第32話 火嵐の寝床
ギアルヌ軍の兵甲部隊は城に迫る敵の増援に気がつくと、ほかの作業を捨てても自軍騎甲の後退を補助する。
ズアックの悪鬼が魔犬たちとはしゃぎ合う声が近づいている。
「きゃぱああ! つかみどり! まさにつかみどりですわ! たった三匹、馬・骨・骨!」
「でも功績ですわ!」
「ですわね!」
アリハとバニフィンは自軍の兵甲部隊が割りこんで壁になったわずかな隙に、デロッサたちへ背を向けて城へ駆け出す。
そこでようやく、ボロボロの骸骨騎甲が片腕片脚で迎撃態勢をとっている姿に気がつく。
「なにやって……早く逃げろって!」
「後退です! 命令を守って!」
しかしミルハリアは倒れこむように踏み出す。
「そちらこそ、守るべき優先順をとりちがえないでください!」
追撃してきたデロッサの大鬼騎甲は突き出された剣をあっさりはじき上げるが、直後に足へしがみつかれていた。
「かかった……デロッサ様をひっかけてやった!」
ミルハリアはろくに動かない機体で、大鬼の足だけは離さないように棍棒から逃げ、意識だけは保てそうな部分を打たせた。
従者の骸骨騎甲まで足どめする余裕はなかったが、一匹の犬鬼が、どんな曲芸か巨大骸骨の首を突く姿が一瞬だけ見えた。
直後に殴り飛ばされた様子だが、おかげでアリハとバニフィンが城門まで逃げこむ時間は稼げた。
元騎士団長は「惜しい。あなたも引き抜くべきでした」と静かにねぎらう。
ミルハリアは『私はこの国の騎士団長を継ぐのでけっこうです』と返す前に、巨大な地獄の猟犬が一斉にたかり、全身を裂かれていた。
「邪魔ですわ!」
「この骨なんという邪魔ですか!」
「はがれませんわ!」
搭乗した時点で動かなかった左腕が、ちぎり飛ばされる。
ミルハリアは自分の左腕が針金で一気に引き絞られたような激痛で息が止まる。
傷から全身へ熱が噴き出し、視界が明滅してぐらつき、にぶい頭痛と耳鳴りの中、ベテラン騎士ルジーアが『鎧を切断された部分は、深刻な後遺症が残りやすい』と言っていたこと、片脚を引きずりながら『運がよかった』とかすかに笑っていたことを思い出す。
左腕はほとんどの感覚を失い、焼かれるような激痛ばかり渦巻いている。
右腕と両脚も魔犬たちのえじきとなって裂傷を重ねられ、自分の体はどれだけ残るのか、底の無い恐怖に絶叫し続けていた。
身動きもできない中、わずかに空が見えると、かつて初等学校で習った『聖神様のおかげで人類は「残酷な」殺し合い戦争から解放された』という言葉を思い出すが、悪趣味な冗談に思えてくる。
格納庫までの最終防衛線となる城門は、幅も高さも石棺二基ぶんの十メートルある。
追撃してくるズアック部隊には砲撃できる騎甲が多いため、アリハの馬人騎甲も内部通路へ飛びこむと壁に体を寄せながら牽制するが、敵部隊の先頭をきって迫る悪鬼騎甲は大胆に距離をつめてきた。
クローファの犬鬼は片脚を引きずり、隊長犬鬼に肩を借りながら追われ、そのすぐ頭上で巨大悪鬼の爪と馬人の剣が交わって火花を降らせる。
ビスフォンは壊された犬鬼を整備班へ預けると、すぐに加勢へ引き返した。
しかしアリハとバニフィンのふたりを相手に打ち合う悪鬼の身のこなしは尋常でなく、ギアルヌ小鬼はろくな補助もできないまま、次々と巻きぞえに倒されている。
アリハも手数と反応では負けていない。
しかし将軍級の悪鬼騎甲は大鬼騎甲に近い打撃の重さと耐久性能を持ちながら、ほとんど無傷だった。
対してアリハの馬人騎甲は、すでにデロッサたちと打ち合いすぎてボロボロになっている。
さらに悪鬼の背後から砲撃音が聞こえ、アリハはとっさに、同じくボロボロだったバニフィンの骸骨騎甲を突き飛ばす。
悪鬼はタイミングを知っていたかのように壁際でかわし、アリハもその動きを追っていたことで、かろうじて腕や脚を削られるにとどめた。
内部通路に魔犬の砲弾があちこち炸裂する。
「どうやって合図を……? 羽根か!」
「ご名答ですわ! そして贈呈するのは残念賞!」
ウェスパーヤが渾身の爪をたたきつける。アリハはまだ体勢を整いきれず、盾でも受けきれず、腹を大きくえぐられる。
「あぐ……!?」
傷だらけの馬人は目に見えて動きがにぶり、悪鬼の乱撃を受けきれなくなってくる。
「この次がありましたらぜひ! 万全の機体と肉体で優劣を競わせていただきたいケダモノっぷりでしたわ!」
バニフィンの加勢も、ついでのようにあしらわれていた。
そもそもバニフィンは自分の攻撃が浅すぎると自覚していたが、あと少しでも無理をすれば、一撃でやられてしまう自信もある。
粘って増援を待っていた。
しかし城の裏側を守るミルラーナの相手は『鉄壁姫』ニケイラと伝わっており、戦線を維持するだけでも苦しいと思われる。
リルリナは敵の大騎士を囲める可能性に賭けていたが、苦戦しているかもしれない。
アリハが崩れ落ちて格納庫へ踏みこまれたら、降伏するしかない。
聖神教典の解釈規範を厳守するなら、すでに城門へ入られた時点で、生身の整備兵などは退避させるべきだった。
それでなくても城の前には未回収の自軍兵甲が多く転がり、ミルハリアの騎甲から片腕がちぎれるところまで目撃している。
馬人騎甲は急速に傷が増え続け、あと何秒、立っていられるか。
バニフィンは正門を預かった司令官代理として、降伏の宣言を一瞬ごとに迫られていたが……奇妙なことに、背後から兵士たちの歓声が聞こえた。
城門通路に『かかし』が入っていた。
その輪郭は天使騎甲に似て、細身の背から羽根がのびている。
その全身はカラス色で、爪やくちばしを模した鋭い形状になっていた。
しかし運びこまれた時よりも足どりがあまりに静かで、異様なほどだった。
「アリハ……!」
震える涙声は両手の槍を軽やかにふるい、踏みこむ。
馬人は驚いて視線を向けようとしたが、黒い影は真横をすりぬけて悪鬼をたたき飛ばす。
城門通路に火花の嵐を描きながら駆け、一機とは思えない乱打の演奏を響かせる。
ウェスパーヤは驚愕しながらも守りを固めて逃走に徹したが、城門を抜けた時にはアリハの馬人騎甲と同じくらいに傷まみれとなって涙声で叫ぶ。
「なんて見事な鎧! ばきばき華麗な槍の舞! でも全力撤退ですわ! ときめきながら!」
先に城外へ後退していた地獄の猟犬たちは、通路から迫る未知の騎甲へ集中砲撃する。
しかし標的の速度は異常で、壁を蹴って弾幕を飛び越えた身のこなしも異様で、着地と同時に魔犬の一匹は数度も斬りつけられ、崩れるように横たわる。
城内で壁にもたれるバニフィンの骸骨騎甲、へたりこむアリハの馬人騎甲、駆け寄るビスフォンの犬鬼兵甲は一様に無言だった。
将軍級騎甲を数秒で半壊へ追いこんだ機体は故障品のはずで、搭乗者の声はクローファのはずで、起きた事態の発生理由はまるでわからないし、その困惑を敵に知られるわけにもいかない。
かすかな希望をつなげた『戦魔女』の目覚めにすがり、それぞれに動き出す。