第21話 敗戦を喜劇とするなら
「そんな……!?」
「宣戦布告の通達をまだ知らなかったのかい? それならなおのこと、詳しくは話せないな」
王女ニケイラは握り合っていた王女リルリナの手をそっともどす。
「ですが……我がギアルヌはまだなにか、恩あるギルフ王国のためにできることはないのでしょうか?」
「気持ちはうれしいけど、あいにく今はズアック連邦の監視もついている身でね」
ニケイラが苦笑するとリルリナは周囲を見回し、その死角から道化女がニヤニヤと白く細い手をのばす。
アリハはその腕をつかんだ瞬間、逆にひねられて宙へ浮いていた。
リルリナはふりかえって驚く。
「気がついていないようでしたから、教えてあげようとしただけですってば」
道化女は淡々とおどけ、アリハはニケイラに抱きとめられていた。
「無粋な真似はやめたまえ……君、だいじょうぶかい?」
「なんともない……おろしてくれ」
ニケイラはアリハを見つめてほほえみ、うなずく。
「まっすぐに鍛えたいい匂いがする」
「おろせってば」
アリハは背筋にむずがゆさをおぼえてとまどう。
リルリナはズアック騎士ウェスパーヤの身のこなしを思い出していた。
「あなたがズアックの……?」
道化女は四肢も首も細く長く、ふらふらとうろついていたが、まっすぐに立つとニケイラに近い長身と迫力を見せる。
濃い白塗りをしなくても肌はじゅうぶんに白すぎ、派手な化粧と染髪は悲しげなたれ目の美貌を強引に封じていた。
「まあちょっと、そこのお店に寄りましょうよ。お店でなにかつつきながらお話ししましょうよ。ねえ?」
貼りついたようなニヤニヤ笑いよりも、じっと見つめてくる大きな緑の瞳にリルリナは全身で危険を感じとる。
「そうもいかないよ。いくら長年の友人とはいえ、交戦中の作法というものがある」
王女ニケイラは笑顔を崩さないまま、場の全体へ視線を配っていた。
「リルリナ君も私の性分は知っているだろう? 私はギルフ王国に自治権を残す条件として、ズアック連邦に協力を約束した以上、手を抜く気はないのだよ」
「ニケイラ様の高潔は常々……このたびの降伏も、深いお考えがあってのことと信じております。しかし私は友人を自負していながら、このような事態にいたるまで、なにもできなかったことが口惜しくてなりません」
ニケイラはリルリナをそっと抱き寄せ、アリハはそっと拳骨を用意したものの、使うべきかどうかは悩む。
「リルリナ君は半年前にも増して、目の離せない成長を続けてくれている。戦場でまみえることを楽しみにしているよ」
ニケイラが前髪へ口づけると、リルリナは毅然と顔を上げた。
「ニケイラ様との友情にかけて、ニケイラ様を全力で討ち取らせていただきます」
ギルフの王女はうれしそうにうなずき、ギアルヌの騎士たちも、表情から不安が払拭される。
道化女だけは暗い皮肉を浮かべたままだった。
「ははあ。それがギアルヌ王女殿下の気概ですか。信義ですか。国を巻きこんで進む末路ですか。『英雄をまねて剣をふる』ですねえ?」
小さな竪琴をポロポロと鳴らし、細く静かに歌う。
英雄をまねて 剣をふる
技はつたなく 力まかせ
まだ年も 若すぎた
夢だけ追いかけ 生き急いだ先……
「……いえね。情報検索機能の片隅をあさっていたら見かけた無名の詩ですけどね。英雄のまねは、まねだけで気分がいいものでして。なにをどれだけ失うかも知らないふりを続けられたら、なお愉快といいますかね?」
陰湿な緑の瞳がニヤニヤと値踏みしても、王女リルリナは目をそらさない。
「英雄のまねすらできない者は、剣を握るべきではありません。そして剣を握るに若さ幼さは関係ありません。なぜなら武器は命の使い道を選ぶ道具です。生き方に誇りを持てない者が振るうに限って凶器となり、自他の不幸を招くものです」
「はい実にご立派。さすがは『頑固姫』様。その年で全ギアルヌの人生を道連れにする覚悟ができていらっしゃる」
渇いた拍手が送りつけられた。
「国を預かる王族、鎧を預かる軍人、年少者を預かる大人として、ズアック連邦の歪曲された『能力主義』で家族を引き裂かれる生き地獄を思えば、抗いつくす以外の道はとりようもありません」
「へえ? 頭もいいのかな? 自治権を残して時間稼ぎをできるなら、ギルフみたいに率先した従属も検討したいって匂わせているのかな? でもそれは無理ですねえ? ギアルヌはギルフより弱すぎて、仲良しのふりをしても得がなさそうと思われていましてね? うちの上層部は『収穫した奴隷』の配分しか興味がないですからねえ?」
「ならば……言葉のとおりに、騎士たる使命を果たすまで。ズアックに侵略された国々にも、最後まで戦い抜いた軍は多いと聞きます。最も勇敢だった国の王女は、今の私より若い年だったとも……私はその模範へ、恥じることなき不屈をもって応えます!」
リルリナは言い切りながら、道化女の暗さ鋭さを増す瞳の底は探りきれない。
やたらに白く細く長い指が竪琴の弦をゆっくりとなぞり、ぞんざいにはじいた。
「あっそ」
ひらひらと手をふって背を向け、工場敷地にある喫茶の出店へゆらゆらと去る。
ニケイラ王女は道化女の背を見つめながら、あごに指をあてて苦笑した。
「ああ見えて、珍しく気を悪くしたようだ……ところでリルリナ君は、私が話した『英雄姫』のことをおぼえていたのだね?」
「ニケイラ様が褒めちぎるほどのかたでしたから。何年か前にお聞きして以来、胸に刻んでおりました」
「うん……リルリナ君、その英雄姫の名は『フォルサ王女』という」
その名はもちろん、リルリナも知っていた。
「そしてあの道化者……私のギルフ軍をたった数日で降伏まで追いつめたズアックの将軍は『大騎士フォルサ』と名乗ったよ」
リルリナは耳を疑うが、今のニケイラがおかれた立場と、暗く悲しげな苦笑が、事の真偽を諭していた。