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トオル号四話 一号ロボ  作者: 伊藤むねお
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記憶の整理

 空也はトオルに大いに満足している。炊事、掃除を完璧にこなす。幼児がいたならば育児も十分に出来るだろう。

 執筆作業の助手としても申し分ない。必要な資料やデータは言えばたちどころにそろう。しかし有能な召使いを雇ったという気持ちとは明らかにちがうのだ。

 ありがとう、ご苦労さん、と、ごく素直にそういう言葉が出るし、それを滑稽とも不自然とも思わない。

 同格なんだ。トオルは当然ながらとてつもない物知りだし、記憶の良さときてはコンピュータのよう・・・実際はそうなのだが・・・


 誰でもそうだろうが、知っているのに思い出せないという状況はなかなか辛いものである。喉元まで来ているのだがそこからが出ない。空也はそれが人一倍いやな質である。こういうときに掌をみればそこに答えがあるというのなら、いかばりか痛快であろう。


 ただトオルの能力を利用するには限定もしくは限界がある、と空也は思う。

(丑三つ時は、今の何時頃をいうか)

 それはいくらなんでも聞けない。聞いちゃいけない。江戸時代の捕物帖を書く作家としては名折れだ。それは自分が調べるのだ。

(目付の職務は)

 それも聞いちゃいけないのだ。


 限定は他にもある。掃除、清掃、整理、食事はトオルに任せるのだが、なんでもトオルに頼むのは空也の体がナマってしまう。

 空也はトオルを連れて散歩をするのを日課にしていた。すこし速度をあげて歩く。ときには腕をふって歩く。雨風が強い日でなければ、どんなに仕事が詰まっていても散歩は欠かすことはない。自宅を中心に一時間前後のルートを四つ五つみつけてあり、それをその日の気分に任せて選ぶ。


 4月もまだ日の浅い日曜日、空也は貝塚公園を回るコースを選んだ。

 公園に入ると縄文の森というテーマで選ばれた小さな樹林がある。若葉が皆のぞいている。ひと月もたてば緑が広がり、マテバシイ、ケヤキ、ムクノキ、カシ、コナラ、クヌギ、クリ、ブナなどがそのメンバーだ。律儀にも明治になってから入って来た北米産のハナミズキは入れてもらえず柵外に植えられていた。

 可哀想にな。


 晴れた空に刷毛で掃いたような雲がある。

「あれはなんという雲だったけ」

 これはトオルとしては大事なところである。なぜなら、空也のそれは必ずしも質問ではなく、自分への呟きである場合も多いからである。その判別は本人以外には難しい。いや、本人ですらわからないかもしれない。しかしトオルは今やかなり正確に判定が出来るようになっている。言葉の強弱や抑揚のわずかな差から判定するのだろうが、自己判定ができないときは、「調べますか?」とそっと聞いてくる。

 教えましょうかじゃなくて、調べましょうかという返事がいいじゃないか。

「絹雲かな」

「そうです」

「そうか。当たったな。高さはどれくらいだろう」

 と、手を上げて指をさす。

「さっき北行きの旅客機が絹雲の下を通りましたので、絹雲の高さは10キロ以上だと思います」

「そうか。ここから川越までくらいだなあ。高いものだ」

 川越市を空に打ち上げるのにどういう意味もないのだが、空也はそこで満足する。


 樹林を抜けて貝塚復元館があるのだが、地面に埋葬された人骨(人工骨)があり、今はみせちゃだめと思ってる。そこで隣に展示室がある。主に縄文時代の土器だった。

「5000年前、ここらは海辺だったんだ。縄文海進といってな、東京湾がここまで食い込んでいた。この周りに貝塚が多いのはそのせいだ。俺はこれらの土器をじっとみていると得も言われぬロマンを感じるんだ」

「そうですか」

 トオルはいつものように言葉短く応じたが、今日は少しちがった。

「お姉さんもロマンを感じるでしょうか」

「シズか。どうかな。今度シズに聞いてみてくれ・・・ヒロにもな」

 外にでて園内を半分ほど回るとベンチで休む。トオルもそばに掛ける。孫そのものである。

 隣に誰かが腰掛けていれば、風向きなどによってはその会話が聞こえてくることがよくある。

 今も、初老の男性がふたり語らい合っている。


「かからない。そんなにはね」

「そら、あんたはうまいからそうだろうが、俺はそうはいかないよ」

 何の話だ? かかる、とはなんだ。金か時間か、鈎針か・・・はたまた詐欺か。ふたりは同志か、友人か、親分と子分か。あるいは特攻隊の生き残りか・・・いや生き残りはもういないだろう・・・

 とにかく想像するのは実に楽しく倦むことがない。得な性格である。だから作家になれたのだ。

 こういう場合、トオルはじっとしている。

 それでも空也は、トオル、何を考えているんだいとは聞かない。それを考えてることを推測するのが楽しみのひとつだからである。


(まず警戒だろう)

 人間の脳の最初の役目は「警戒」にあったはずである。脳と心臓が命の支えだ。警戒能力をより高めるために他の機能を休ませているのだ、と思う。

 遠くでキャッチボールをしているグループがいれば、そのボールが逸れて飛んでくる可能性もあるし、遠く離れたところで悪ガキが、「あのぼうっとしている親爺の懐の財布をもらおうじゃないか。野球帽をかぶった子どもがひとりいるが、あいつは蹴倒せばいい」とでも囁き合っているかもしれない。あるいは、センターサーバーから気象情報や地域の安全情報をもらうのかもしれない。仙台で皆を驚嘆させた地震告知もそれによって出来たのだろう。つまり、自分とマスターのための安全管理に集中しているのだ。

 しかし、最近では、それだけではないなと思う。

(それと記憶の整理じゃないのかな)

 いかに高性能な電子脳でも判断を早くするためには、必要な情報が取り出しやすいように整理整頓されていなければなるまいと考える、素人なりに。

 帰ってきたシズから菊田家の食器棚のことを聞いたとき、ふと思いついたことがあり、その日の夜、トオルに尋ねてみた。

(トオル。おまえが一番最初にここにきた時の食器の配置も覚えているのかい)

(いいえ、曖昧です)

(曖昧? ファジーか)

(はい)

(新しいのは正確でも古いものは曖昧になるということか)

(例外もありますが大体はそうです)

(消えるとか薄くなってしまうとかか)

(取り出しにくくなる、という方が近いような気がします。お父さん。たとえ話でいいですか)

(ああ)


 トオルは最近、この種の質問に答えるのにたとえ話を持ち出すようになった。最初に用いたのがいつ、何の時だったか記憶にないのが残念だが、ずいぶん高度になったではないか。そうだ、小野君に今度聞いてみよう。チェックしているはずだから。

(お姉さんが、先月、部屋にひな壇を飾ってました。今はまだあまり時間がたってませんので、僕は飾り付けられたひな壇ごとそっくり立体映像として記憶してます。ですから聞かれても照会・取り出しに殆ど時間がかかりません。しかし、今はもう、ひな壇は崩されて、人形や飾り物はみな小箱に入れられて格納されています)

(なるほど。おまえの記憶もそれと同じように、やがては分解されて部品として記憶されるだけになる、と?)

(はい)

(それを取り出すのに時間がかかるし、小箱を一個取り損ねることもあると、そういうことか)

(はい。損ねるはないのですが、そういうイメージが近いです)

(なるほど。うまい例えだ)

 と、感心しつつ自分の質問と理解力にも満足した。

 しかし人間もそうじゃなかったか? たしか、人間の脳も海馬といったけかな、それと大脳皮質との間で情報がやりとりされ、その間に記憶を整理・再構築して再格納する。うん。それを睡眠中にやるというのだ。トオルは、待機状態の時はその作業をしているのではないか。

 そうだ。夢は、脳がその作業をするために(夢)を見ると書いてあったぞ。とすれば、トオルはどうなのだ。

(トオル。夢をみることがあるかい?)

(どういうのを夢というのかわかりませんが、こういうのかと思うことはあります。お父さんが寝ているのに、お父さんに呼ばれたと思うことがあります)

(・・・寝言だな)

 この種の質問がアタックだ。

 空也はインストラクターからほどほどにと忠告を受けたことを忘れてはいない。アタックが高じて生じたフリーズ障害については、ソミック社では高額のリカバリー料金を課することがある、と契約にもうたっている。しかし、空也もヒロもシズも湧いてくる疑問にもう一歩だけ踏み込んでみようと思うことは少なくないのだ。


 

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