第30話 地獄に道化
道化の鎧はゆっくりと立ち上がり、さらに増え続けるギアルヌの小鬼部隊を見まわす。
「では、逃げましょうか」
左右の魔犬騎甲は砲撃しながら道化と共に後退し、従うズアック小鬼十機は戦うそぶりも見せないで後退する。
リルリナの渡守騎甲は大鬼騎甲と同じく大柄筋肉質なデザインで、比べると背だけは高い。
しかし腹がへこみ、あばらのような形も浮き出て、骨じみた顔に特徴的なあごひげもあいまって老人らしさを強調していた。
その巨体が魔犬たちの砲撃をかいくぐって突進を続け、脚の短いズアック小鬼たちはすぐに追いつかれる。
舟の櫂を模した長棍棒が、二匹をまとめて打ち飛ばした。
その瞬間に老人鎧の顔面へ、道化の大鎌が突き出されていた。
「くっ……!?」
リルリナは寸前で大きくのけぞり、肩を浅く突かれるにとどめる。
妖魔騎甲は踏みこんだ時と同じく軽やかに、そして一気に距離を開ける。
リルリナは相手が将軍級の最速機体でも対応できる間合いを想定して踏みこんでいたが、それをうわまわる『伝説級』ならではの異常な速度を確認する。
自ら体をはって引き出した『妖魔騎甲』の性能情報だが、まだその核心は捉えていないとも直感が警鐘している。
対してズアック軍の指揮官たちは『渡守』の性能を知っていた。
ひとつの特徴をのぞいては『大鬼』と大差がない。
耐久などはわずかに上だが、機動性はむしろわずかに低い。
『しかも操作のくせが強い上、登録もひとりしか受けつけない偏屈者と来たか。私もそこまでひどい伝説級はほかに知らない』
フォルサは呆れていたが、デロッサは笑いもしなかった。
『リルリナであれば、必ず乗りこなしています。そして使いきろうとします』
フォルサは魔犬たちに牽制を任せ、つかず離れずに探る。
「リルリナ様は私の亡き故郷『グランブルオ王国』の顛末を知っていたようですが、なにを好き好んで国を滅ぼす王女のまねをしちゃいますかねえ?」
リルリナはなおも突進する。
「デロッサもいる戦場で、無様はさらせません……あなたが『英雄姫』の残骸であるならなおのこと、この国を同じ結末にはさせません! 堕ちた道化ごときに、私が模範とする騎士像をゆがめることはできません!」
言葉と裏腹に、迷っていた。
妖魔騎甲が隠している手の内を読めない。
一撃を受けた印象からすると、速さだけは伝説級にふさわしい異常な高性能だが、それ以外は大鬼よりもやや劣る。
砲撃が主力であれば、距離をつめさせたり、後退しながら撃たない理由は考えにくい。それなのに待ち受け、ただ逃げている。
未知の伝説級騎甲を深追いなど、無謀すぎることはリルリナもわかっている。
しかし大騎士フォルサが『待って』『逃げる』必要があるとも分析した。
態度がどうあれ、戦いそのものにふざけている騎士であれば『鉄壁姫』ニケイラが降伏まで追いつめられるはずがない。
数の優位があるうちに手がかりをつかみたかった。
今は最後の好機かもしれなかった。
「時間ぎれ。いじわる問題に正解して私を倒す機会は永久に失われました」
妖魔の背後の並木道から、悪鬼が地獄の猟犬たちを従えてばたばたと迫ってくる。
「そこのおひげさん! リルリナ様でよろしいのですかしら!? 先日お世話になりましたズアック騎士ウェスパーヤ・ズアッツークですわ! 何人いるかよくわからない義理の親にいただきました『ズアッツーク』の名にかけて! 必死こいて参ります!」
敬礼を見せた悪鬼の長い爪はそのまま、犬よりも犬じみた動きで飛びかかる。
一瞬に首、腹、腕と狙った猛攻はリルリナの防御をゆさぶり、最後には肩をえぐりながら離脱する。
「くっ……!?」
リルリナを護衛する六機のギアルヌ骸骨も悪鬼を囲む余裕はなく、魔犬四匹の砲撃を牽制しなければならない。
フォルサはひらりと横跳びに逃げていた。
「手遅れのヒントその一。妖魔くんの砲弾は、小人兵甲なみの大きさです」
リルリナは骸骨たちと連携してフォルサを追いつつ、武器や樹木を盾に、悪鬼と魔犬たちの咆哮をしのぐ。
周囲にはギアルヌの兵甲部隊も広がり、妖魔騎甲を包囲できる配置へ向かっていた。
「こっちだ! 両脇にも部隊を……」
並木の陰で男性兵士の声をかき消し、奇妙な砲撃の音がした。
妖魔の特徴的な高い足音を追ってリルリナが農道へ出ると、小鬼たちが三機、まったく同時に倒れこむ姿を目撃した。さらに四機が倒されたばかりでうめいている。
早すぎた。
機体の速度やフォルサの技量がどれほど高くても、単騎で可能な時間とは思えない。
リルリナはフォルサの奇妙な『待って』『逃げる』動作の理由に気がつく。
『まとめて倒せるようにした』
逃げ去る道化が少しだけふりむく。
「手遅れのヒントその二。妖魔くんの砲撃は『極端に』命中精度が劣ります」
リルリナは無視して叫んでいた。
「散開! 妖魔の砲撃は『範囲』が極端です!」
「手遅れの正解」
魔犬部隊に対応していた三機の骸骨騎甲の真横へ、妖魔が跳びこんでいた。
笑う道化は両手を広げ、おびただしい数の砲弾を一気に撃ち出す。
それは小人なみに『貧弱な大きさ』で、しかも『極端に劣る命中精度』だったが、十発が同時にばらまかれると防ぎようもない。
数発をまともにくらった隊長機がはじき倒され、三発を受けた機体は悲鳴をあげてよろめく。
一機は被弾しなかったが、隊長機の腕が当たってバランスを崩し、一瞬の出来事を理解できないで困惑している間に、大鎌で斬り倒されていた。
「騎甲三機が……一瞬で!?」
もう一隊の骸骨騎甲たちはリルリナの指示が間に合い、互いに距離はとれたものの、位置どりに迷っていた。
リルリナもすでに気がついている。
道化鎧の正体はわかったが、まともな対策は存在しない。
それどころか『数と連携で機体性能の低さを補う』ギアルヌ軍にとっては、相性が最悪の特長だった。
ズアック砲撃部隊の弾幕に追われ、リルリナたちは少しずつ後退する。
しかしもはや騎甲一機を城まで逃がすだけでも厳しい状況になっていた。
『まともではない対策しかない』
ギアルヌ小鬼の精鋭たちも互いに距離をとりながら、残っているギアルヌ騎甲四機それぞれの周囲へ護衛につく。
「リルリナ様。あの妖魔の速さと範囲では避けようもありませんが、私たち兵甲部隊でも『避けようとしない』なら……」
「ミンガン隊長」
リルリナは大鎌の道化と大爪の悪鬼と地獄の猟犬たちを見つめ、声を整える。
「兵甲部隊は牽制を続けてください」
すでにギアルヌ小鬼の最後尾はズアックの追撃を牽制するために、一匹ずつ突撃している。
騎甲へ、まして機動重視の伝説級へ兵甲が単騎では、近づくことすらできない。
しかし異常な脚力、異常な同時発射数の妖魔騎甲を足止めするなら、骸骨騎甲でも単騎の小鬼兵甲でも、稼げる時間はさほど変わらない。
リルリナは自分を子供のころから守り育ててくれた兵甲部隊の精鋭を『最も安上がりな代償』と認め、生贄に捧げる命令をくだした。
指揮官としての責任を背負いつくすため、自分の声で明確に意志を示した。
痩せた『冥府の渡し守』が櫂を手に震える。
リルリナも幼いころは、母ソルディナが騎士団長として国中から頼られる姿を尊敬し、憧れていた。
「リルリナ、ちがうのです。指揮官が果たすべき役割とは……戦うことでも、戦略を練ることでもありません。戦いは兵士に任せ、立案は参謀に任せてもよいのです」
「では……みんなをまとめられる人望を高めることでしょうか?」
「それは『指揮官に役立つもの』ですが『役割』そのものではありません」
「武芸でも智略でも人徳でもなく……しかし指揮する者に……軍の統率に必要な役割とはいったい……?」
母ソルディナは激務をこなし続けて『冥府の渡し守』に乗りこみ続けて、やつれ続けて……しかし誇らしげな顔は見せなかった。
「死神と同じです……指揮官の役割とは『どこで誰を死なせるか』の決定なのです」
苦しげにもらした母のゆがんだ顔を見て、リルリナは国中の敬意を集めていた母の生きかた、そしてその姿を追う自分に、疑問を持ちはじめる。
間もなく母は、自身を冥府へ渡してしまった。
リルリナはすでに後継者として、国中の期待に囲まれていた。
国の存続のために、支えてくれるデロッサや臣下のために、兵学校でも騎士学校でも当たり前のように『誰を死なせるか』の知識と技術を教わり続けた。
しかし母はどう生きるべきだったのか? 今でも答えは出ないまま。
そして今でもわかることは、自分の死を選ぶほうが楽だとしても、必要ならば自分ひとりのために部下全員の死を選ぶしかない……それが一国を背負う総司令官に課せられた義務だった。