第33話 奇跡と災禍
魔犬騎甲の一機が撃墜されても、ウェスパーヤの悪鬼は敵に背を向けて駆け続けた。
「命令を守れない無能さんは軽やかに放置! 全・力・撤・退! ですわ!」
爪の折れた両手をふるい、全騎甲の撤退と、その補助に兵甲部隊へ足止めの指示を出し、丘の中腹にいたデロッサの大鬼へ詰め寄る。
「ご意見は!?」
「くっ……まずはフォルサ将軍と合流すべき! 背後は私が守ります!」
本島の北西ではリルリナの目前で骸骨騎甲がまた一機、犠牲になって倒れる。
しかし老人姿の伝説級『渡守騎甲』はなおも気迫を保ち、大騎士フォルサへ『隙を見せたら打たれる』と意識させていた。
「へえ。肩の傷がもう治っている。さすがは冥府の伝説級ですねえ……」
渡守騎甲の肩部分にあった傷は消えていたが、リルリナ自身の肩は悪鬼の爪にえぐられた痛みが残っている。
さらに『妖魔騎甲』の脅威に何度もさらされ、搭乗者の肉体は鎧の見た目よりも消耗していた。
「……とはいえ、ひとりしかいない登録者をたたけばいいだけですけど」
そう言いながら道化鎧はひらりと飛びのいて砲撃をばらまき、大鎌をふるい、ギアルヌ小鬼の一分隊をまたひとつ壊滅させる。
妖魔の悪趣味な笑顔や戦術とは裏腹な、大騎士フォルサの整って正確な太刀筋がなおさらリルリナを逆なでした。
「なんてふざけた……!」
以前に手合わせした達人ウェスパーヤをも上回る技巧で、より洗練されている。
自分が理想としていた『英雄姫』の名残を感じさせ、悔しかった。
「リルリナ君の『恥じることなき不屈』とやらも、お見事な惨状ですねえ?」
声だけは、やたらと優しくきれいだった。
「ん……ん? んん?」
妖魔が首をかしげる。
ギアルヌ兵士の多くは挑発のしぐさと思ったが、これまで岩のように守り続けていた渡守騎甲が、不意に巨体をふるって打ちかかっていた。
「これは少し、まずい状況ですかね……」
技量の差で返り討ちにされると思われたが、妖魔は鎌を盾に逃げ、はじめてリルリナの一撃が敵司令官の腕を削り、兵士たちに歓声をあげさせる。
わずかな傷にすぎない。
しかしフォルサも、受け流していながら驚いていた。
延々と精神をすりつぶされていながら、わずかな隙へ瞬時に全力をたたきこんできたリルリナの資質はどこか異様だった。
ただ努力を積み上げた『英雄の模範』とは異質な、その下に潜む本性へ触れたように直感する。
だからフォルサは『近づく妙な足音』からも一瞬だけ気がそれていた。
「ここですアリハさん!」
果樹園から騎甲が飛び出て来る。
「あら失礼! 人ちがいですわ!」
満身創痍の巨大悪鬼が、折れた爪で背後を指しつつ襲ってくる。
「でもそちらの英雄さんも、すぐさま追ってきやがりましてよ!」
続いて魔犬騎甲も三匹、次々と現れてリルリナを襲うが、それぞれ一撃きりですぐに離れ、妖魔と悪鬼を追って逃走する。
さらにもう一機、聴きなれない異様な足音が迫っていた。
馬人騎甲ではない。妖魔騎甲よりも鋭く静かで、飛ぶような歩幅。
木々を抜けてカラス色の機体が飛び出し、両腕から砲弾を放って魔犬の一匹をはじき倒す。
「きあ!? ……ぐっあああ!?」
魔犬の少女は撃たれた脚を抑えてもだえ、しとめた黒鎧は見下ろし……なにもしない。
無意味に足を止め、顔を上げた時には残りの敵を見失っていた上、転がる魔犬に上半身だけでしがみつかれ、あわてて槍で突き放す。
リルリナは搭乗者がクローファであることは察した。
しかし乗っている機体は『戦魔女騎甲』であり、女性でなければまともに動かせない騎士鎧のはずだった。
息をきらしてビスフォンの犬鬼も追って来ていた。
「魔犬なみの威力で二発同時なんて、砲撃まで伝説級の標準以上か……あのサイズで悪鬼より殴り合いが強くて、なにより速さがでたらめですけど、オレあまり機動特化機体の動きは見たことないんで……」
いきなり性能分析から報告されて、老人姿の騎甲はますます困惑する。
リルリナは集まってきた部下に急いで指示をばらまくが、まずは自分がすでに立てない状態だった。
城の裏側ではミルラーナが追いつめられていた。
ニケイラ王女は異名が『鉄壁姫』であろうと、おとなしく受身に徹してくれるわけではない。
そもそも守備は、同じ条件での攻撃側よりもはるかに技術、判断力、なにより精神力を求められる。
どのような状況になろうと士気を支える統率、すきを見せない慎重さ、相手をかきみだす大胆さ……それらは方向を変えれば、恐ろしい攻め手と化すからこそ、大国でもうかつに手を出せない難攻不落を誇った。
実際に洞鬼騎甲で打ち合ったミルラーナは、異名どおりの重く冷たい手ごたえに震える。
打ちこみづらく堅牢なだけでなく、わずかでも油断すれば押しつぶしに迫る『鉄壁』がそびえていた。
技量の劣るミルラーナでも可能な時間かせぎは、全力での手数勝負だった。
左拳も積極的に使い、はた目には強引な攻めだったが、意識して綿密に組み立て続けた。
左腕の後遺症を隠す意味もある。
両脇のふたりにもたびたび助けられていた。
教官のマーピリーは演習でもミルラーナと互角の勝敗数で、技量やセンスでは上回り、補助役としての細かな丁寧さは特にありがたい。
ルジーアはかつて実質の総司令官と突撃隊長も兼ねた猛者で、痛めた片脚は武芸者として致命的な故障のはずだが、演習で対峙したことがあるミルラーナはその弱点を徹底して突こうとしてもなお勝ちきれなかったし、気圧され続けた。
しかしふたりが乗っている騎甲は従者級でも最弱の骸骨剣士。
ふたりが抱える後遺症はギルフの『鉄壁姫』もすでに見抜いていると思ったほうがいい。
戦線を維持するには、将軍級を任されたミルラーナが対等なふりを続けるしかない。
打たれないだけでもぎりぎり。それでもなんとか受けきれる。
はじめはそう思っていた。
自分より大きく武器をふり続けているニケイラの息がきれた時、反撃の機会もできる。
そう思っていた。
圧され続け、受けがちだったミルラーナが先に息を乱しはじめ、ようやくニケイラの勢いもわずかにゆるむ。
しかし反撃したかったのに、体がろくに動かない。
重い打ちこみを受けすぎ、いつの間にかガタガタになっていた。
そして『鉄壁姫』はまだ余裕を残して息を整えている。
持久力まで大きな差があった。
「ミルラーナ君も、この短期間で、よくぞそこまで……だがやはり、君の後遺症は左腕だけでなく……」
背中のにぶい痛みが、増しはじめていた。
「リルリナ様とバニフィン以外の者に気取られてしまうとは、不覚」
「賞賛できる忍耐だよ。私はデロッサ君から、君の症状を疑うように助言されていた」
「鬼団長ですか。国を出てまで小うるさいまねを!」
ニケイラが左右に大きくゆさぶりをかけ、ミルラーナはわずかに遅れて防御した左腕ごと、肩口へ打ちこまれる。
踏みこたえようとした。
侵入路は狭い。自分が少しさがれば、両脇のベテラン骸骨が回復の時間を稼いでくれる。
しかしその前に胴まで突かれ、倒れていた。
早く立たねばならない。全身が言うことをきかない。
ベテランふたりで止めてくれているが、ルジーアが片脚の不利を集中的に狙われている。
マーピリーの珍しく大胆な援護でかろうじて保っているだけ。
自分が立つしかない。兵士部隊にも命令して、無理矢理にも起こさせる。
ルジーアはすでに打たれ続けながら、無理矢理に立ち続けていた。
「蹴れ……押せ!」
ミルラーナの指示で小鬼は自軍の洞鬼へ肩をぶつけて腰を押す。
戦線が突破されかけた瞬間、ミルラーナは倒れこみながら棍棒をふるっていた。
王女ニケイラはその腕にようやく有効打らしき一撃を受けるが、同時に相手の胴へ突きこむ。
双方の洞鬼は巨体をよろめかせながらも踏みとどまった。
不意にニケイラが後退する。
従者と代わるでもなく、ギルフ軍は兵甲を含めた全部隊が浮遊艦へ撤収した。
ギアルヌ城からは正門側の部隊が加勢に来る。
「なにが……あった?」
それでも裏側守備の騎甲三機は、浮遊艦が離陸するまでは立ち続け、そのあとでルジーアが顔から倒れこむ。
「ルジーアねえさんを先に……後遺症が脚だけでなく、内臓も……」
ミルラーナもそう言って膝から崩れ、意識を失う。
リルリナの渡守騎甲は戦魔女騎甲に肩を借り、足を引きずりながらギアルヌ城が建つ丘まで引き返していた。
各方面から敵部隊撤退の報告が続々と入り、兵甲部隊はあちこちに転がる鎧の回収に駆けまわっていた。
魔犬騎甲も一機が横たわり、気絶している搭乗者の少女が捕縛され、担架に乗せられている。
騎甲はもう一機、味方の骸骨騎甲が横たわっていた。片腕を失い、ほかの四肢も損傷がひどい。
生身のアリハが兵甲の腕に支えられ、機体へよじ登っていた。
先に登って胸部の中を見ていた男性兵士は、険しい顔で注意する。
「絶対に動かすなよ? 救護班が周囲を少しずつ掘りながら引っぱらないと……」
アリハは黙ってうなずく。自身も傷だらけだったが、急いで中をのぞきこむ。
胸まで鎧に飲まれたままのミルハリアはまだ意識を保っていたが、顔は血の気が引いて汗まみれで、息は荒く、視線だけを向けてくる。
「鬼団長様にかばわれて、思ったよりは、ひどくなりませんでしたよ? なんて顔をしているのですか……腕の劣る『お嬢様』に恩を売られた気分はどうです?」
震えてゆがんだ笑顔に、アリハも無理矢理に笑顔を返す。
「よくやってくれたな。おかげで助かった」
ミルハリアの表情から、緊張が崩れてくる。
「なんです、それ? そんな、仲間ぶって、優しく……」
憎まれ口を返そうとしたが、涙を抑えられなくなる。
アリハは指先で、ミルハリアの髪だけをそっとなでた。
格納庫に隣接した大部屋は更衣室や洗面所のほかに応急の医務室も兼ねていて、続々と負傷者が運びこまれて大騒ぎになる。
多くの者が湿布と包帯を巻かれて横たわり、寝台から噴出する冷風を患部の腫れにあてていた。
ミルラーナとルジーアは意識がもどらない。
メルベットは意識だけもどっていたが、ほとんど身動きできない。
アリハも担架でかつぎこまれながら意識を失い、医療班から脱がされるままになっていた。
「なんだかよくわからない奇跡に救われましたね?」
バニフィンも下着姿で呆然としていたが、まだ意識があり、自分で体を起こして水分をとれた。
隣のベッドにはリルリナが湿布だらけ横たわり、険しい目を天井へ向けている。
「難点がふたつ。私たちはあの伝説級の性質をほとんど把握できていません。それにも関わらず、敵にとっては『高性能な伝説級』という、新たな戦利品ができてしまいました」
「ズアック軍が損害を増やしてでも攻め続ける可能性が出てしまいましたか……そしてこちらは、あの伝説級を活かせない限り、もう対抗手段などは……」
バニフィンはリルリナの首を支え、ひとくちでも水を飲ませようとする。
コップをくちびるにつけると、ひと息に飲みほした。
「すでに次の勝負がはじまっています。どちらがどれだけ、あの鎧に対応できるか……」
両軍が『戦場の魔女』に試されていた。