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蛇の話

 はじめから、気乗りしないことではあったのだ。

 ただ、もう面倒臭く思ってもどうしようもないと諦観をきめこんでいるだけで。


 私の名は雪梅(せつばい)という。

 元は梅の身の上であったが、世の理を紐解き、仙境へ至りもう十年になった。

 まだ道士として修行中ではあるが、おそらくそこらのぼんくら仙人より場数を踏んでいるだろう。

 それもこれも、私が師事する玄冬(げんとう)様のせいなのだが……。


「感傷にお浸りのところ申し訳ございません、雪梅様。蛇が現れました」

 腰元からぶら下げた瓢箪、雀羅獄(じゃくらごく)が老翁のような声で言った。

 この雀羅獄は見た目はただの瓢箪であるが、そのものの真名を呼べばなんでも収納し、また取り出すこともできる宝具である。

 少し心配性だが、とても親切だ。

「油断なくいきましょう。玄冬様は楽な仕事と私に押し付けてきたけれど、あの方の読みがあたった試しはないもの」

「……雪梅様最近、言葉から遠慮が消えましたねえ」

 雀羅の声は無視する。


 私は今、藪の中から出てきた蛇と対峙している。

 この蛇を捕えることが、今回私に課せられた修行という名の、押し付けられた面倒事であった。






「雪梅は蛇は苦手だったかな?」

 炊事場に立つ私に玄冬様が問うてきた。

 玄冬様は、線の細い温和そうな青年の姿をしている。実際性格も穏やかだ。

「蛇ですか、活造りにはしたくはないですけれど。おいしいですよね、鶏肉みたいで」

 私は仙界へ来てから人の姿を得た為か、食べることが好きだ。

 だから、空腹をほとんど感じないのに暇があればほかの仙人たちから教わった料理を再現したり、適当な素材を狩ってきてこうして調理しては食べている。玄冬様は、やや偏食のきらいがあるのか誘っても食べてくださらないことが多い。

「ええっと…、食材としての質問ではなかったのだけれど。その様子なら特に苦手ではないようだね」

「そうですね、かわいいとも思いますよ」

 逆さづりにしていた鶉の頭を切り落としながら答えた。

 きちんと血抜きして、あとでむしった羽毛は新しい座布団に入れよう。

「……たまに、おまえの形を若い娘にしてしまったことを悔やむよ」

 何故だか玄冬様が疲れたように呟かれた。


 私は確かに、どちらかといえば見目麗しい娘の形をしている。よく言われるのが艶やかな、とか、気品がある、だ。

 生来が梅であるから、それは仕方がないと思う。少女の姿を与えてくださったのは玄冬様だから、玄冬様の持つ梅の印象も私に付与しているのだろうけれど。


「まあ、食事が終わってからでいいから、ひとつ頼まれ事をこなしてくれないかな?おまえの修行にもなる案件で…」

「……玄冬様?」

 鶉の血の付いたままの包丁をすいっと玄冬様の額に向け、私は低く声を出す。

「また、どこぞから無駄な厄介事を押し付けられたのですか?この前、首が落ちかけるような傷を負われたばかりだったと記憶しておりますが」


 仙人は、基本的に自由であり、傍若無人ばかりである。

 己の為に理を解き明かし、己の為に研鑽を積む。そんな輩ばかりなのだから当り前であろう。

 大方の事には、仙界のお偉方も無関心だ。

 己に降りかかった火の粉が払えないようなものは、この地にいない。

 それでも。

 秩序を乱すような事態が起きれば勅命という形で適役な仙人に公務が与えられる。

 それは仙界を混沌から守る、必然であるから当然なのだが。


 玄冬様は、火の粉を好んでかぶりにいく。そういう、お人好しで頼まれれば断れず、正直どんくさい、そういうひとなのだ。


「いや、妹弟子の鈴玉(りんぎょく)のところから仙薬が持ち出されてね!あの子、ほら前も盾の宝具(ぱおぺい)の謀反にあって人間界へ逃げられてしまったばかりだし!またこんなことが続くとあの子の身も……」

「鈴玉様も仙人でらっしゃるのですから、そう世話を焼く必要もないのでは?罰を受けるのであればやむなしかと」

「どうも、仙薬を持ち出したのは蛇らしい。探索用の術でこの屋敷そばにいることまでは分かったそうなんだが、鈴玉は蛇が苦手でね」

「泣きつかれたんですね」

 私はため息をついた。

「私が捕えようとも思ったのだが、仙首様から呼び出しがあって。どうにもおまえに頼むしかないんだ」

 情けなく肩を落とす玄冬様に、ほだされる私もお人よしではあるのかもしれない。






 さて、件の蛇である。


 藪の中から姿を現したのは、私ほどの身の丈の白蛇だった。

 赤い虹彩の目が、つうっと細められる。

「なめられたものだな我も」

 甲高い、少年のような声だった。

「あなたのような半端者、私でも十分というだけのことでしょう」

「ふん、仙人になりたてのような小娘が!」

 鎌首をもたげていた白蛇が、私に食いつこうと迫る。

「残念、私はまだ昇仙試験さえ受けてませんよ」

 袂から防御用の符を放ち、それをしのぐ。

 ぎいぃぃいん、という衝撃音と光が、蛇の勢いを殺いだ。

「さて、蛇殿。私はあなたを捕まえにきたのですが、正直、鈴玉様の屋敷から持ち出した仙薬さえ返していただければそれでいいのです」

 蛇との距離を計りつつ、私は跳躍する。

「ええっと、なんでしたっけ?月へ登るための薬でしたっけ。そんなもの作る鈴玉様もですが、なんの為に盗んだんですか」

「月を食らう為に決まっているだろう」

 蛇がにんまりと笑うように言った。

 その表情は小さなこどものようでかわいらしい気もする。

「我が一族の悲願、あの月を食らえば我も完璧な仙獣になる」

「そんなお伽噺ありましたかね」

「お伽噺ではない、伝承だ!」

 大差ないように思ったが、再び蛇が迫ってきたので言わずにおく。

「月を食らい、星のない夜に呪を結べば、我が同輩、世界を食らう大蛇に全知を与えられるという」

 煌々と輝く目は夢見るようで、狂信という言葉が良く似合う。この手合いの輩には、話しは通じないだろう。

 私も口下手ではあるし。

「わかりました。歩み寄りはできないのですね」

 努めて、冷淡に。

「大刀を」

「御意」

 それまで黙っていた雀羅獄の口から、ぽんっという、軽い衝撃音と共にするりと大刀が現れ、私の手に収まる。

「私、刀術だけなら師たる玄冬様と互角ですので」

 可愛いから勿体無いような気もしたけれど。

 捕えよ、と言われたが、“生きて”とは聞いていない。

 

 今日はこの蛇で鍋にする。






 ぐつぐつと蛇の身とネギが煮詰まってなかなかによいにおいが部屋中に広がっていた。


「確かに、生きて捕えよとは言っていなかったが……」

 卓の向こう側、上座に座る玄冬様は呆れたような顔をなさっている。

「まあ、いいじゃないのー?私としてもぉ、仙薬さえ戻ってきたらもうあんなのに用はないしぃ」

 そういってにこにこ笑っているのは、どういうわけだか卓の一角に坐している鈴玉様だ。

 出した覚えはないのに、取り皿と箸を手にしている。

 ゆるく複雑に編み込まれた黒髪に、しゃらしゃらじゃらじゃら簪がささり、動きづらそうな赤い衣をまとう鈴玉様がいるだけで、この屋敷の色彩が狂う気がするのは私だけだろうか。(私も玄冬様も、あまり派手な装いはしないし、この屋敷もほかの洞府に比べれば質素だ。)

「おいしくいただくのがせめてもの供養と存じますが、鈴玉様は蛇が苦手なのではありませんでしたか?」

 せめてもの嫌味のつもりだったが、鈴玉様は相変わらずいつも笑っているような細い目のまま、

「生きているのはねぇ、なんだかあの動きが苦手なのよー。でもぉ、食べるのはいいのよね。美味しいし、お肌にもいいからかしらー」

 知るか、と言いたくなったが、我慢する。これでも私より刀術の腕は上だ。


「そういえば、なんで月に登る薬なんか作られたのです?仙術でならすぐでしょう」

 辛みの強い汁に、程よく煮えた蛇の身がおいしい。

 少しだけ気になっていたので、何の気なしに聞いてみた。

「ええっとー、嫦娥(じょうが)様のところに行こうと思ってぇ。でも私、縮地の術って苦手だからー。ほら、嫦娥様の館に急に忍び込むような形になったらぁ、たいへんでしょう?」

 この方の、語尾を無駄にのばすところが本気で苦手だ。さくさく喋れないのだろうか。

「鈴玉は相変わらずおおざっぱだな」

 ああ、そこ笑いどころだったんですね。くすくす笑う玄冬様を見、私はまだ人の機微というのに疎いらしいと思い知る。

「玄冬兄さんは得意よねー、あと隠遁系とか攪乱系とか。なんていうかー、ややこしいやつ」

「武術はからきしだからなぁ。もう、雪梅に私が教えられないくらいだよ…」

「それならぁ、今日のお礼に私が稽古つけたげようかぁ?」

 話の矛先が私に向き、少し動揺する。

「ありがたいお申し出ですが、鈴玉様お忙しいのでは?」

 正直、玄冬様に武術を習うより鈴玉様に習ったほうがいいとは思う。ただ、このおっとり喋るくせにいざ立ち会うと電光石火の剣戟を繰り出してくるところと手加減が下手なところを知っているだけにいまいち不安だ。

「いまは弟子もいないしねー、大丈夫よぉ」

「…では、ありがたく」


 今のうちに、治癒の符を大量に作っておこうと心に決めた。


 そして、今日もやはり玄冬様は鍋に手を伸ばしてはくださらなかった。残念。

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