山椒の木で造られた物が至高ってそれはすりこぎ
男爵家は貧乏でした。
領地もわずかで騎士爵領程度しかなく土地も痩せ、これといった産業もなくいつもピーピー言ってました。
そんな中でも、男爵夫妻は善良な部類で長男は既に嫡男として男爵の仕事を手伝い、十五を筆頭に四人の娘はそれは器量良しに育っておりました。
ですがある年、凶作となり自領だけではにっちもさっちも行かなくなったのです。
男爵は隣接する領地の子爵に助けを求めました。既に子爵には多額の借金がありましたので子爵も最初は渋ったのですがある条件で貸してくれるといいました。
娘さんを嫁にください。
子爵は数年前に代替わりをした三十路の独身男でした。
領地経営に才があり割と裕福でしたが極度の肥満漢であり目鼻立ちもまるで整っておらずいつも汗をかいてぜーぜーいっており、結婚してくれる女性が居ませんでした。
子爵本人も自分のとりえが子爵位と財産しかないことを痛感していて、それを前面に押し出して婚活をしていましたが、逆効果であったことはいうまでもありません。
子爵はお金で嫁を買うかのような恥知らずな行為であると分かっていながら藁にもすがる気持ちでラストチャンスに賭け、男爵は背に腹は代えられずそれを受け容れたのでした。
子爵がどのくらい嫌がられていたかといえば、その話を聞いた長女と次女と三女の婚約が本人達のたっての希望でその週の内に決まったくらい嫌がられていたのです。
そして一才の四女が婚約することとなり、子爵家の紋章が付いた指輪が贈られました。
娘に対しては善良な両親は
「大丈夫だ、あの肥満体では四女が結婚できる十五才になるまでには心臓を痛めてお亡くなりになってるに違いない」などと債権者に対しては余り善良でない事を呟いておりました。
婚約が成立して以来、子爵は足繁く男爵家を訪れます。
子爵は別に幼女趣味があるわけでもないので四女をどうこうする気はありませんでしたが、自分の余り芳しいわけではない体臭に慣れさせておこうという姑息な作戦を取ったのです。
自分が年をとったときに加齢臭が原因で子供に介護を拒否られないようにするために乳幼児のころから時々ジジババに抱っこさせる育児みたいなものでしょうか。
さて四女にしてみれば物心付いたときからその肉山はその辺に居ました。
何かじっとりしていましたしどこからか風の音が聞こえてきますが登っても蹴ってもよだれをつけてもびくともしませんでした。
四女は成長するにつれその山が自分の夫となる男であり自分が借金のカタであると分かっていきました。
そして両親がそろそろ心筋梗塞でも起こしてくれないかなどと恐ろしい話をしているのも聞きました。
「冗談じゃないわ」
十才で指輪を左薬指に付けるようになった四女は敢然と立ち上がりました。自分の運命は自分で切り開く。そしてデブはちょっと嫌だと。
「子爵様、運動しましょう!」
子爵はぐずります。運動が好きな人はそこまで太りません。四女は作戦を臨機応変に切り替えます。
「子爵様、一緒にお散歩しましょう」
四女は上三人に負けず劣らず器量良しでした。そんな美少女に上目遣いに懇願されては女性に免疫のない子爵などいちころというものです。
それからしばらく男爵家の庭をのんびり歩く、樽と少女の姿が見られました。
ある程度歩行能力を取り戻したと思われる頃あいを見計らい四女は散歩に負荷をかけることを考えます。
「子爵様!肩車!」もてない男の夢の詰まったシチュエーションです。子爵にその場で跪かないという選択肢はありません。
ですが四女は追撃を止めません。散歩が終わり子爵が食卓につきガッツリ間食しようとするそばに駆け寄り、
「子爵様!食べさせてあげます!あ~ん」ととてもちっさな指で摘まれたごく少量のクラッカーの欠片を差し出します。
それはとてもゆっくりと子爵の満腹中枢が少量のおやつで満足するまで行われるのです。
こうして数年が経ち子爵は普通のブサイクデブになりました。喘鳴もかなり小さくなりました。
四女の十五才の誕生日がだんだんと近づくにつれ、割と善人で小心な子爵はかいがいしく自分の面倒を見てくれる美少女を見下ろして心を痛めるようになっていました。
嫁が欲しいばかりに金銭貸与にあんな条件を出したのは余りにも非道ではなかろうか。
こんな心も体も美しく闊達な少女をこんな醜い三十も年上の男の妻にするなど許されない冒涜ではないのか。
子爵家など親戚から養子でも貰えばよいのではないだろうか。
そして唯一女性から否定されない要素のふさふさの金髪が寂しくなるほどの心労を重ねた結果、子爵は四女の成人の日の前日、指輪の返還を求めたのです。
ただ四女を賞賛する言葉を並べ、ひたすら自分を卑下する言葉を並べる子爵の言葉を聴き終わった四女は聞きました。
「子爵様。ですが男爵家は子爵様に借金を返せる財政的余裕はありません」
子爵はそんなものは四女のこれまでの献身で十分返してもらった。四女がカタになる以前の借金も返済には及ばない。そう、子爵は微笑みました。男爵家に債務は一切無い、と。
四女はしばらく子爵の顔を見つめ、目を伏せ考えた後、分かりましたと、指輪を抜き子爵に渡しました。
子爵は手のひらに置かれたそれをさっぱりしたような未練たっぷりなような泣きそうな笑いそうな顔で見つめ、大切にしまいこみ、四女の下を去るためきびすを返しました。
「子爵様」四女は子爵を呼び止めます。
「私に言わねばならない言葉はありませんか?」
子爵は立ち止まり、四女の方を向き、納得した顔で四女へと跪き、心の底から詫びました。彼女の十年を奪ったことを、彼女に自分の嫁になるかのごとき絶望を味わわせたことを。
「謝罪など聞きたくありません」四女は目をいからせて言い放ちます。
子爵は考えました。確かに彼女の清心には謝罪よりも感謝を伝えるべきであろう。
幼児の頃毛嫌いせずに自分を登攀してくれたこと頂上で満足してお漏らししたこと。しゃぶりついて、しがみついて笑いかけてくれたこと。
一緒に散歩してくれたこと、自分が女性といちゃいちゃしたいと思っていたことの多くを実現させてくれたことなどを四女が顔を真っ赤にして目を逸らすまで並べ立てました。
「私は感謝のことばなど求めていません」四女は赤い顔のままいいました。
子爵は何を言えばいいのでしょう。あれやこれや言葉を尽くしますが、四女は機嫌を損ねていきます。男爵領の財務状況に関して言及すれば「それは父に言え」と素気無い言葉を返されます。そして子爵は終に余り口にしたくない言葉を声にすることになります。幼女にへたれるしょぼくれたおっさんでも子爵様なのでなけなしのプライドがあったのですが、已むを得ません。
「ずっと好きでした」
「過去の話に興味はありません」
どうやら四女は容赦してくれないようです。子爵は息を吐き、吸い、覚悟を決めて言いました。
「今この瞬間も貴女を愛しています」
四女は左手を子爵の顔の前に差し出し真っ赤な顔で言いました。
「もう一声」
子爵は震えるその手をとり、先ほどしまったばかりの指輪をしまった時よりも大切に取り出して、言いました。
「結婚してください」
「はい」
どうやら四女に対するインプリンティングは成功していたようです。