第17話 絶望にも格差
航空機としての『石棺』は燃料補給の必要がなく、機体が自動修復され、風雨の影響をほとんど受けない。
しかし航行速度は騎甲による走行と同じくらいまでが限界だった。
陸が存在した時代の乗り物と比較するなら、市街地における自動車の制限速度や、大型客船やタンカーなどの巡航速度に近い。
ギアルヌ王国は数キロ四方ある本島をのぞくと、数十あまりの浮遊島はすべて半分から数分の一ほどの大きさで、ちらほらと数十キロ四方に散っている。
浮遊船で本島から遠い島へ渡るには数十分か、その倍ほどもかかった。
自国の領海から出るまでは、さらにその何倍もかかる。
しかもギアルヌ王国から目的地のグエルグング帝国へ出るには、真北にあるズグオツーク公国を通過する必要があった。
「東西の大国に接している悲惨な位置のやつらか」
「ギルフ王国の協力もあったとはいえ、今までよくもちましたよねー」
「お、おい、もう終るみたいな言いかたはやめてやれ。ひとごとじゃねえんだし」
アリハは航行中にもバニフィンの講義を受け続けていた。
ギアルヌ王国の領海を抜けるころ、青緑の下地に緑の蔦文様を示したズグオツーク公国の艦隊が近づき、並走をはじめる。
バニフィンたちも深夜の甲板へ向かい、一基だけ送られてきた石棺を出迎えた。
降りて来た将軍が敬礼を返すと、男性兵士を中心に歓声が高まる。
サタライル将軍やスミエラ将軍より年は少し若いが、美貌は同等以上で、胸が目立って大きい。
なにより表情が緊張にあふれ、高い音を立てる早足も鋭敏な印象だった。
「もうだめ。もう終り。どうしろって言うの?」
握手の前に王女リルリナの腰へすがって涙ぐみ、周囲の期待を鮮やかに崩壊させる。
「こ、これまでもマミュアス将軍は優れた機略と統率で、多くの難局を打開してこられたと聞きおよんでおります」
リルリナは年上女性に泣きじゃくられて困惑する。
「ええ。たて続けに難局ばかり押しつけられるものですから仕方なしに……いったいなにが悪いというのか……立地が悪いのですけどね」
将軍に同伴していた部下たちも暗くやつれた顔で「もうしわけありません。ギルフ陥落からは常にこんな感じでして」「こんなですけど、我が国はほかに頼れる人もいませんので」などとボソボソうめき合う。
アリハは小さく「近くの小さな国はどこも似たりよったりとは聞いていたけど、本当にこんなのばっかだな?」とささやく。
バニフィンは「その中でもダントツで騎甲も熟練騎士も少ないのがギアルヌです」とこぼす。
艦長のサタライル将軍はうわべの笑顔を保って部下を持ち場へもどらせた。
「ズグオツーク公国の大騎士マミュアス様も少し……いえかなり働きすぎのようですから、また落ち着いてから……」
バニフィンもしらじらしい笑顔でうなずき、指揮官以外をさがらせる。
「マミュアス将軍は、スミエラ将軍やサタライル将軍もかなわないと認めるほどの名将でして……」
正確には『あの位置は無理だわー』『あれは無理ですよね』という会話を耳にはさんだのみである。
「また逃げられた? それぜったい、あなたに女性としての問題はありませんから。政治問題さえ片づけば……いえ多少マシになれば……」
サタライル将軍がいっしょにしゃがんでマミュアス将軍の相手をしていたが、軍略とはだいぶ遠そうな話をしていた。
しかし残っていたアリハが驚いたことに、数分後に顔を上げたマミュアス将軍は毅然と戦略会議を主導する。
「空賊も鳥女騎甲くらいは使うこともありますが、闇商人から仕入れた時期と経緯が不自然では?」
「たしかに……デロッサが空賊を手引きする意味はなくても、ズアック連邦が情報の裏づけに売りつけた可能性もありますね?」
リルリナは見落としを指摘され、ズアック連邦の侵攻が近い確信を深める。
「ズアックは戦線を広げすぎ、ギルフ王国をまだ形式上は存続させています。ギルフからは修理の名目で我が国を通過してグエルグングへ向かった船もありますが、滞在日数を長めにとっているため、諜報員が待ちぶせている可能性もありそうです」
「デロッサであれば、我々が立ち寄る先は把握しています。探られるとしても、行くほかはないのですが……」
大国グエルグングの領海に近づくと、マミュアス将軍の一行はあわただしく離脱する。
「到着の際にはお見苦しい姿をさらしてしまい、失礼いたしました。これまで我がズグオツーク公国が存続できた理由など、あきらめなかったことくらいですのに」
マミュアス将軍の謙虚な苦笑に、リルリナは敬意の眼差しで応える。
「まだ綱渡りをできるうちは、幸運なのかもしれませんね」
「え、ええ。リルリナ様が乗る綱はまだ、両端から燃えはじめていませんからね……」
マミュアス将軍の笑顔がこわばりはじめ、その部下たちはさりげなく背後から距離をつめる。
「……私自身はですね、もはや自国の主君や領土なんかはどうなってもいいと思うのですけどね。泣いても倒れても、それを支えてついてきてしまう部下に囲まれているとですね、私が私を許してくれないのです……わっ、私は、私に……うあああああっ」
部下が上官を引きずり去る光景に、ギアルヌ軍人であれば耐性がついていた。
ズグオツーク公国の兵士たちが騒がしく「とっておきの第三弾を用意しろ!」「これ以上は危険です!」「ここで投入せんでどうする!? ショートケーキの賞味期限など半日だ!」などと叫びながら遠ざかっても、敬礼を崩さずに見送ってみせた。
石棺の船には継ぎ目がほとんど見あたらない。
階段も手すりもベッドも、ほとんどは石棺の壁が変形したもので、扉となる部分には目印となる溝が引かれている。
窓はガラスに似て透明だがぶ厚い。
仮眠についていたアリハが目をさますと、外は夜明けが近づいていた。
甲板へ上がると、遠く広がるグエルグング帝国の領土を見渡し、口を開けっぱなしになる。
「あの島……どこまで続いているんだよ?」
耕作用の支島のはずだが、ギアルヌ本島の何倍もあった。
「国土がギアルヌ王国の二百倍ですから」
先に来ていたバニフィンがしょんぼりと苦笑する。
「にひゃく……だからって、島はもっと分けて離さないと、畑がまとめて……」
「ですから、二百倍ありますから。あの規模の畑が全滅しても、ほかの島で埋め合わせができてしまうのです」
「なんか……ひでえな?」
「国力の差は農業生産だけではありませんよー。領海が広いほど石棺も多く回収できて、つまり領土も鎧も早く増えます。しかも工業用に特化させた石棺を大量に配置できる浮力まであります。小国は自動修復できない故障になると、大国に高額で修理を依頼するか、あきらめて安く売るしかありません」
「追いつきようがねえ……それじゃもう、大国同士で削り合ってもらうしかないわけか」
「まだ東西大国の戦力が拮抗しているため、どちらも小国の反発は買いすぎないように配慮していますけどね……」
バニフィンがふと首をかしげる。
「そういえばアリハさんは『砲撃』の訓練をどれくらい経験なさいましたか?」
「砲撃を使える機体ならビスフォンに聞いたことあるけど、乗ったことはねえなあ?」
バニフィンの笑顔がこわばる。
「あの……我が国では普段ほとんど『砲撃』を使いませんが、馬人騎甲にも搭載されていますよ?」
「砲撃って、貧乏弱小国とは縁がない機能だって聞いたけど?」
「そのとおりですが、国家間戦争では頻繁に使われますので……うちにも小人兵甲があることは知っていますよね?」
「いつも奥にひっこんでいる小鬼もどきか? あれは貴族専用って聞いたぞ?」
「そんな。三機だけでも維持していたのは、砲撃訓練のためなのに……」
バニフィンはサタライル将軍の許可を得て、航行中の格納庫を空に向かって開く。
「移動中も訓練とは熱心ですねえ? ではその小人さんはご自由に」
「ありがたくお借りします。まだ新人が多いもので……」
礼を言って追い出すと、アリハへ低い声で耳打ちする。
「今日がはじめての砲撃訓練であることはくれぐれも内密に。空賊でもない騎甲乗りとしてはありえない話ですから」
バニフィンが先に小人兵甲へ乗りこみ、動作を確かめる。
全体に小鬼と似ているが、牙がなく、つり目の悪人顔でもなく、胴部のデザインも敵への威圧より儀礼的な気品が重視されていた。
「本来はこの小人が兵甲の標準機体で、性能で劣った廉価品が小鬼・豚鬼・犬鬼なんです」
「三大ザコ兵甲ってビスフォンが言ってたけど、安さで人気だったのか。使いこなせば騎甲ほどは差がないとも聞いたけど……」
小人が棍棒を持っていない左手のほうを正面の空へかまえ、短く「撃て!」と叫ぶ。
破裂音と同時に弾丸が射出され、すぐに打ちつけるような音が続いた。
次弾は長くかまえ、少し速く長く飛んだように見えたが、たいして変わらない。
「かわせなくもないような……というか短いな?」
代わってアリハが小人兵甲へ乗りこむと、左手に奇妙な感覚をおぼえた。
「小鬼とかよりクセがなくて使いやすそうだけど、なんだこのざわざわ……?」
「撃てると意識するようになったことで、感覚が少し変わったかもしれません。砲撃は胸部の開閉と同じく、最初は発声が伴わないと動作しにくいです」
アリハが集中して『砲撃』を意識すると左手のざわつきが強まり、おびえに応じて下がる。
「打撃よりも生身の相手を巻き込みやすいので、必ず視界を確保してから撃ってください」
「わかった。それじゃ試しに……撃て!」
発射の瞬間、起点となる左手に熱を感じ、狙った方向へ伸びている感覚が伝わる。
「飛んでいるのも鎧の一部……なのか」
弾丸は人の握りこぶしほどもあるように見えたが、実際はその半分しかない『兵甲の人差し指』で、武器の連結よりも細いワイヤーが一瞬に引きもどしていた。
「これって飛び跳ねた時の膝みたいに、小手がどんどん痛むな…………撃て! 撃て! 撃て! ……あれ?」
撃つまで、そして撃ってから次の射出まで時間がかかり、左手の『ざわつき』を十分に貯めてから打たないと、射程が急に短くなる。
続いて馬人騎甲に乗り換えると、砲弾の大きさはもちろん、射程も倍近くあった。
「でもやっぱ、殴ったほうが早くねえか? というか、あれくらいの距離だと、一発か二発かわされたら殴られてそうな……」
「しかもたいてい、殴るほどの威力はありません」
「なるほど使わねえわけだ……でも船や城壁の上だと、一方的に壊せるのか?」
「それと大国のように、多数の砲撃機体を集めて部隊を編成できると、接近される前に一斉砲撃で倒せます」
近づいてきたグエルグング領の巨大農場に朝日が差し込み、巡回している十機編隊の兵士鎧がすべて小人兵甲であることも確認しやすくなる。
「なるほど貧乏軍隊には真似できねえ」
「小人兵甲なら手が届かない値段でもありませんけど、四機の予算で小鬼ならもう一機を買えてしまうので……」
「うちは兵甲一機でも惜しいもんな」
「機種はしぼったほうが、なにかと節約もできます。でも怖がりの私は正直なところ、砲撃部隊はうらやましいですね。あんな数の砲撃を相手に飛びこめる自信もありませんし……でもアリハさんなら、今からでも多少は対応できそうですか?」
バニフィンが指す先ではさらに大きな浮遊島が水平線いっぱいに広がり、ギアルヌ城ほどに大きな建物がいくつも並んでいた。
「あれでもグエルグング帝国では、地方都市に過ぎないのですよね~」
広くて厚みもある港の警備に、何十機もの砲撃兵甲が行進している。
「お、おい、まさか鎧の調達って……貴族の間じゃ空賊仕事を『お買い物』って言うのか?」
「言いません! ……でも入港の許可はとっているのに、なにかと理由をつけて撃ってくるんです。砲撃訓練を急いだ理由もわかっていただけましたか?」
「やっぱ貴族の常識はよくわかんねえな」