第2話 折り重なる信義
「お、お手伝いはけっこうですから」
王女リルリナは従者の少女たちに衣服を奪われる。
「遠慮なさらず」
「大事なお体ですから」
ふたりは不機嫌顔で大浴場まで上官を連行する。
「兵舎では小隊長としてあつかってください」
リルリナは従者たちに体を洗われ、背や脚の赤い腫れ跡を確認された。
「では軍人の義務として、負傷の報告は正確にしてください」
従者ミルラーナは短髪長身で、普段から無愛想な表情をいっそうしぶらせる。
「任務に支障がある負傷ですね。軍規どおりに、明日は休んで体調を整えるべきです」
従者バニフィンはおとなしそうな外見だが、王女を浴槽へ沈める手際は容赦がない。
「反省はしております。私がもっとうまく騎士鎧を使えていたら……」
王女が憂い顔でうつむき、従者たちはようやく心配顔を見せる。
「リルリナ様の指揮能力は新人ばなれしております。その広い視野で大胆に動きすぎることが心配なのです」
ミルラーナは感情を抑えて静かにつぶやく。
「リルリナ様は急ぎすぎておられます。運動の成績が良い訓練生でも、騎士鎧で走れない体質は珍しくありません。まだ動きはかたいようですが、あれだけ跳ねまわれるなら立派な戦力です」
バニフィンはすがるように訴える。
しかしリルリナは下くちびるをかみ、そっと首をふる。
「じゅうぶんとは言えません。私の未熟を補うために、兵士鎧のかたが何人も大ケガをなさいます。私が動きをひとつ改善するごとに、ひとりが無事に帰れると思うと……訓練しなくては」
浴槽に入ったばかりのリルリナが立ち上がり、従者たちは両脇からしがみついて引きずりおろす。
「休むように言ったばかりでなぜその結論になるのですか」
「肩までつかって五千まで数えてください。ええ、むしろもう湯あたりなさってください」
ミルラーナは無愛想に、バニフィンはゆがんだ笑顔で王女を叱りつける。
「ほ、本当に反省しております。ですから欠勤や湯あたりはどうか……」
リルリナは日課の早朝訓練を休む条件で部下に翌日の出勤を許された。
しかし従者たちが迎えへ行った居室はもぬけの空だった。
「城下を見回っていらっしゃるようですね」
「休みという意味をわかっていませんね」
ギアルヌ城は七階相当の高さだが、基部の面積は百メートル四方にも満たない。
建っている丘も城の何倍もない広さ高さだが、その内部にはせせこましく『城下町』がのびていた。
ひなびた市場の通路は二階建てくらいの高さで、幅も同じく五メートルほど。
天井は全体が卓上灯ほどの明るさでぼんやり光り、薄暗さを補う必要がある場所では壁や床や柱も光っている。
ミルラーナとバニフィンは路地をいくつかのぞきこみ、楽しげな人だかりを見つけると迷いなく距離をつめた。
赤ん坊を抱えた主婦や茶飲み老人に囲まれ、両腕に小さな子供を抱えてふりまわす軍服少女の栗色髪が見えてくる。
「つぎ、ぼくの番ー!」
「わたしも、もっと遊びたい~!」
「残念ながら、そろそろベッドへもどらなければ、勘のいい私の従者たちはいつもより早く迎えに来るかもしれませんので……」
群がる子供たちの頭をなでてなだめるリルリナの背後から、ミルラーナがひょいひょいと子供をつまみのけて近づき、無言で王女を肩へかつぎ上げる。
「ま、待ってくださいミルラーナ。これは、その……」
「リルリナ様におかれましては、休養の時間にも城下の皆様への厚いお心配り、尊敬の念に絶えません」
ミルラーナは無愛想につぶやき、バニフィンも笑顔で王女の両脚をかつぎ、運搬に加担する。
「お疲れでしょうから、どうぞそのまま到着までお休みになられてください」
「ちがうのですバニフィン。それほど長く歩きまわったわけでは……」
子供たちは口々に「いってらっしゃいませリルリナ様~!」と笑顔で手をふるが、王女の護送手段について疑問をはさむ者はいなかった。
老人や主婦などはむしろ感心したようにうなずき合う。
「バニフィンお嬢様もずいぶん頼もしくなられましたねえ?」
「ミルラーナお嬢様は小さなころからあのご様子でいらっしゃいましたが、どうにか貴族らしい言葉づかいだけはお上手になられて……」
市場通りの店々や通行人にも同じ調子で見送られた。
国外から来た行商人たちだけが目を丸くし、真横になった軍服についている小隊長章と王族の紋章を確認し、王女から恥じらいまじりの会釈を送られる。
城内の一画には生身での武術を鍛える演習場があった。
リルリナは従者たちに手伝われて鎧に似た防具を身につけながら、表情が時おりこわばる。
バニフィンは目端と指先で、王女の体に貼られたままの湿布を数えていた。
「まだあちこち痛むのでは?」
「そのような状況でも出動すべき想定の演習になります」
「痛むのですね?」
「す、すぐ治ります。今日中……か明日の夜には……」
マット敷きの演習場では防具をつけた若い男女が壁際に居並び、小さな辞儀だけでリルリナを迎える。
中央では数組がコルク質の木剣で打ち合い、最も奥の少女は息も荒く、同時にふたりの男性を相手にしていた。
同時に突き込まれても受けきり、背後へまわられても逆に足をかけ、肩をぶつけて倒す。
ギアルヌ王国の騎士団長デロッサは鋭く号令し、自分の稽古相手を補充させた。
「次!」
すかさず出た少年は、いきなり体当たりのような勢いで打ち込まれ、驚いて受けた直後には肘で殴り飛ばされていた。
「次!」
リルリナと変わらない年と体格で長い金色髪をひるがえし、きれぎれの息に汗だくでもなお、囲んでいる部下全員に実戦さながらの緊張を強いている。
リルリナの燃え上がる目に気がついた従者たちはそっと取り押さえた。
「いえ、私はまだなにも……でも少しだけなら……」
静かな声に反し、前のめりに従者たちを引きずろうとする。
デロッサが号令を止め、会釈を向けていた。
「リルリナ様はまだ昨日の痛みも残っておいでかと思いますが、私もこの状態です。気をひきしめる程度に一戦くらいは」
ミルラーナとバニフィンは心配顔で上官を解放する。
リルリナは王女ではなく一小隊長として、デロッサへ辞儀を示した。
「ご指導、お願いします」
かまえをとるだけでもずきりと痛む。
デロッサもまだ息が整わない。
互いに鼻先をぶつけるような勢いで剣を合わせ、直後に互いの蹴り足を察してかわし合い、踊りまわるように乱打し合って数歩。
リルリナが距離をとろうとして、片膝をつく。
「それまで」
デロッサが宣告してほほえみ、自分のわき腹をそっとさする。
「有効打は三対一でしたが、鎧での実戦であれば、この重さ……相打ちかもしれませんね」
見学者の多くはふたりに感嘆し、バニフィンとミルラーナは王女の顔と体に増えた腫れ跡を見て頭を抱える。
ひとりだけ、長くけたたましい拍手と賞賛を続けるドレスの少女がだんだんと視線を集め、気まずさを広げる。
「ステキですわ! すばらしいですわ! こんな小さな国で! ……あら? 失礼いたしましたわ」
目と口が大きな少女は左右の巨大な縦巻き髪をふりまわして肩をちぢめる。
細い肢体と対称的に、スカートには過剰なフリルがまき散らされていた。
「お恥ずかしいですわ。育ちが最低なもので、まだ優雅なふるまいは見よう見まねなのですわ」
うつむいてくるくると回りだす。
「でも、うれしかったのですわ。これほど情熱的な鍛えぶりを見せていただけるなんて!」
周囲が閉口する中、騎士団長デロッサは微笑を保ち、王女リルリナは果敢にも礼を示す。
「ウェスパーヤ様のご評価は率直な真心が感じられ、うれしくぞんじます」
無理のある褒め言葉に、背後の従者ふたりはそっと目をそらす。
「まあリルリナ様、こちらこそ。墓参りにかこつけて侵略先を探りに来た私などを手厚くお迎えしていただき、感謝ぶっちぎりでございますわ!」
ウェスパーヤと呼ばれた少女は力強く腰をかがめて礼を返し、明るすぎる笑顔をふり上げる。
「おふたりであれば! 我が『ズアック連邦』でもみっちり通用いたしますわ! 特にデロッサ様の模擬戦は気迫じゃぶじゃぶでしてよ!」
デロッサは首をかしげて苦笑する。
「大国ズアックの大隊長様には手ぬるく見えたのでは? よろしければ、ご指導をいただけますとうれしくぞんじます」
「失礼にあたらないようでしたら! 私の手の内もぶちまけさせていただきますわ!」
ウェスパーヤは息ぎれする勢いで防具を身につけ、両腕をふりまわして気勢をあげる。
「うぱあああ~ああ!」
デロッサが号令をかけた直後、向かい合ってかまえていた少年は面と胴を打たれてうずくまり、もうひとりも数秒とかからない。
「次! ……次! 次!」
デロッサは自分の時よりも倍近い速さで補充の号令をかけ続けることになった。
ウェスパーヤは口を大きく開けた笑顔のまま、獣じみた低い姿勢で飛び交い、相手が守りを固めても瞬時にそれを超えるたたみかけで打ち崩し、次々と六人をたたき飛ばして吠える。
「きゃっぱああああ!」
年長男性ふたりが同時に進み出てかまえた。
口ひげの男は体格差を活かしたぎりぎりの間合いで牽制したが、転がるように飛びこまれ、あごを突き上げられていた。
もうひとりも背後から同時に打ちかかっていたが、ウェスパーヤは真後ろへ倒れこむようにそっくり返って薙ぎつける。
あごひげの男はどうにか反応してかわした直後、倍以上ありそうな体重が宙で反転し、投げ倒されていた。
リルリナはそわそわと落ち着きなくデロッサへ懇願の視線を向ける。
苦笑まじりに手ぶりで指示を向けられると、進み出てかまえた。
「次!」
リルリナも即座に乱打の雨に打たれていた。
しかし裂かれながらも執拗に剣で剣を追いまわし、どうにか致命打はしのいだ数撃の直後、腕に腕をからまれ、折られるか投げられるかの二択が迫り、即座に自分から飛んで技を抜ける……うまくいきすぎた着地に悪寒が走った瞬間、音も高く面を打たれていた。
リルリナの片腕だけが悪あがきに振りぬかれていたが、それきりで足は止まる。
ウェスパーヤは驚いたように両手を上げ、デロッサも応じて試合を止めた。
「もうしわけありませんわ。おえらいさんだからと甘やかす悪趣味はございませんが、あの一撃の直後にこんな……」
ウェスパーヤは自分の手首をさすり、リルリナの強引な反撃の跡を讃える。
「……とどめをぶっこむまではとても手加減などできないお相手ですわ。続ければ大ケガになりかねませんので、あしからず」
リルリナはまだ立っていたが、かまえていた剣をそっと下ろし、互いに礼をとる。
「でもリルリナ様はそれほどの腕でありながら、なぜまだ小隊長ですの?」
「恥ずかしながら……騎士鎧には、なかなか、慣れません、ので……」
王女の声も姿勢もぐらぐらとゆれていたため、従者たちがあわてて駆けつける。
「実戦で萎縮するタマとも思えませんし、なにか意識がかみ合っていないのですかしら……ともあれズアック連邦は、素質ある人材を歓迎しておりますわ! 私のような流民の孤児にまで、英才教育を恵んでくださった我が祖国! 分けへだてなく才能を愛してくださる楽園! 無能者たちの地獄! それが私の誇るズアック連邦! 侵略されてもどうかお気を落とさず!」
ウェスパーヤの眼光とジェスチャーは純粋な熱意にあふれすぎ、ギアルヌ王国の軍人たちは抗議も忘れて迷惑そうな疲れ顔を並べた。
リルリナはさらなる湿布だらけになって自室の大きなベッドへ運ばれる。
デロッサが訪れると、従者たちはそっと退室した。
リルリナはまだ呆然とした表情でつぶやく。
「ズアック連邦は何十倍もの戦力を擁しながら、あのような若い熟練者まで続々と育てているのですね……ありがとうデロッサ。敵となるであろう国について、誰もが実感を深めたと思います」
デロッサはほほえんで隣へ寝転がる。
「歓迎しようとおっしゃったのは、リルリナ様ではありませんか。隠すべき情報も少ないから、得られる経験のほうが大きいだなんて、私にはできない発想です」
リルリナは長い栗色髪をいじられるまま、天井を見つめた。
「大国同士でにらみ合っている間に、できる限りの手立てを整えなければ……しかしはたして、どれだけの時間が残されているのでしょう?」
デロッサはシーツに顔をうずめ、しばらくは無言だった。
「もしもの時にも……どうにかするのが、私の使命です」
リルリナは表情を和ませ、デロッサの手に手を重ねる。
「あなたには小さなころから、お世話になりっぱなしですね」
デロッサは沈痛な表情を隠し続けた。