先約キャンセルは問題なく
夕方、わたしはプチドラを抱き、目立たないようにいつもの作業服(=メイド服)を着て、こっそりと徒歩で、ツンドラ候の館に向かった(なお、道に迷わないよう、館の門まで先導役の駐在武官(執事はツンドラ候に恐れをなして先導役を辞退)がついていた)。ツンドラ候は、今日も、アート公だかサムストック公だか、どこかの晩餐会に呼ばれるはず。館から出る時を狙って、いわゆる「拉致」同然に、わたしの屋敷まで連れて帰ってしまおう。
ツンドラ候の館の玄関では、既に馬車が待機していた。わたしは適当に使用人に挨拶をしながら(ツンドラ候のアバウトな性格が伝染したのか、お使いに来たどこかの大領主の使用人と勘違いされたのか、ともかくも館の使用人には怪しまれていないようだ)、ツンドラ候が出てくるのを待っていた。
やがて……
「お急ぎ下さい! モタモタしていると、遅れてしまいますぞ!!」
「いいじゃないか、少しばかり遅れたって。どうせ、普通の料理を食わされるだけだろう。もう飽きたよ」
「そういうわけにはいきません。相手に対して失礼に当たりますぞ」
大男と小男の二人組が、例によってドタバタと駆けてきた。
わたしは馬車の横からツンドラ候に向けて手を振り、
「ツンドラ候、ごきげんよう。でも、実際のところは、あまりご機嫌がよろしくないようですね」
「おお~! ウェルシー伯ではないか!!」
ツンドラ候は大声を上げ、わたしの前で急停止すると、
「丁度よかった。これからどこか、え~っと、どこでもいいや。とにかくゲテモンだ!」
ツンドラ候は普通の晩餐会には辟易しているようだ。しかし、ニューバーグ男爵が慌てて制止し、
「ですから、そんな子供みたいなことをおっしゃらないで下さい。何度も申し上げていますのに……」
そして、わたしの方に向き直り、
「申し訳ございませんが、ウェルシー伯、本日は、これからアート公のところで晩餐会がございまして……」
それは十分に承知している。わたしはプチドラをチラリと見て、合図を送った。そして、プチドラがモゴモゴと小さく口を動かすと、
「あ~…… う、うにゅ…… むにゃむにゃ……」
ニューバーグ男爵はその場に崩れ落ち、大きないびきをかいて眠り始めた。もちろんこれは、プチドラの魔法(こうでもしないと、本当にツンドラ侯爵に殴り殺されかねない)。
わたしはサッとツンドラ候に擦り寄り、
「ツンドラ候、珍しいもの、いわゆるゲテモンが手に入りまして…… ブラックスライムとトログロダイトの料理をわたしの屋敷で用意しているのですが、先にお約束があるのでは仕方がありませんね」
「そんなことはない。約束はキャンセルだ。全然、問題ないぞぉー!」
ツンドラ候は、生き返ったように、吼えた。