第10話 恩恵は彼方に
アリハとミルラーナが鎧で駆けると、民家の庭を生垣ごしにのぞく不審な巨大馬人を目撃する。
家主の中年夫婦は王女の怪しい挙動を気にしていたが、クローファの犬鬼鎧は庭の整地に夢中だった。
空賊との戦闘で踏み荒らされた地面をならし、倒れた木柵を打ち直してまわる。
「うちはもうだいじょうぶだよ。段々畑のほうが大変そうじゃないか?」
中年夫婦に言われると犬鬼はコクコクとうなずき、軽快に駆け出す。
移動先でも傾いた果樹を押しもどし、段を補修し、ついでに収穫した夏みかんの荷運びも手伝う。
老農夫は摘みたてのイチゴをかごに盛って洗い、尾行してきた巨大鎧たちへ差し出す。
「あの無口な犬鬼さんが来てくれると助かるんですよ。いつもは島の南側を歩き回っているみたいですけど」
リルリナは胸甲を開けて丁重にかごを受けとり、ミルラーナとアリハにも分けた。
「クローファさんは作業の手際がよいですね。それにとても熱心に働く……のに……」
「あいつ、畑仕事とかは一日中でもやっているんだけどな。あれだけ鎧を使えるくせに、空賊の相手は嫌がるんだ」
アリハは王女へ献上された果実の出来に見とれ、肩身も狭そうに味わう。
「志願者でもない人を軍務につかせているのですか?」
「あれをほっとく手はねえだろ? 特に今は」
「しかし……」
日が暮れてきて、クローファもようやく鎧から出て休憩をとり、老農夫と茶を飲む。
しかし幼い孫娘が駆けて来ると高く持ち上げて遊んでやり、いっしょにニワトリも追いかけ、そのまま鶏小屋の掃除まではじめてしまう。
その笑顔は無防備で、リルリナは困ったように眉をひそめる。
「兵甲一機で騎甲一機という、破格の採算効率をとれる人材……などと見ている自分が、どうにも浅ましく思えてしまいます」
「そんなこと言っている場合かよ。使えるもんは使っておこうぜ」
アリハの言葉づかいを従者ミルラーナはあえて看過する。
「しかしアリハ……貴様もだが、あれだけの技量はどうやって身につけた?」
「オレは親父や兄貴から基本を教わったけど、あとはクローファのまねだな」
犬鬼は別れ際にも肥料袋を預かっていたが、一度に持ちきれない残りはアリハの巨大骸骨がまとめて抱え上げる。
「これぜんぶ、オレらのとこへ運んでいいやつ?」
「うん……アリハは王女様のお守り、もういいの?」
「どうだろ。王女さん、気になるならオレらのとこに寄ってみる?」
夕闇が広がると、家屋の石壁や巨大鎧が淡く光り、足元を照らしはじめる。
ギアルヌ本島の真南に、薄い浮遊小島が接続されていた。
中央部をのぞいては緑が薄く、百メートル四方の半分近くはむきだしの石棺が見えている。
入口には老婆が座り、道端の床で鍋を沸かしていた。
「あのばっちゃんの家は火力が弱いから、そこの地面を使ったほうが早いんだ」
「もっと機能が残っている石棺の家に換えないのですか?」
「ギアルヌに島をつなげる前は、あの家も土から塩を抜く速さで重宝したらしいし、旦那が死ぬまで住んでた家だから。ばっちゃんも死ぬまで使ってから、人間用の棺に飾りなおしていっしょに海へ沈めたいって……だよな?」
老婆はうれしそうにうなずく。
「その時はアリハちゃんが運んでくれるのよね? ……王女様、アズアム族の集落へようこそ。先に兵士団のかたも来ておりましたよ」
リルリナも馬人騎甲から降り、小さく腰をかがめて辞儀を返す。
アリハも民家を背に巨大骸骨を座らせると、先に狭い路地へ駆けこんだ。
「またラカダランのおっさんが、キャスランねえちゃんをくどきに来てんのか?」
ミルラーナも小鬼兵甲を座らせる位置を探すが、踏み出した片足が不意に地面へめりこみ、ねばつきから引っこ抜くように元へもどした。
「この真下にある一基は浮遊機能まで停止しているのか?」
「すみませんねえ。そのあたりの地面はその一基だけで接続させているから、はずすにはずせないんですよう」
老婆は別の地面を指し、鎧が見た目ほどの重力を受けないで済む置き場へ誘導する。
「ずいぶんとガタガタの土地だが、漂流しながらここまで広げるために工夫をつくした跡というわけか……」
「ええ。自分たちで守り育てた愛着がありますもので、ギアルヌさんと接続させていただいてからも、不便というだけでは捨てづらくて」
間もなくアリハがあごヒゲの年長兵士を連れてもどり、停めてある二機の騎甲を指す。
「目当てのキャスランねえちゃんは連れてきてやるから、こいつら見張っといて」
兵士団の中隊長ラカダランは居合わせた王女に驚く。
「いえ、アズアム族の自警団にも巡回を増やしてもらう相談に来たんですよ? まあ、今日はがんばってくれた犬鬼隊のねぎらいついでに、私用の時間もとりたいとは思っていましたが……」
あわてた弁解にリルリナも照れた笑顔でうなずく。
ミルラーナは退屈そうに老婆から汁物の味見をもらうが、ふと見回し、いっしょに来ていたはずの犬鬼を探す。
「やつは気がつくと、いつの間にか消えているな?」
「クローファのやつなら、先に遊び場かな?」
アリハにうながされて奥へ入ると、十数軒の民家に囲まれた空き地へ出る。
数人の兵士と、質素な服の男女が十数人、いっしょに食事をとっていた。
大皿には小魚の干物が盛られ、芋と葉物のスープは椀にひとつずつ、小さな肉団子が入っている。
リルリナは軽い辞儀だけでそのまま談笑を続けさせた。
アリハは背の高い色白赤毛の年上女性へ手をふり、入口のほうを指す。
「ラカダランのおっさんがここに住むか、キャスランねえちゃんを持っていくかできねえの?」
赤毛の女性は顔をぱっと明るくして、茶のカップと焼きたての麦菓子をふたりぶん、いそいそと盆にのせる。
「私は子供だけでも、もらえたらいいんだけどね。もっとちゃんとしたいって言ってくれてる」
キャスランは王女の赤らめた頬に気がつくと、苦笑まじりの会釈を見せ、鼻歌と共に去った。
「ラカダラン隊長の家では、まだ蛮族との結婚には厳しいのか?」
ミルラーナはそっけない顔で、どこからか受けとった干物を歯でむしる。
「まだアンタらがオレらを『蛮族』と呼ぶくらいだからな。兄貴が兵士をはじめた数年前よりは、だいぶよくなったらしいけど」
アリハもさほど気にしていない様子で返すが、リルリナは不満そうに手をもんでいた。
「父はアズアム族の皆様を友人として迎え、ずっと国の守りにも協力していただいているのに……」
「そんなこと言ったって、元は空賊だったやつも多いから、しかたねえだろ? ああでも、ビスフォンの親父は、空賊のさらに前だと兵士だったらしいけど」
「母さんは代々の空賊だよ」
先に帰っていた丸顔のもじゃもじゃ頭も腰を上げてついてくる。
さらに奥へ入ると、島中央の畑に出るが、数十メートル四方しかない。
「親父たちが流れ暮らしていたころは、これ以上に畑を広げると島が沈んじまうから、食事の半分以上も『苔粥』でごまかしていたとか……考えたくもねえよな」
石棺の多くは日照と大気中の成分だけで真水を精製できたし、さらには『苔粥』と呼ばれる食料も精製できた。
多様なプランクトンを培養させたペーストで、バランスよく栄養価が高いため『苔粥』の精製機能さえ残っていれば、餓死だけは避けられる。
ただし国家に定住できる者の日常では味や食感が不人気で、一般にはスープなどへ混ぜて摂取し、大国の富裕層は天の恵みへ感謝を示す儀礼でしか食さない。
「でも大半の流民は『苔粥』しか食べられないから、かなりマシだったと思うよ」
ビスフォンは何枚かつかんできた小魚の干物をアリハにも分ける。
王女にまで勧めていい品か迷ったが、アリハが突き出すと喜んで受けとっていた。
とはいえリルリナも、歩きながら食べる無作法はさすがに恥じらい、口元を隠してから一撃で半分をかじりとり、小骨をまとめて破砕する快音を響かせた。
「そういやクローファなんて、うちに来てしばらくはなにを食っても涙ぐんで喜んでいたな……あ、じっさまがまだ起きてた」
畑を囲む民家に一軒だけ、石棺を六つ連結させた大きな家があり、壁全体の光が少し強まると、中から背の高い老人が出てきて辞儀を示す。
「今日はリルリナ様もごいっしょでしたか。孫のアリハがお世話になっております」
「おひさしぶりですドリスパ様。こちらこそアリハさんには助けられております。今日も騎甲の一機をしとめる殊勲でした」
アリハは照れて笑顔を赤らめる。
「じっさま、兄貴と親父は? 巡回中か。まあいいや。ちょっと鎧で音を立てるかも」
畑を過ぎた先には夜風に吹かれる砂地が広がり、二機の犬鬼兵甲がたどたどしく動作の訓練をしていたが、アリハの姿に気がつくと胸部を開けて子供たちが降りてくる。
リルリナはまだ十歳にも届かないような操縦者の姿に驚きながらも会釈を交わした。
そのさらに奥で、もう一匹の犬鬼が荒れた地面を黙々とならしている。
「あの……クローファさん? よろしければ、私と兵甲でお手合わせしていただきたいのですが」
しゃがんでいた犬鬼は鼻先を向けるが、しばらく沈黙したあと、首を小さく横にふる。
「だめだよ王女さん。クローファのやつはケンカだと逃げちまう」
ふりむくとアリハが犬鬼兵甲に乗りこんでいた。
「おいクローファ、ちょっとだけ『さわり鬼』だ。オレが三回で、お前は五回な」
アリハの犬鬼は棍棒を自分の頭、胴、背へ軽く当てたあと、地面の石棺をいくつか指す。
「あの縦横四つの範囲で暴れるんで、気をつけて」
ビスフォンがリルリナとミルラーナをさがらせると、アリハの犬鬼が飛びかかる。
クローファの犬鬼は起き上がりながら体をひるがえし、背を向けるように棍棒をふりきる。
アリハはしゃがんで避けたが、その側頭部へ、すぐにもどっていた棍棒がコツンと『さわって』いた。
「一回」
「ぐ。しかたねえ、一回だ」
リルリナは今の一打が全力であれば、勝負を決していたことを察する。
両者の鋭い足さばきが狭い戦場をめまぐるしく回り、砂を飛び散らせた。
クローファがアリハの横をすりぬけた瞬間、リルリナの目では確認できなかったが、犬鬼の背でコツンと鳴ったように聞こえた。
「二回」
「ぐっ……!」
アリハは俊敏で手数が多く、打ち筋も多彩だった。
それでもその隙間を縫うようにクローファが飛び、胸先へカツンと当てる。
「三回」
その後は何合か打ち合って位置を争うが、ふたたび胸先を軽く突いた。
「四回」
ミルラーナは顔をしかめる。
「アリハも思った以上の技巧だが、それを圧倒する貴奴はなんなのだ? 腕と性格の差がひどすぎる」
ビスフォンは遠慮がちな小声で答える。
「クローファは小さいころに戦場の負傷者をたくさん見たせいで、相手が空賊でも、大ケガをさせそうだと体が動かなくなるみたいで……」
リルリナは十才になる前に手伝いはじめた看護の仕事を思い出す。
最初は痛々しい負傷者の姿に涙ぐんだ。
しかしそれ以上に、幼い王女の手当てを受ける者たちが、強がって見せる優しい笑顔のほうが恐ろしかった。
リルリナも常に笑顔を見せて、元気づけるしかなくなった。
努力が足りないまま泣くことは、自分に許せなくなった。
「……クローファのやつにはなるべく、数だけ引きつけるおとり役を任せています。仲間がやばい時なら、少しは手を出してくれるし」
「あれだけの腕を無駄にして、本人に不満はないのか?」
ミルラーナは理解しがたい様子で、ビスフォンは説明に迷う。
「むしろ戦闘技術そのものを嫌っています」
「なに?」
「聞いた限りですけど、父親がかなりの腕だったみたいで、お姉さんを騎士にしようと異常に厳しく鍛え続けて、クローファも練習相手に巻き込まれて……でもその父親が、流民生活で最初に飛び降りたそうです」
人が住む石棺の浮遊高度は数十メートルで、二十階ほどのビルに相当する。
海面へ落下すれば、時速百キロを超える着水の衝撃で内臓や背骨を傷め、ほとんどは即死した。
高飛びこみの技術があったとしても、骨折や脳挫傷は避け難い速度になる。
生還できれば百人に一人もいない奇跡とされた。
「真水と苔粥が足りていても、漂流が長引けば正気を保ちにくく、頭部を医療機能づけにしても身投げは増え続けると聞くが……」
石棺は人が生きていくために必要な『最低限のほとんど』を補給できる。
味が悪くて栄養価の高い『苔粥』は『最低限』の象徴だった。
長すぎる漂流で精神を病んでもなお、石棺の『医療機能』は脳内分泌物を調整し、犯罪の多くを抑止する。
しかし最終的に、現在の第六海域で最多の死因である『海への投身自殺』は防止しきれない。
「父親のあとで母親とお姉さんも失って……ほかにもたくさんの人が海に落ちたそうですけど、クローファは流民になった原因の戦争と、最初に家族を捨てた父親の教えを同じように嫌っている気がします」