろうとしたが、激痛に体をすくめる。
肩口もだが、腹部もひどい。『鉄壁姫』のふるった長棍棒の突きが、思った以上の重さで残っている。
城の正面では妖魔が砲撃をばらまき、すぐに後退する遊撃だけをくりかえし、三度目では戦魔女が飛び出して追った。
妖魔騎甲は大鎌を盾に二本の槍をしのぎ、クローファはバニフィンの指示どおり、魔犬たちまで近づく前には後退する。
大騎士フォルサは自軍の厚い壁まで逃げこむと、深くうなずいた。
「いやあ、やはり無理ですねえ。あの戦魔女さんは乗り手の反応も含めて、妖魔には天敵みたいな相性ですよ。そもそも『広範囲砲撃』は、遅くて耐久性も低い相手をまとめて寝かしつける長所なわけでして。あれほどの機動力がある相手に撃ってしまったら、かすり傷と引き換えにとどめをいただきそうです。斬り合いでもかないませんし、ひとりでは逃げきることすら困難です。そのようなわけでして……」
「作戦どおり、ですかしら!?」
地獄の猟犬がうれしそうにガチガチと牙をかみ鳴らして小躍りする。
「その鎧がモチーフとする『メフィストフェレス』は洒落を好み、契約を重んじ、狡知で人を陥れる大悪魔ですわ! 神話伝承よりも市民文化で洗練され、人類が世界規模の戦争を前に欲した悪役さん……その本領をぜひぶちまけなさって!」
「ウェスパーヤ君が私になつく理由は、思った以上にひどそうですねえ?」
大鎌の刃をカコカコと爪で鳴らしつつ、妖魔はふたたび単騎で突撃に向かう。
「私が援護します! 戦魔女は離脱できる限界まで妖魔を追ってください!」
城門から出てきた手負いの洞鬼騎甲がリルリナの声で命じ、バニフィンの骸骨が驚いてふりむく。
「だいじょうぶですバニフィン。私も無理はしません」
「そのお体で、その機体に乗っている時点ですでに……」
その先の非難はどれだけ言いたくても飲みこむ。
バニフィンは自分に見えていないものが多いことを知っている。
リルリナでなければ見えない危機が迫っていることは、リルリナの声で直感した。その直感だけは自分を信じたい。
「城をお願いします」
リルリナはわびるようにつぶやき、戦魔女の飛翔じみた機動を追う。
妖魔は砲撃も撃たないで戦魔女から逃げ、ズアック軍が一斉に駆けつける中で戦場を真横に突っきり、ギアルヌ軍の反対端へ向かう。
リルリナはズアック小鬼の大波へのまれる前に、クローファと自陣まで引き返すしかなかった。
「後退! ……もしやフォルサ将軍のねらいは……」
両軍の兵甲部隊がふたたび丘の中腹でぶつかり合う中、広範囲砲撃がまたもギアルヌ小鬼たちへ降り注ぎ、なぎ倒す。
「……やはり、ねらいは我が軍の兵甲部隊!」
リルリナの声が聞こえるはずもない距離と喧騒をへだてて、道化鎧がひらひらと手をふってうなずく。
「ええ。だって戦魔女さんにはかないませんから。私は正々堂々と逃げまわりますので、そちらもお好きなだけ兵士を削り減らしてくださいな」